第11章 ~壊れた心~
お互いがどれだけ愛し合っているか知らない拓也と輝。心を痛めた輝は拓也に最初で最後の贈り物を渡す。
いつか遠い時の中で、ずっと夢見た世界があった。
それは君が居る世界で、暖かくて幸せな世界。
誰もが幸せな世界。
みんなみんな幸せな世界。
君も、そして僕も。
君が望む世界はなんですか。
もしも君が望む世界が僕と違っていても
もしも君が望む世界に僕が居なくても
僕が望む世界はかわりません。
君が居る世界が、僕の望む世界です。
-君の笑顔も泣き顔も- 第10章 ~壊れた心~
「うぅっ・・・・・目痛ぇ・・・・。」
起きて早々に目の痛みを感じた拓也は、表情を曇らせていた。
時刻は午前6時30分。金曜日。
それは拓也にしては、かなりの早起きであることを意味する。
いつもの拓也であるならば、無論爆睡中の時間帯である。
しかし今日は少しだけ違っていた。
午前6時30分の起床は本日5回目である。
つまりあることが気がかりで寝ようにも寝付けず、中途半端な時間帯に何度も目が覚めていたのだ。
あること、それは言うまでもない。昨日の輝の表情、声だ。
一日たったはずの今でもやはり、輝の表情と電話で話したときの声が頭から離れなかった。
そして拓也は昨日からずっと泣いていた。輝を想い続けてずっと泣いていた。
そのため、これから学校であるというのに目がはれてしまっている。
起きた拓也はベットから出ることをせず、起き上がった体勢のままで、ただボーっと一点だけを見つめていた。
せっかくベストな時間帯で目を覚ましたというのに、ただただボーっとしている拓也はまるで人形のようだった。
何も言わず、ただじっと黙って座っているだけの拓也。
しかしそんな彼のこともお構いなしに、時間だけはいつもと変わらず着々と進んでいった。
ピンポン♪
突然玄関のほうから毎朝必ず一度だけ聞く音が聞こえてきた。
その音を聞くなり、さっきまでボーッとしていた拓也は一瞬で我に帰ったかのようにはっとする。
いつもと同じタイミング。いつもと同じ時間。
(来てくれたんだ!)
そう思った拓也は玄関めがけて走りぬける。そして玄関の入り口の前でいったん止まり、荒てた呼吸を整えた。
一度大きな深呼吸をしてドアノブをつかんでそれをひねり、ドアを押し出す。
「輝っ!」
緊張したせいか、うまく口をあけて言うことが出来なかった。
入り口を開けた瞬間に広がる景色の中に、待ち望んだ人がいた。
やや長身でスタイルのよい体系。純粋な黒い髪。
よく似合っている髪型。
さわやかな印象を持たせる学ランの下に着たすこし薄めの青いTシャツ。
だが、ドアを開けたその先に、待ち望む輝は居なかった。
「おはよう拓也!」
いつもの優しくて柔らかい声。癒される声。それは輝の声、ではなかった。
学ラン姿であるはずの目の前に居る人物の服装は、拓也の通う学校の女子生徒が着用する制服――――セーラー服。
安心する男の声であるはずなのに、程よい高さの女の子らしい声。
やはり、目の前に輝はいなかった。
「篠田・・・・。」
彼の目の前にいた人物は篠田愛莉だった。
愛莉は昨日拓也と帰ったため、彼の家を知っている。
「どうしたの?目はれてるよ。大丈夫?」
心配そうに愛莉は彼をしたから覗き込んだ。
「あぁ全然なんともねぇ。それより何でここに?」
「何でって約束したじゃない。これからは一緒だって。」
「俺はそんな約束した覚え―――――」
「早く着替えないと遅刻だよ?」
まただ。またあのときのように拓也の言葉は愛莉にかき消されてしまった。
前から話し上手とは思ってたが、これほどまでの腕とは誰も思わないだろう。
「あぁわりぃな。ちょっと待ってろ。すぐ着替えるから。」
