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第19章  ~君の隣~






-君の笑顔も泣き顔も- 第19章 ~君の隣~






拓也は、とても難しそうな表情を浮かべていた。


ただいま本と睨めっこ中。


もちろん本とは、ずっと勉強中である医学の本のことを指す。


しばらく本と向き合っていた拓也だったが、次第に頭を抱え、小さなうめき声を上げ始めた。


わしゃわしゃと少し乱暴に髪をかき混ぜる。


いらだちは徐々に脱力感へと変わり、彼はとうとう顔を伏せてしまった。


自分が惨めに感じてくる。


「やっぱわかんねー・・・・・・」


暗い声とため息。


拓也が本の内容を理解できないのは当たり前のことだった。


彼は医学に関して素人であるに過ぎないのだから。


大体もともと医学者が参考として使用する本である。


特に専門学校にも通っていない拓也が、この本を読んだところで、そう簡単に知識を蓄えることができるはずがない。


正直言って、もうすでに次元の違う話なのだ。


何度挫折しかけたか。


何度悔しい思いをしたか。


そんなのもう、数え切れない。


しかし、決して勉強を怠ることをしなかった。


強い想いがあるから。


守り抜きたい大切な人がいるから。


それが唯一拓也の要になっていた。


(少し休憩したら、もう少し頑張ろう)


