【第2話】漆黒の鎧を纏え
黒薔薇帝との訓練初日。
俺は、まず様子見として、普通に発声練習か、ダンスの基礎あたりから始まるものだと思っていた。
思っていたのだが――
「まずは漆黒の鎧を鍛える」
開口一番、それだった。
「……漆黒の、鎧?」
そんな装備あったか?
思わず首を傾げたが、黒薔薇帝は真顔だった。
「そうだ」
鎖のついた黒いロングコートを翻しながら、重々しく頷く。
「来い。闇を纏う準備をしろ」
そう言われて、なぜか床にマットが敷かれた。
意味がわからないまま眺めていると、黒薔薇帝はマットに仰向けになる。
次の瞬間。
「フンッ!!」
彼の上体が、異様な速さで起き上がる。
腹筋。
完璧なフォーム。
しかも、動きに合わせてコートの裾がひらりと舞い、なぜか散る黒薔薇。
――無駄にかっこいい。かっこいいが。
「……ただの腹筋ですよね?」
俺が恐る恐る言うと、黒薔薇帝は起き上がったまま、こちらを睨んだ。
「『ただの』など存在しない。腹筋一回一回に、己の美学を刻め」
重すぎる。
「いいか、カイ。ステージとは戦場。視線は刃、歓声は衝撃波、嫉妬は毒だ」
物騒すぎる例え。
「そのすべてを受け止めるのが、腹筋だ」
腹筋で!?
結局、俺は腹筋をすることになった。
本当に普通の腹筋だ。回数も、やたら多い。
どれくらい経ったのか分からない頃、ようやく「よし」と声がかかる。
「次だ」
次?
「我が弟子となるからには、習得せねばならない秘奥がある」
「秘奥、ですか?」
俺は一瞬、歌唱法か何かを教わるのかと思った。
黒薔薇帝は、俺の前にすっと立つ。
「視線は――45度上空」
「……はい?視線?」
「そうだ――見るがいい」
黒薔薇帝は目を閉じ――刹那、紫の瞳をすっと上空に向けた。
「……っ?」
俺は目を疑った。
黒薔薇帝の顔から、目が離せない。
もともと異様に整った顔立ちだが、それとは別だ。
黒薔薇帝の背後だけ、後光が射したように輝いて見える。
ありもしない黒薔薇の影すら見える。
……いや、どうなってんだ、これ?
唖然としている俺に、黒薔薇帝はさも当然のように告げた。
「真正面は野暮、横顔は無粋。これぞ『セレスティアル・アングル45』。我が至高の美学だ」
……全く意味がわからない。
「さあ、お前もやってみろ」
言われるがまま、斜め上を見る。
「そうだ。そのまま、流し目」
「流し目?」
「散りゆく黒薔薇のように、儚くも美しい美を、観客に刻みつけるのだ」
それ、どんな美だ?
理解はできなかったが、とりあえずやってみる。
「……こうですか?」
「いい。だが、まだ足りない」
足りないらしい。何が足りないのかは全然わからない。
「次は、決めポーズだ」
黒薔薇帝は、自ら見本を見せた。
胸に手を当て、顎を少し上げ、視線はやはり45度上空。
「ここで名乗る」
「……名乗る?」
「己の存在を、世界に刻み込むのだ」
そうして放たれた言葉。
「我が名は――黒薔薇帝✝アモーレ✝デスペラード」
――やっぱり、すごい芸名だ。
だが、妙に堂々としている。
「次。お前だ」
「……俺も、ですか?」
「当然だ」
逃げ場はなかった。
俺は、腹筋で少し震える足を踏ん張り、言われた通りの姿勢を取る。
胸に手。
視線は45度上。
……恥ずかしい。
これは、明らかにおかしい。
でも――黒薔薇帝は、真剣だった。
一切、ふざけていない。
だから俺は、思ってしまった。
これが……アイドルなのか?
「……カイです」
名乗ると、黒薔薇帝は頷いた。
「そうだ。しかし、お前が本当に告げるべき名は別にある」
「?」
「運命を背負った名だ」
嫌な予感がした。
「いずれ、お前には薔薇の名が与えられる」
その時、俺はまだ知らなかった。
自分が後に
「闇薔薇✝ゴージャス✝王子」
などという、人生最大級の呪いを背負うことを。
腹筋と視線の角度が、あんな未来に繋がっていたことを――。