そういい残して拓也は自分の部屋に準備をするため戻っていった。
そんな彼の姿を見るなり、愛莉は笑顔で待っていた。
本当なら輝と今日も一緒に通うはずだったのに。
いつものように起こしてもらうつもりだったのに。
なのになのに・・・・・。全部全部消えてしまった。
全身鏡の前に拓也は容姿を確認するために立った。
自分の姿を見て、我ながら自分の表情がよほどひどいのが嫌でもわかる。
しかし、愛莉の前では必死で笑顔をつくった。
弱弱しい笑顔だったが、それだけでも少しの気持ちのごまかしになってくれればよかった。
拓也は愛莉に対して特別意識を抱かないものの、その半面になぜか嫌いになれないでいた。
なぜ嫌いになれないのかは自分でもよくわからない。
ただ、つまらない学校では愛莉が拓也によく相手をしてくれたのも理由の一つに入る。
あまりにも愛莉を待たせると悪いので、拓也はささっと着替えてもう一度玄関に向かう。
「ごめん待たせた?」
「ううん全然大丈夫だよ!さぁ行こうよ!」
愛莉は勢いよく拓也の手を握って彼の家を飛び出した。
家を出た瞬間、いつもの景色が視界に入った。
(輝・・・・・・。)
つないだ手と手。自分の手につながられている手は愛莉の手。
輝の手じゃない。
そうわかっていても、拓也は輝と手をつないだあのときのことを思い出してしまう。
本当に大切な輝の手はそこには無くて、隣には彼がいない。
いつも一緒だった彼がいない。初めは一人で、ずっとひとりだと思っていた。
だけどそれは違って、気が付けばいつも輝がそばにいてくれた。
どれだけ自分が輝を大切に思っているか改めて知ることばかりで。
そばにいなくなったときからずっと拓也は泣いて、今でも泣きそうだというのに。
学校にいる間、愛莉がいる時はいつも涙を必死でこらえた。
*****
夕焼けの空の下で何も考えず、ただひすら青少年は自分の足を動かした。
わかってる。ちゃんとわかってる。ここに来たって彼はもう来やしないことぐらい。
待ったって笑顔で自分を迎えに来てくれないことぐらい。
自分ではわかってるつもりなのに、体が言うことをきかなかった。
帰る場所は決まっているのに、いつもこの場所に来てしまう。
拓也の通う学校の校門。輝は今日もここに気づかないうちに足を運ばせていた。
そして来やしない待ち人をただ黙ってじっと待っていた。
拓也と愛莉を思って距離を置いたはずなのに、勝手に体がこの場所を選ぶ。
本当は心も体も拓也を求めてるのに。だけど求めてはいけないんだ。
自分で自分自身を拒んでも、やっぱりだめだった。
今自分に出来ることは、拓也の幸せを壊さないように、拓也の幸せを願うことだけ。
たったそれだけ。
(拓也・・・・会いたいよ。いっぱい話したいよ。いっぱい話聞かせてよ・・・・・。)
もう何日こんな生活をおくっているかわからない。
病が再発したとき、きっと自分は死ぬであろう。
このまま拓也とも話せずに、ただ一人で死んでいくんだ。拓也の知らないうちに死んでいくんだ。
そう思いたくないのに、そう思うことしかできなかった。
輝は泣きながら、一人孤独に顔を伏せていた。
学校の門は二つあって輝の待つ校門は正門で、拓也と愛莉の帰る門はもうひとつの違う門だった。
拓也は正門がわだが、愛莉が違う門な為、いつも愛莉にあわせているのだ。
だからあの電話以来、拓也と輝が会うことは決してなかった。
そのため、拓也は輝がいつも待っていたことに気が付かないでいた。
そして拓也には輝に合わせる顔がなかった。自分に輝に対する罪悪感があったから。
いっぱい辛い思いをさせたと思ったから。
二人の会えない生活は、あっという間に2ヶ月もたっていた。