そう思ったそのときだった。




ガチャッ




ドアが開く音がした。


しかし、いつもの迫力のある音ではなく、少し穏やかな音。


「兄ちゃん」


お決まりのタイミングだった。


聞きなれた女の子の声。


拓也がそのまま女の子になったような容姿。


「ありさか。・・・・て、ノックしろって何回いわせれば気が済むんだよ」


「しょうがないじゃない。今両手ふさがってるんだから。大体急に入ってきたら困るような事してたわけ?」


「そんなことは一切してねーよ」


前にもこんな会話をしたような気がしてならない二人。


「確かに変なことはしてなかったみたいだけどね。」


「どういうことだ?・・・・・!?まさか!」


ありさの言い方は妙だった。


まるで今までずっと見ていたかの様。


「うん、正解。ずっとドアの隙間から見てた」


「!?」


拓也は赤面し、一瞬で目が点になった。


つまり、このことから拓也の独り言やしぐさは、ありさに全部見られていたことになる。


その証拠に、さっきかき混ぜた金髪の髪は、いい感じに乱れたままである。


「なんでそんなこと」


「なんでも何もないわよ。勉強嫌いの兄ちゃんがあのときからずっとこうして勉強してるんだもん。なかなか部屋からも出ないし。気になるわよ」


いちゃもんをつけるありさは、怒っているというよりも、むしろどこか心配そうにしているようにも見えた。


「大体今何時と思ってんのよ。もう深夜の1時よ」


「あぁ・・・・もうそんな時間になってたのか」


言われて初めて気がついたかのような表情をする拓也。


時計を見ると、確かに彼女の言うことは正しかった。


「まぁとにかく、俺のことは気にするな。むしろほっといてくれ」


「何よそれ。人がせっかく心配して暖かいココア作ってきてあげたのに」


そういうありさは、ココアの入ったコップを両手に持っていた。


「・・・・・・ごめん。今のは俺が悪かった」


「兄ちゃん・・・・・」


いつもの拓也ならそっぽを向けているところである。


しかし、今の拓也は妙に素直であった。


逆にそれが、ありさを不安にさせているのかも知れない。


「ところで何で二杯なんだ?俺は一杯で十分なんだが」


コップを両手に持っているありさに、疑問を抱いた拓也は問う。


「兄ちゃんのは一杯に決まってるでしょ。もう一杯はあたしの分なの」


「・・・・・そ、そうか」


そう返事を返した拓也に、ありさは一杯のココアを手渡した。


「確か兄ちゃんココア好きだったでしょ?たまに淹れて飲んでるの見るから」


「まぁな。結構ココアは好きだ。」


拓也は暖かいココアを飲み始めた。


思わずおいしくて、すでにコップの中身は空である。


「・・・・・何か、俺に用でもあるのか?」


「うーん・・・・用は、ないの。ただ、こうしていたいだけ」


「?」


とても不思議な気分だった。


あの皮肉の減らないありさが、このようなことを自分に言うものなのか。


「何でなんだろうね。あたし自身もよくわからないの」


少し困ったようにありさは笑った。


「・・・・・わからなくても、いいんじゃねぇのか?」


「え?」


「だってそういうのは、今はわからなくたって、自然と後からわかってくるもんだろ?」


「・・・・・」


それを聞いたありさはうつむいた。


「・・・・どうしたんだ?」


よく彼女を見てみると、肩が少しひくひく動いている。


「おい、あり――――」


「あははっ!」


「なっ!?」


ありさの頭は勢いよく上に持ち上がり、腹を抱えながら思いっきり笑った。


「何そのセリフー。ベタ過ぎるわよ」


「っお前ってやつは!人がせっかくフォローしてやったのに!」


ありさは皮肉を言った。


やっぱりありさはありさである。


いつもと変わらないありさの姿がそこにあった。


「ごめんごめん」


「・・・・・・ったく」


引きつった表情の拓也は、次第に穏やかな表情へと変わっていった。


「ココアありがとな。いろいろと気使わせて悪い」


「別に気なんて使ってないわ。ちょっと気が向いただけよ」


最近ありさのツンデレ度が増しているような気がした。


それを言葉で表そうとした瞬間、かつての様に腹に蹴りをいれられそうになった。


どうやらいまだにありさは、『ツンデレ』と呼ばれることに抵抗しているらしい。


「・・・・ねぇ兄ちゃん。少し聞きたいことがあるんだけど」


「なんだ?」


その場はなんとなく一段落着いたような雰囲気になっていた。


