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2.初めてのはずの島

2.初めてのはずの島

__翌日。


星那は朝から落ち着かなかった。


制服に袖を通している時から、ずっと胸の奥がざわついている。


鏡の前で髪を整えても、何度も前髪を触ってしまう。


朝ごはんの味もよく分からなかった。


「星那? 大丈夫?」


母に聞かれて、慌てて頷く。


「う、うん」


でも本当は全然大丈夫じゃなかった。


昨日、神社で会った少年。


“ゆき”にそっくりだった人。


もし今日、また会ったら。


もし本当に同じ学校だったら。


そんなことあるわけないと思うのに、心のどこかで期待してしまっている。


期待して、違った時が怖かった。


だから星那は、自分に何度も言い聞かせていた。


__似てるだけ。


__ただの偶然。


__あの子じゃない。


そう思わないと、胸が苦しくなった。


学校へ向かう坂道でも、落ち着かなかった。


海沿いを歩きながら、何度も昨日のことを思い出してしまう。


__提灯の灯り。


静かな目。


『俺、この島に来たの初めてだから』


あの言葉。


忘れているだけなのか。


本当に別人なのか。


考えれば考えるほど分からなくなる。


教室へ入っても、星那はずっと窓の外ばかり見ていた。


潮風でカーテンが揺れる。


クラスメイトたちの声が遠い。


教科書を開いても、文字が頭に入らない。


シャーペンを持つ指に、じんわり汗が滲む。


そして。


「__今日から転校生を紹介する」


担任の声。


その瞬間、心臓が大きく跳ねた。


教室がざわつく。


星那は無意識に、扉の方を見ていた。


「東京から来ました。志水冬雪です」


静かな声。


その声を聞いた瞬間、星那の呼吸が止まる。


教室の扉の前に立っていたのは、昨日の少年だった。


__白い肌。


__眠たそうな目。


__儚げな空気。


やっぱり似ていた。


いや、似ているなんて言葉じゃ足りなかった。


八年前の“ゆき”が、そのまま大きくなったみたいだった。


星那の喉が乾く。


胸の奥が苦しい。


頭では違う人かもしれないと思っているのに、心が勝手に期待してしまう。


「よろしく」


短い挨拶。


女子たちが小さく騒ぎ始める。


「え、かっこよくない?」


「なんか雰囲気すごい」


「東京の人って感じ」


そんな声が聞こえる。


でも星那には何も入ってこなかった。


冬雪が歩く。


ゆっくりと。


そして。


__星那の隣の席で足を止めた。


椅子を引く音。


近い。


近すぎる。


星那は思わず姿勢を固くした。


すると冬雪が、小さく言った。


「……昨日の神社の人だよね」


「あ……う、うん」


声が少し裏返る。


自分でも分かるくらい緊張していた。


「びっくりした。同じクラスだったんだ」


自然な笑み。


演技しているようには見えない。


だから余計に、星那は混乱した。


本当に覚えていないんだ。


もし“ゆき”なら、どうして。


もし別人なら、なんでこんなに。


星那は視線を落としたまま、小さく聞く。


「……志水くんは」


“冬雪くん”とは呼べなかった。


まだ怖かった。


期待してしまうのが。


「どうして、この島に来たの?」


そう聞くと、冬雪は少しだけ目を伏せた。


「父親の仕事の都合」


「仕事?」


「しばらくこっちの病院にいるらしくて。俺もついてきた」


病院。


その言葉が少し引っかかる。


「志水くん、体悪いの?」


「いや。俺じゃなくて父親」


そう言って、冬雪は窓の外を見る。


青い海。


静かな波。


その横顔を見ていると、星那の胸がまたざわつく。


懐かしい。


なのに遠い。


「……でも」


冬雪がぽつりと呟く。


「なんか変なんだよな、この島」


「変?」


「初めて来たはずなのに、知ってる感じがする」


星那の肩が小さく揺れた。


「神社までの道も、なんとなく分かったし」


昨日の姿を思い出す。


迷わず細い坂道を歩いていた。


島の人しか使わないような道を。


「あと、昨日」


「……昨日?」


「神社で鈴の音聞いた時、懐かしいって思った」


冬雪は不思議そうに笑った。


「変だよな。来たことないのに」


星那は答えられなかった。


胸が熱い。


期待したくないのに、期待してしまう。


でもまだ、“冬雪くん”とは呼べなかった。


その名前を口にすると、本当に“ゆき”だと認めてしまいそうで怖かった。


だから星那は、自分の中で線を引くみたいに、“志水くん”と呼び続けた。


__昼休み。


星那は逃げるように屋上へ向かった。


潮風が強い。


金網の向こうに広がる海は、昼でも綺麗だった。


「はぁ……」


深く息を吐く。


頭の中がぐちゃぐちゃだった。


__嬉しい。


__怖い。


__懐かしい。


__苦しい。


全部が混ざっている。


もし本当に“ゆき”なら。


どうして忘れたのか。


どうしていなくなったのか。


そして、また消えてしまうんじゃないか。


そんな不安まで湧いてくる。


すると。


屋上の扉が開く音がした。


振り返ると、冬雪が立っていた。


「あ、いた」


「……え?」


「教室うるさくて。逃げてきた」


その言葉に、星那の胸が強く揺れる。


『……君も、逃げてきたの?』


八年前の声。


同じだった。


あまりにも。


星那は思わず小さく笑ってしまう。


「なに?」


「……なんでもない」


冬雪は星那の隣に立って海を見る。


沈黙。


でも嫌じゃない。


その感覚まで、あの日と同じだった。


「島居さんってさ」


「え?」


「昔からこの島に住んでるの?」


「うん。ずっと」


「そっか」


冬雪は目を細めた。


「いいな。こういう場所」


「東京は嫌だった?」


「嫌っていうか……息苦しかった」


少し寂しそうな声。


「人多いし、うるさいし。ずっと何かに追われてる感じで」


そして空を見る。


青い空。


流れる雲。


「でもここ、静かだから」


風が吹く。


その横顔を見ながら、星那は思う。


少しずつ。


本当に少しずつ。


“志水くん”という呼び方が、自分の中で遠くなっていることに。


まだ怖い。


でも。


この人をもっと知りたいと思ってしまっている。


「夜も綺麗だった」


「……星の海?」


星那がそう言うと、冬雪は少し驚いた顔をした。


「え?」


「この島の人、そう呼ぶの。海に星が落ちるみたいだから」


冬雪はその言葉を繰り返す。


「……星の海」


その瞬間。


冬雪の表情がわずかに揺れた。


懐かしいものを見るように。


「……その言葉」


「?」


「なんか、知ってる気がする」


星那の胸が締め付けられる。


忘れていても。


きっとどこかには残ってる。


あの日の記憶が。


すると冬雪は、ふっと笑った。


「俺さ、昔から変な夢見るんだ」


「夢?」


「星がめちゃくちゃ綺麗な場所で、女の子と話してる夢」


星那の呼吸が止まる。


「顔はよく見えないんだけど」


冬雪は遠くを見る目をした。


「でも、その子」


静かな声。


風に溶けそうなほど小さな声で。


「ずっと泣きそうな顔してるんだ」


その瞬間。


星那の胸の奥で、“志水くん”という呼び方が、少しだけ崩れた気がした。

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