*****
(キレイな花ばたけ・・・・・。)
輝はあたりを見渡した。見渡す限りに広がったきれいな花の数々。
だれがその景色を見ても同じようなことが共感できるような、そんな楽園のような場所だった。
おもわず輝もその景色に見とれる。
そっと花をつぶさないように座って、一人で眺めていた。
なぜかこの場所はすべてを忘れられそうになった。
辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、全部全部が忘れていられそうになる。
そんなときだった。自分の右肩に誰かがポンッと肩をつつくような感覚がした。
いきなりのことに思わず輝は後ろを振り向いた。
『輝。』
輝は目をまん丸にした。いつも聞いていた懐かしい声。さらさらした金髪の青少年。
自分よりも少し背の低い身長と、童顔ぎみの容姿。
『拓也・・・・?』
おそるおそる輝は口にした。
『そうだよ。俺は朝本拓也だよ。』
あまりにもありえない光景に輝は驚くことしか出来なかった。
いるはずのない彼がいる。会えないはずの彼がいる。
そんなことを考えている輝は何から話せばいいのかわからなかった。
『ごめんね。待たせちゃったな。』
おどおどしている輝にそう言って、そのまま優しく拓也は抱きしめた。
輝はびっくりしてそのまま動けなくなってしまう。
懐かしかった。声も姿も感覚も全部全部。
忘れなければならないのに忘れずにいられなかった彼の存在さえも。
拓也はずっと輝を黙って抱きしめ続けた。静かに、優しく抱きしめた。
輝は両目から涙を流していた。けれども自分が泣いていることに輝は気が付かなかった。
自分も目を閉じようとしたとき、懐かしい彼の姿は消えていった。
「拓也・・・・?」
目がそっと自然と開いていく。
そして輝は頬の感覚に気が付いた。
頬がぬれている。涙でぬれている。
彼は涙を流しながら寝ていたのだ。
だけど、それは何の不自然なことではなかった。
ずっとココ最近こんなことが当たり前になっていたのだから。
起きた時刻的に、今日が休日であってよかったと彼は思う。
自分の手で輝は涙をふき取った。
さっきまでのことは遠い夢だったらしい。
ベットから降りて、部屋のドアを開け、廊下に出たときだった。
甘いにおいがした。食堂のほうからだった。
輝の部屋と食堂は他の病室よりも近かった。
気になって食堂に行った輝は、ある人物に会う。
「おはよう輝くん。今日は起きるの遅かったのね。」
「はい。なんだか目が覚めなくて。」
であった人物は原田さんだった。彼女は他の看護師よりも一段と輝の面倒を見てくれる。
料理にも関心を持つところがあり、輝のご飯も彼女が作っていた。
「クッキー焼いてるんですね。すごくおいしそうです。」
原田看護師に近づいて、彼女の手先を見る輝はそう言った。
彼の言う通り、彼女はクッキーを焼いていた。
オーブンに入れてあるクッキーとすでに出来あがったクッキーが半分ずつぐらいあった。
いいにおいが漂う。
「今日は少しだけ小池先生に休暇をもらってね。これ、患者さんにあげようと思って。輝君もどうぞ。」
「いいんですか?」
「もちろんよ。貴方のためにつくったのもあるから。」
優しく微笑む原田看護師の親切さに輝は嬉しく、感謝した。
「じゃぁひとつもらいます。」
そう言って輝はひとつ、出来立てのクッキーを手に取り、そのまま口に運んだ。
「おいしいです!」
「そう言ってもらえるとうれしいわ。」
ちょうどいい色に焼きあがったそのクッキーは、一口食べただけで甘さがにじみ出た。
見た目だけじゃなく、本当においしかった。
「やっぱり料理上手ですね。毎回感心します。」