もう彼らは深夜遅くであることを忘れてしまったのだろうか。


「どうしてそこまでして熱心に、医学なんて勉強してるの?」


拓也はそれを聞いた瞬間、眉間にしわがよりかけた。


顔に出そうになるのを必死に押さえこむ。


ありさの質問はごく一般的なものだった。


だからこそ、よりいっそう拓也は困り果てるのだ。


輝が病持ちで、とても自分がそれを心配していることが、理由の大半を占めていた。


それがありさに知られてしまってはいろいろとまずいことになってしまう。


しかし、ありさは輝が病持ちであることを知らないだけに、簡単に痛いところをつくのだ。


拓也はこんな簡単な質問の返事にとてつもなく困った。


変に間があくと、余計に怪しまれてしまうであろう。


その上相手が悪い。


カンの鋭いありさだ。


すぐに本当のことを暴いてしまいそうな勢いである。


「俺は将来医者になりたいんだ」


「医者!?」


とっさについた拓也の嘘は、現実味にかけている上に、苦しかった。


「なんでまた医者なんかになりたいの?」


「それは・・・・・・」


『あぁ言えばこう言う』というのはこのことだろうか。


ひとつ嘘をつくと、その嘘を補うためにまた嘘をつかなければならない。


まさしくこれはある意味無限ループであった。


「ほら、この前一緒に見たドキュメンタリー番組で医者の回があっただろ?それ見て苦しんでる人を助けたいと思って」


「・・・・そうなんだ」


拓也の言った言葉は本当のことかもしれない。


現にやっぱり何やかんやで拓也は、輝が心配で仕方がないのだ。


そして恩返しをしたかった。


自分を救ってくれたように。


何倍にも返して、彼に幸せを与えたいのだ。


拓也は真剣な表情を浮かべる。


彼のまなざしはまっすぐ純粋で、とても綺麗だ。


「誰か助けたい人でもいるの?」


「ん?・・・・いや・・・・・」


否定した。


しかしこれはまっかな嘘。


「・・・・そう、ならよかったわ」


「あり・・・さ?」


どこかもどかしそうなありさに、拓也は思わず首をかしげた。


「あっ!そうそう。これ渡しにきたこと忘れてた」


ありさの様子は180度回転してしまっていた。


何か大切なことを思い出したかのような反応をした彼女は、何かを拓也に差し出した。


「これは?」


「いいからあけてみて」


そういわれ、拓也は言われたとおり、あけて中身をだした。


「?!これ、あの時みんなで撮った写真」


「そう。綺麗に撮れてるでしょ」


「あぁ」


拓也はそれを眺めるなり、とても優しい顔つきになっていた。


そして写真の中にいる4人は、誰よりも幸せそうだった。


「ちゃんと2枚入ってるわよね?1枚は輝先輩に渡して」


「わかったよ」


拓也は快く了解し、少し微笑した。


「ふぁっ~。そろそろ眠くなってきたから寝るね。兄ちゃんも勉強はほどほどにして寝たほうがいいわよ。でないとこの前みたいにまた体調崩しちゃうわよ?」


「そうだな。俺もそろそろ寝る。」


「それじゃぁあたし、自分の部屋に戻るわ。」


そういってありさは立ち上がった。


しかし、部屋を出ようとするありさの足がピタリと止まる。


「・・・・どうした?」


その場で立ち止まるありさは、拓也を見た。


「おやすみ」


「?・・・おやすみ」


何か大切なものを忘れてしまったかのような言い方だった。


そしてその言葉と共に、ありさのもどかしそうな表情は消えていった。


そんな彼女の様子に、変な気持ちがこみ上がった。


しかし、睡魔のほうがそれより勝ってしまい、余計なことを考えられない。


「そういえば確かこの辺に・・・・」


突然拓也は思い出した。


とたんに立ち上がり、物置をあさり始める。


「あ!やっぱりあった!」


そう言って彼が手に取ったのは木製の写真立て。


それは前にくじ引きで当たったものであった。


拓也は写真をセットした。


どうやらサイズはぴったりで、なんとなく見栄えがいい。


「輝・・・・・・」


小さな小さな拓也の声。


大きな大きな輝への想い。


これほどにまで誰かを愛したことなんてないのかもしれない。


拓也は一人、そう思った。


そして写真立てをいつも自分が使用している机の上に飾った。


「さっさと寝よっと」


パタンッと倒れるようにベッドに身を乗り出す。


重たくなったまぶたは、自然に閉じていった。


(今夜はいい夢、見れるといいなぁ・・・・・)