「ありがとう。もしよかったら作り方教えてあげる。」
「いいんですか?是非俺も自分で作ってみたいです。」
「いいわよ。まずはこれから。」
そう言って彼女は基本的な材料の説明からしていった。
彼女の教え方は優しくて、とても丁寧で、どんな人でもすぐに理解できる説明だった。
教わっている輝も教えている原田看護士も楽しくて、自然と笑顔になっていた。
そして理解力もよく、器用な輝は簡単に作り方を覚えていった。
*****
「ただいま。」
「お邪魔しますっ」
家の玄関には、正反対な表情をする拓也と愛莉がいた。
代表生徒としての仕事を果たすため、拓也と愛莉はいつものように今日も頑張っている。
そんなこんなで愛莉の要望により、拓也の家で課題を済ますことにしたのだ。
拓也は自分の家でそれを済ますことに対し、反対したのだが、まったく愛莉は言うことを聞かなかった。
嬉しそうな愛莉とは裏腹に、拓也はすこしびくびくしていた。その理由は後にわかる。
「おかえり兄ちゃん。・・・!?」
拓也の声を聞いて玄関まで出てきたありさは目の前の光景に驚いた。
そこには実の兄と、見知ぬ女の子がいる。
「その人だれ?」
「あ、私篠田愛莉。拓也の大切な人です。」
「篠田・・・・。」
拓也にそんな関係になった覚えはまったくもってない。
気がつけば愛莉が自分の腕をつかんで自己紹介をしていた。
「私は朝本ありさです。兄ちゃんの妹です。」
そう言ってありさは次に拓也のほうに目をやった。
それに気が付いた拓也は思わず目をそらす。
拓也がびくびくしていた理由がそこにあった。
「篠田、俺の部屋二階だから。」
「うんっ」
先を急ぐ拓也に笑顔で愛莉は応答し、彼の背中を追った。
そしてまた、ありさも二人の姿を目で追っていた。
「俺の部屋せまくてごめんな。」
「ううん。全然大丈夫だよ。」
「俺、お茶でもついでくるから。」
「わかったよ。まってる。」
部屋を観察する愛莉にそう言って拓也は自分の部屋を出た。
うるさくしないように、ドアをそっと閉めて顔を上げたまさにその時だった。
「ありさ・・・・・・・。」
目の前には眉間にしわを寄せた妹のありさの姿があった。
「にいちゃん、ちょっと話があるから下に降りて。」
「・・・・・あぁわかったよ。」
ありさの言うとおりにする拓也はそのままありさと階段をおりていった。
拓也はわかっていた。ありさがこれから言おうとしていることが。
そして何も二人はしゃべらないまま一階のリビングへ到着した。
「座って。」
真顔で言われた拓也はだまってそのままいすに腰掛けた。
ありさの表情はいたって真顔で、いろんな意味ですこし怖かった。
実の妹だけに、ありさのことは拓也もよく知っていた。
怒れば本当に怖い女の子だった。
「あの人と何か関係があるの?」
痛いところをつかれた。こうやって痛いところをつかれるのは何度目だろうか。
「何でそんなこときくんだよ。」
「だって兄ちゃんのそばに女の子がいるなんてありえないもん。」
『そこかよっ』と思わず拓也は突っ込みたくなったが、真剣な表情をするありさに突っ込むことは出来なかった。話を戻す。
「・・・・・アイツとは別になんでもねぇ。ただ同じ代表生徒の役員なだけだ。」
「そう。だといいんだけど・・・・・。ねぇそういえば輝先輩は?最近見ないんだけど。」
「輝とはいつも通りだよ。」
「また嘘ばっかり。」
ダメだった。ありさに拓也の嘘はきくはずも無かった。拓也は嘘がへたくそだ。
ましてやカンの鋭いありさに嘘をつくほうが間違えだった。
「兄ちゃんが嘘つく時って、いつも大抵瞬きが多くなったり、目が泳ぐんだもん。自分では気づいてないかもしれないけど。」
そうだったのかと自分でも初めて知った拓也。
拓也はありさの前で言う言葉を失ってしまった。
「そんな泣きそうな顔しないでよ・・・・・・。」
彼女の言うとおりであった。拓也は涙目で、今にも泣き出しそうな悲痛な表情を浮かべる。
ありさもそこまで鬼じゃない。彼女は一番に拓也と輝を想っているのだから。
「言いたくないなら何も言わないでいい。だけどこれだけは言わせて。絶対自分だけは見失っちゃダメ。」
そう言ってありさは自分の額を拓也の額と重ねた。そしてそっと彼女は目を閉じる。
「かっこ悪いよ兄ちゃん。」
「そんなことぐらいわかってる。」
鼻をすすらせて、拓也は涙を流していた。
「兄ちゃん、よく考えてみて。いつもそばにいてくれたのは誰?いつも支えてくれたのは誰?本当に大切にしたい人は誰?」
「輝だ。」
ありさの質問にためらうことなく拓也は即答した。
「ちゃんとわかってるじゃん。よかった。私、ちょっと安心したよ。」
「ごめんなありさ。いつもこんなんで。」
「私に謝るなんてらしくないよ。あの人きっと待ってるよ。早く言ってあげないとさすがにさびしそうにしてると思うよ。」
「あぁ。お茶ついでいってくる。」
ありさの言葉に同意して、拓也はお茶を二人ぶんついで二階へ戻っていった。
「さて、私はちょっと買い物にでも行こうかな。」
そう独り言をつぶやいたありさは一人で出かける準備をした。
*****
輝は手に小さなお菓子箱をもって歩いていた。
その中にはクッキーが入っていた。
そう、原田看護師から教わって作ったクッキーだ。
(拓也、本当にごめん。最後に一度だけ俺を許してほしい。)
そう思いながら歩いているうちにあっという間に拓也の家の目の前に着いた。
輝がこの場所に来た理由はひとつだけだった。
心をこめて作ったクッキーを拓也に渡すつもりなのだ。
それはほんの最後の自分へのわがままだった。
(これで最後だ・・・・・。本当に最後なんだ・・・・・。)
心の中でそうやって何度も自分に言い聞かせた。これで最後。
拓也と会うのも、拓也と話すのも全部全部、これで最後。
最後だけ一度彼に会おうとした自分が情けなく感じていた。
自分は身勝手でわがままなやつだ、そう思った。
いざとなってはなかなか勇気が出せなかった。緊張して体がうまく動かなくなる。
クッキーを落としてわってしまわないように、しっかりと片手で握る。
そして震える手で呼び鈴を鳴らそうと差し掛かったときだった。
『あははっ拓也面白い!でもそのアイディアナイスかも!』
『そうか?じゃぁこうしようよ。』
玄関のドア越しで、人の会話が聞こえてきた。
それはやはり拓也と愛莉の声で、楽しそうな声だった。
押そうとしていた呼び鈴も、その声を聞いた瞬間に完全に押せなくなった。
指が震えてうまく動かせない。
(やっぱり・・・・渡せないや・・・・・。)
今ここで呼び鈴を鳴らせば、二人の仲を邪魔してしまう。
輝は人の幸せを壊すことが大嫌いだった。
クッキーの入ったお菓子箱を強く握り締めて、輝は口を固く閉ざしてしまった。
そうすることで、必死に自分の想いを殺した。
帰ろう、そう思った。自分の足を後ろに踏み出して振り返り、元来た方向へ歩き出す。
そして道端にあったベンチに座った。
苦しかった。本当はすごく苦しかった。
だけど、輝はわかっていて苦しくても自分の身を引いた。
拓也の隣には愛莉がいる。もう拓也の隣は愛莉で、自分じゃない。
辛くて何度でも泣き出しそうになった。クッキーだって渡したかった。
あのあと原田看護師に急用が出来た後も、輝はクッキーを作っていた。
本当は一発目からうまい具合にクッキーは出来上がっていた。