ひそかにそう願い、拓也は一時の眠りに落ちた。









*****










「桜、散っちゃったね」


「うん。ちょっと・・・残念だな」


五月上旬。


時がたつのは早いもので、あれだけ誇らしげに咲いていた桜は、はかなく散っていた。


100年を生きた桜並木も、同じように。


学校帰り、花のない桜並木を、二人は静かに見つめていた。


「来年も、また二人で来ような」


「・・・・拓也」


はかない雰囲気の中、輝に向けられた拓也の笑顔はとても優しかった。


そして、その言葉は輝を嬉しくさせるものだった。


だけど、それが余計に輝をつらくさせた。


もしかしたら、来年にはもう自分はいないのかもしれない。


そう思うと、心が締め付けられるように痛くなる。


「そうだね」


輝は拓也と同じように優しい笑顔を向けた。


そうでもしないと、涙がこぼれてしまう。


「もうすぐ拓也は17歳になるね」


「!?・・・・もしかして、俺の誕生日――――」


「うん。ちゃんと覚えてたよ。5月25日は、拓也が生まれた大切な日」


「輝・・・・」


本当に覚えていてくれたことに、拓也はとてつもなく大きな喜びに満ち溢れた。


「誕生日プレゼントは何がほしい?」


「え?誕生日プレゼント?」


「『え?』ってやっぱり誕生日にプレゼントは必要不可欠だろ?」


「・・・・・でも」


「遠慮なんていらないよ」


少し罪悪感にかられた表情をする拓也に、輝は優しい言葉をかけた。


「俺は・・・・俺はっ・・・・プレゼントなんていらないんだ」


「たく・・・や?」


「どんな綺麗なものより、どんな高価なものより、俺は輝以外何もいらない。」


とたんに感情がこみ上げていった。


なぜ自分がここまでこんな気持ちになってしまったのか、自分でも理解できなかった。


拓也は口ごもり、輝を優しく腕の中に包み込んだ。


若干身長差で、全身を包み込んであげることはできなかった。


「俺はもう、これ以上の幸せなんて求めていないんだ」


「・・・・・拓也」


拓也の体は温かくて、とても心地よかった。


しばらく幸せに浸っていると、なにやら辺りがざわついてきた。


ひそひそと人のしゃべり声が聞こえはじめる。


やけにそれが気になって、目を閉じていた二人は目を開けた。


そして辺りを見渡した二人は黒目を点にした。


顔が熱くなっていくのが簡単にわかる。


道歩く人々の視線は、二人に集まっていた。


当たり前である。


こんな公共の場で、男子高校生が二人して抱きしめあっているのだから。


通りすがりの人々もさぞ驚いたが、当の本人たちはもっと驚いていた。


というかまず、視線が痛かった。


当然拓也と輝が下校をしている時間帯なだけに、学生もそう少なくはない。


「う、あ・・・・えぁ」


「輝、こっち!」


拓也は赤面してテンパっている輝の手を、少し乱暴に引っ張り、すこし人の少ない違うところへ導いた。


どうやら人目は上手く避けられたように思われる。


「ごめんな輝。俺が抱きしめたりなんかしたから」


「ふっははっ」


「輝?」


拓也の真剣な表情とは裏腹に、輝は少し笑い出した。


「ごめん。さっきの状況が少しおかしくて。でも本当にびっくりした」


笑い涙だろうか。


目じりに軽くたまった涙を輝はふき取った。


「輝がそういうのなら、まぁいっか」


拓也もそう言って、同じように笑った。


「あ、そうだ。はい、これ」


「!?これって」


差し出されたそれを見て、輝はすこし驚いた。


「覚えてるよな?あの時撮った写真だ。輝に渡そうと思って」


「ありがとう」


ありさの頼まれごとを、拓也は約束どおりにはたした。


お礼を言い、輝はそっとそれを受け取った。


拓也同様、輝も同じように優しくやわらかい表情になる。


「俺、一生大事にする」


「だな。俺も大事に自分の部屋に飾ってるんだ」


「そっか、俺も飾っておくね」


二人は顔を見合わせて笑いあった。


「俺、物足りないんだ」


「え?って、うわっ」




カシャッ




ケータイにあるカメラ機能のシャッターが切られた音が聞こえた。


もちろん拓也のケータイは輝に向けられている。


「ちょ、ちょっと拓也、それは盗撮だろ」


「盗撮じゃないでーす。断固違いまーす」


「俺、写真写り悪いって前にも言ったの忘れたのか?」


「嘘だ。プリクラといい、この写真といい、普通にかっこいいじゃぁねーか。でも今撮ったのはかわいいけど」


「どっちにしろ、なんで俺なんかを」


「だってあまりにも優しい笑顔をしてたから」


「え?」


その言葉に輝はキョトンとした。


そしてその隙に拓也はちゃっかり輝の笑顔を保存する。


「なっ!今保存したよな?!」


「まぁ気にすんなって」


「・・・・・拓也ってもしかしてSなの・・・か?」


「ん?今頃気づいたのか?まぁ俺がSになるのは輝の前だけだけど」


「!?何だよそれ。まるで俺がMみたいな言い方だな」


「え?輝ってMじゃなかったのか?」


「ぜ、絶対違う!俺はただ少し・・・・・・は、恥かしがり屋なだけなんだ」