だけど、輝は最高においしいクッキーを拓也に食べてもらいたかった。
だから、必死で真心こめて丁寧に作って味見した。
自分が納得いくまで何度も何度も作り直した。
拓也のことを想うと、肉体的な疲れも簡単に乗り越えられた。
そしてやっと一番自分の納得いくクッキーが今この手の中にある。
だけど食べてもらえる主はいない。
輝は腰掛けたまま顔をうつむかせた。そのときだった。
空から何かが降ってくる。
白くて、冷たくて、はかなく消えていく小さなもの。
雪だ。もう気が付けば12月の中旬だった。
今日のこの雪が初雪である。
雪の降る寒い中、たった一人で輝は涙をこらえる。
「輝・・・・・・先輩?」
急に女の子の声がきこえた。
「ありさ・・・・ちゃん?」
輝は声に反応して顔を上げた。
寒い中、厚着もしないで一人で座っている輝に、ありさは心配そうな表情を浮かべた。
「久しぶりだね、ありさちゃん。」
「お久しぶりです。どうしたんですかこんなところで。風邪ひいちゃにますよ。」
そう言って買い物目的で近くのコンビニに向かう途中であったありさは、
自分の手に持っていた傘の中に輝を入れ、彼の頭に積もった雪を優しくはらった。
「気を使ってくれてありがとう。」
「いいんです。隣、いいですか?」
「どうぞ。」
輝はベンチのスペースを空けた。
「それなんですか?」
彼の隣に腰掛けたありさは、小さなお菓子箱を見て言った。
「これ?この中にクッキーが入ってるんだ。俺が作ったクッキーなんだけど。」
「自分で作ったんですか?すごいです!」
ありさは心から輝に関心した。
「誰かにあげるんですか?」
「・・・・・うん。」
一瞬だけ輝はためらった。その行動にありさは違和感を感じる。
「・・・・・何かあったんですか?変なこと聞いてごめんなさい。」
「ううんいいんだ。・・・・・実はこれ、拓也に渡したかったんだよ。」
思ったとおりだった。ありさには彼の様子からおおよそのことに想像がついていた。
「渡しに行かなかったんですか?」
「行ったよ・・・・・だけど渡せなかった。」
輝はもう一度顔をうつむかせる。涙がでそうになるのを抑えた。
「輝先輩、本当に渡せなくていいんですか?兄ちゃんのために一生懸命つくったんですよね?私には輝先輩の一生懸命さがわかります。」
「ありがとう。本当は渡したいんだ・・・・・。だけどダメなんだ。出来ないんだ。」
「・・・・・どうしてですか?」
「もう拓也に会っちゃだめだから・・・・。」
「どうしてそんなこと・・・・・・。」
「ありさちゃんの家にいた女の子いただろ?拓也とあの子はきっと両思いなんだよ。」
(ちがう・・・・ちがうよ輝先輩・・・・・。兄ちゃんが本当に愛してるのは・・・・・・。)
そう伝えたかったありさだったが、うまく言葉で話せなくて言うことが出来なかった。
「二人が幸せならいいんだ。俺がいたら邪魔なんだよ二人にとって。だから、俺はこのままでいいんだ。例えこれが渡せなくても、二人の幸せを邪魔しないならこれでいいんだ。」
輝のあまりにも誠実な言葉にありさは心を痛めた。
思わずこちらが泣いてしまいそうになる。
「輝先輩が渡せないなら、私が兄ちゃんに渡します。」
「え?そんなのありさちゃんに悪いし拓也にも・・・・。」
「そんなこと絶対にないです。」
ありさは立ち上がり、輝が手に持っていたお菓子箱を取った。
「これ以上こんなところにいたら風邪引きますよ。これ、あげます。」
そう言ってありさはポケットに入れていた暖かいカイロを輝に差し出した。
「兄ちゃんにうまく言って渡しておきます。心配は要りません。兄ちゃんのことならよくわかってますから。」