「・・・・今、自分でさらりと自分が恥かしがり屋なことを認めたよな?」


「!?」


言葉のとおり、輝は恥かしがり屋で、たちまち赤面しはじめた。


輝は簡単に口の上手い拓也につられていしまうのだ。


「と、言うわけでもう一枚撮らせてよ」


「へ?って、ちょっと!」


拓也は強引に身を乗り出した。


輝は撮られたくない一心で逃げ回る。


「何で逃げるんだよ。」


「何でって言われても・・・・・」


「じゃぁ二人で撮ろうよ。それならいいだろ?」


「え?あ、うん。それだったら。」


二人ならいいと思った輝は写真を撮ることに対して許可を出した。


「じゃぁ記念に撮るぞ。」




カシャッ




もう一度シャッターを切る音が聞こえた。


「どれどれ?おっ、案外いい感じに撮れてるかもな。」


「ほんとだ」


まだ日の沈みきらない明るめの夕焼けが、ほんのりと二人の関係を表しているかのようだった。


現実の二人も、モニターの中の二人も、とても幸せそうに笑っている。


ここでもしっかり拓也は保存した。


「いいのが撮れたな」


「そうだね。俺のケータイにも送ってくれないか?」


「あぁいいぜ」


そういって赤外線送信をした。


受信完了の文字を見た輝はなにやら嬉しそうだ。


しばらくそれを見ていると、突然自分の肩に何かが軽く乗る感覚がした。


「たく・・・・や?」


それは拓也の頭部だった。


「何でこんなにも、輝の隣は心地いいんだろう。何でこんなにも、輝の隣は安心できるんだろう。」


あまりにも気持ちよすぎて、拓也の目からは涙が出そうになっていた。


こんなにも毎日会っているのに、なぜか心細くなる自分がいた。


拓也は輝の病が再発したことを、知っているわけではない。


しかし、なぜか輝をより求める自分がいた。


どうしても、ずっと輝の隣にいないと寂しくなってしまう。


心細くなってしまう。


だからこそ、こうやって彼の隣にいられるときが、よりいっそう幸せだった。


「俺も一緒だよ」


「え?」


突然口を開いた輝に拓也は反応した。


「俺も、拓也の隣にいられる間、すごく安心していられるんだ。拓也の隣にいられることが、何よりも俺の幸せなんだ。」


「輝・・・・・ありがとう。お前だけなんだ、そんな温かい言葉をかけてくれるのも。こんなにも優しくしてくれるのも」


「お礼なんていい。むしろ俺が言いたいぐらいだよ。しばらくこのままでいてもいいか?」


「あぁ」


このまま時間がとまってしまえばいい。


何度も何度もそう思った。


もしも、プライドもお金も何もかもを捨てさえすれば、拓也と永遠にこうしていられるというのなら、それがいい。


こうしていられることを、何よりも誇りに思う。



そして――――







拓也の隣にいれることが、何よりも自分の宝なんだ













*****







「・・・・・・まだこいつが残っていたか」


それは成人した男の声だった。


小池医師は一人、診察室で疲れきった声を出した。


全部終わったと思い込んでいた彼だったが、机の端っこのほうにはまだ数枚の書類が残っていた。


それを発見するなり、たちまち嫌気が差す。


彼は残業であった。


24時間、彼はまだ一睡もとっていない。


もちろん朝から今まで勤務中であった。


ろくに休憩すらとっていないように思われる。


(缶コーヒーでも飲んで、いったん一息つこう)


そう思い、彼は診察室からでた。


ここは小池総合国立病院。


大きな病院で、この辺りではとても有名な病院らしい。


信頼性も高く、親切なため、大いに評判はいい。


そんな小池総合国立病院のトップであり、指導者、あるいは患者を看る医者という多彩な一面を持つのが小池医師の顔である。


まだ20代という若さにして、これは夢のような話であったが、彼自身の努力の結晶であり、これが現実なのだ。


もしかしたら、彼は隠れた天才医者なのかもしれない。


薄暗い廊下を少し歩いていると、受付近くにある自動販売機に出くわした。


資産がある病院なだけに、やはり施設はそれなりにいい。


自動販売機は何箇所かに設置されているのだ。


小池医師が小銭をいれてボタンを押すと、缶コーヒーがガランッと落ちてきた。


缶コーヒーの口を開け、それを飲み干す。


缶なだけに少量ではあったが、飲まないよりはかなり落ち着くことができた。


(あ、そういえば昨日は珍しく原田さんが休暇をとっていたな。)


コーヒーを飲み干し、一息ついている最中に突然そのようなことを思い出した。


いつも屋上に干してある洗濯物は、大抵原田看護師が整えている。


ほかの看護師がやってくれているだろうと思ったが、少し気になったので確かめに屋上に向かうことにした。


まだ眠気の覚めない小池医師は、重たいまぶたを必死に開きながら階段を登っていく。


そして階段を登りきり、屋上のドアノブをひねり、外へと身を乗り出した。


視界に外の景色が飛び掛る。


時刻は朝の4時30分。


5月なだけに日が長いせいか、もう夜が明けかけており、そう思ったよりも暗くはない。


辺りを見渡すと、どうやら洗濯物はきちんと整理されているようだ。


(?・・・・・誰かいるのか?)


若干薄暗いそこに、人影のようなものが見えた。


「・・・・!?輝くん!?」


「え?」


いるはずもない小池医師の声が聞こえたため、輝は少しだけ驚いて肩をすくめた。


そう、紛れもなくそこには空西輝の姿があった。


「やけに夜明けが似合う青少年だね」


「冗談はよしてくださいよ小池先生」


「ははっ」


少し困ったようにしている輝に、小池医師は笑って返事をした。


「朝早いんだね。こんな時間帯にこんなところでどうしたんだい?」


「・・・・・ちょっと」


「!?まさか!そんな!」


「ち、違います!飛び込み自殺とかそんなんじゃないですよ!」


「はぁーびっくりしたー。驚かさないでくれよ」


何を思ってそこにたどり着いたのかは不明だったが、輝の言葉を聞いた小池医師は、そっと胸をなでおろした。


「・・・・・最近、あまり寝付けないんです」


「え?それじゃぁここ最近ずっとこうしているのかい?」


「はい。・・・・お恥ずかしい話なんですけどね」


「・・・・・・輝くん」


「考えたくないけど考えてしまうんです。先のことをいろいろと。そう思うと眠れなくって。時間がもったいなく思えてしまって」


そういってつらそうな顔をする輝。


そんな彼に、小池医師はどうフォローすればいいのか少し迷った。


「輝くん、今の段階では一切手立てがないというわけじゃないんだ。少しずつ自分を信じて我慢すれば、きっと未来はいい方向に進むよ。だからそんな顔をしないで」


「小池先生・・・・・・ごめんなさい。明日からはちゃんと寝ます。規則正しい生活をしないと、治るものも治らなくなっちゃいますよね」


「うん、そのいきだよ輝くん」


少しずつ輝に笑顔が戻っていった。


「そういえばさっきから何かを手に持っているように見えるんだが、何を持ってるんだい?」


「?あぁ、このことですね。小池先生も見ますか?」


「ぜひ」


輝から小池医師はそれを受け取った。


「わーすごいね。皆さんおそろいで優しい笑顔をしているね。輝くんと拓也くんはわかるけど、この女性と女の子はもしや」


「はい、そのとおりです」


「やっぱり。そっくりだもんね」


「拓也は似てないって言い張りますけどね」


「そいつは聞き捨てならないなー」


「ですね。その写真をもらったときから自分の部屋に飾ろうと思ってるんですが、どうも手放せなくて」


「よっぽど大切に扱っているんだね」


「はい。俺の宝物です」


満足そうに写真を眺め終わると、小池医師は彼にそれを返した。


「あ!そういえば書類!」


「・・・・・どうかしましたか?」


「まだ残業終わってないの忘れてた!」


「!?大丈夫・・・・なんですか!?」


「いや、大丈夫ではないぞ」


時計は5時30分を示していた。


「ごめんね輝くん。まだ話していたいんだが、どうも時間が押しているようだ」


「こちらこそ毎回すみません。つまらないように付き合っていただいて」


「そんなの全然構わないさ。それじゃぁまたね!今度機会があるときにでもまたじっくり話でもしよう!」


「あ、小池先生!」


小池医師は風のように診察室へ戻っていってしまった。


「まだ俺、お礼言ってなかったのに・・・・・」


少し落ち込んだ心だけが取り残された感じだった。


しかし、たちまち輝に笑顔が宿る。


あの事故から早4年。


育ての親として世話をしてくれた小池医師に、輝は感謝しているのだ。










―――――ありがとうございます。小池先生。









それは本人には届かない、輝からの感謝のお礼であった。







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