「ありがとうありさちゃん。本当にごめんね。」
「そんなに謝らないで下さい。輝先輩と兄ちゃんのためなら何でもしますから。」
そう言ってありさは彼に笑顔を見せて、自分の家に向かって走っていった。
そんな彼女に感謝して輝は姿が見えなくなる最後まで、彼女を見送った。
(ありさちゃんごめんね・・・・・。拓也ごめんね・・・・・。)
輝は感謝すると同時に、心を痛めた。
*****
「拓也、今日は有難う!」
「構わないよ。早くやること済ませような。」
拓也は静かな笑顔で愛莉を玄関まで見送った。
「ヒマなときはいつでも遊びに来るから。」
「はいはい。」
そう言って拓也は軽く受け流し、愛莉に手を振った。
玄関のドアがしまる。
ガサッ
愛莉の姿が見えなくなった矢先に、後ろから急に物音がした。
不思議に思った拓也はその音の発生源へ足を運ばせる。
「ありさか。いつの間に帰ってたのか。」
物音を立てたのはありさだった。
なにやらありさから鼻をすする音が聞こえてくる。
「・・・・・どうしたんだよ。お前が泣くなんて珍しい・・・・。」
少し驚いた拓也はありさの肩を軽くつかむ。
ありさは輝の気持ちと言葉に感情が高ぶり、一人で泣いてしまっていたのだ。
ありさは拓也のほうを振り向いて何かを彼の目の前に差し出した。
「お菓子箱?これどうしたんだ?買ってきたのか?」
「違うわよ!ちゃんと読んでよ!」
わかっていない拓也にありさは言葉を投げ捨てた。
拓也はお菓子箱にもう一度目をやった。
よく見てみると、お菓子箱のそばに手紙のようなものが添えてあった。
あて先には『拓也』と書いてある。
「これ、輝先輩からのプレゼント。」
「!?」
ありさに言われた拓也は驚きの表情を隠せなかった。
落とさないようにありさからそっと手渡しでそれを受け取る。
一緒に差し出された手紙を拓也は大切そうに読んだ。
『拓也、ごめんなさい。ほんとはこんなことするべきじゃないってちゃんとわかってた。
自分勝手でわがままな俺でごめん。
本当にこれで最後だから、だから一度だけ俺を許してほしい。
一生懸命何度も作り直したクッキーを食べてほしい。
嫌だったら捨ててもかまわないから。ほんとうにごめんなさい。』
手紙には上手で丁寧な字でそう書かれていた。
拓也の目に手紙を読んだ瞬間涙がたまっていった。わがままなのは自分のほうなのに。
本当に謝るべきなのは自分なのに。何も悪くない輝は何度も自分にあやまる。
苦しい想いをさせてるのはこっちなのに、いつだって輝は自分を悪く思って、悪いことをしてないのに自分から謝っていた。
そんな彼の人柄に、拓也もありさも何度も心を打たれた。
「兄ちゃん食べてあげて・・・・・私からもお願いだから。」
ぽろぽろと涙を流すありさは真剣だった。
「当たり前だ。」
悲痛の表情を浮かべる拓也は箱を開け、ひとつクッキーを手に取って口に運んだ。
一口噛んだだけで、甘さが広がっていく。
味の甘さだけじゃなく、輝の想いも全部全部伝わってく気がする。
拓也はそんな真心のこもったクッキーをゆっくり一回一回味わって食した。
一つ目のクッキーを飲み込まないうちに涙のほうが先にたくさん流れた。
「おいしいよ。おしいしよ輝・・・・・。」
頬を赤く染めた拓也は泣きながらそういった。
おいしいって伝えられない。御礼もいえない。謝れもしない。
そんな自分がいつだって大嫌いで、何度も同じことを繰り返す自分が大嫌いで。
こんなにひどいことを何度も繰り返ししても、輝はいつだって自分は悪くないのに謝る。
こんなに傷ついてまで自分のためにしてくれる輝は、自分の中で最高に大切な存在で、大好きな存在で。
なのに自分は何も輝のためにやってやれない。
苦しめてばかりで、何の幸せにもしてやれていない。
いつだって何の恩も返せない。
自分がたまらなく情けなくなった。
「兄ちゃん、これは私の勘なんだけど、たぶんあの女の子きっと兄ちゃんに惚れてるよ。」
ありさの言葉に拓也は黒目を点にした。
彼女の勘はまたもや的中していた。それに対する拓也は鈍感で気が付いていなかった。
「そんなわけ・・・・・。」
「あるよ。さっき会った輝先輩も言ってた。もう全部きいちゃったよ・・・・・・。
輝先輩、兄ちゃんとあの子が両思いなんだろうと思って、わざわざ自分の身を引いたんだよ。
邪魔しないようにって、自分は邪魔だからって。
だから自ら姿を見せないようにしたんだよ、輝先輩は・・・・・・。」
「そんなの違う、違うよ輝・・・・っ。」
拓也は目を硬くつぶって涙をぽろぽろと流した。
輝にそう思われるのは無理も無いことだった。
あんなにも二人が毎日くっついていたのだから。
拓也はそれを望まなかった。しかし、愛莉のとる行動がそのようにとらえさせる。
「兄ちゃん、私知ってるんだよ。誰よりも輝先輩を大切に想っていることを。」
「あり・・・・さ?」
「兄ちゃんが誰よりも輝先輩を愛してることを。」
「!?」
ありさに内心を見抜かれた拓也は驚いた。
彼女が自分の気持ちに気が付いているなんて思っても見なかったから。
「ありさ、お前・・・・。」
ありさはそう告げて、拓也の涙をふき取った。
「早く輝先輩を悲しみから救ってあげて。早く、早く・・・・・・。」
拓也はありさの言うことに従いたい。だけどそうすれば愛莉はどうなる。
輝を選べば、愛莉が悲しむ。もう一緒に帰らないだなんて言えない。
でも言わない限り輝との関係はずっとこのままで、もっと輝に辛い思いをさせてしまう。
拓也はどうしていいかわからなくなっていた。
只今はこの場で泣くことしか出来なかった。
(なんで俺はこんなにも弱い人間なんだろう・・・・。)
*****
雪の積もった地面の上を、いつものように愛莉と拓也は歩いていた。
「わー雪がこんなに積もってるよ。」
「そうだな。」
雪を子供のように楽しむ愛莉に、拓也は優しく応答した。
「私、幸せだよ。拓也と一緒に雪の上を歩けて。」
「幸せなんて大げさだよ。」
『幸せだよ。』
そんな言葉に拓也は少し用心深くなってしまった。
ありさが言っていた言葉が頭に残っている。
愛莉は本当に自分のことがすきなのだろうか。今だに信じられないでいる。
ずっと学校中の生徒に避けられていた自分が、女の子に好まれるなんて考えづらかった。
そんな彼に対し、ルンルンの愛莉は拓也の目の前に立ち止まる。
「ん?どうしたんだ?」
「ちょっと大切な話があるの・・・・・。」
もったいぶる愛莉は、頬を赤く染めて何かしら女々しい。
「私実はね・・・・・。」
うつむいた愛莉の頬は本当に真っ赤になってしまっていた。
鈍感な拓也はここまできても、この状況を読み取れない。
「私ね、拓也のこと・・・・すっ、すきなの。文化祭のライブのときから好きだったの。一目ぼれしちゃったの・・・・。」
恥ずかしくて目をつぶって言う愛莉の恋は初恋で、この告白は彼女にとって初めての告白だった。
その言葉を聞いて拓也は固まってしまった。
ありさの言うとおりだった。初めて告白された拓也は、次にどうすればいいのかわからない。
その時だった。
拓也がびっくりして驚いていると、後ろから誰かが雪を踏む音がした。
愛莉と拓也が同時にその音の方向へ振り向く。
そして二人は驚いた。目の前には二人の知る、輝の姿があった。
そして輝と拓也の視線がぶつかってしまう。
「ひか・・・・る。」
辺りの空気が一瞬で怪しくなっていった_____