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事件編

 とある昼下がり。住宅街の一角にある、何の変哲もない一軒家のインターフォンを鳴らす。待つこと二分、玄関のドアが開かれた。眼鏡をかけた、白髪まじりの男が顔をのぞかせる。


「お待ちしておりました。和戸村(わとむら)先生、ですね?」


「はい。先生ではないですけどね」


 和戸村は苦笑する。もうすぐアラサーだというのに、学生と間違われる回数は一向に減らない。先生などと敬意を持って扱われるのは珍しい。顔をホクホクさせながら玄関の敷居をまたぐ。


 玄関は物で溢れていた。革靴や女物のブーツなど、靴箱の下までぎっしりだ。靴箱の上には木彫りの熊に金魚鉢などで埋め尽くされ、その脇にチラシの束が雑に置いてある。生活感満載だ。


 和戸村は脱いだ靴を綺麗に揃えて端に寄せると、荷物片手に上がり込む。


「にゃあん」


 その時、もう一匹の住人に声を掛けられた。声の方に視線を送ると、真っ黒の成猫が靴箱の上に鎮座していた。香箱座りというやつだ。雑多に置かれた小物の中に上手に紛れ込んでおり、鳴き声がなければ気づかないところだった。和戸村が顔を覗き込むと、黒猫はスッと目を細めた。


「かわいい猫ちゃんですね」


「ええ、うちの大事な家族ですよ」


「お名前は何というんですか?」


「ホームズ、といいます。変な名前ですよね」


「いえいえ! なんだかとても親近感が湧く名前です」


 猫トークで盛り上がりつつ、男の案内で玄関ホールを抜けてリビングへと向かう。リビングは思った以上に整理整頓されていた。目立つのはテレビにダイニングテーブルくらいで、隅々まで掃除が行き届いている。和戸村は興味深く部屋を眺めながら、促されるままにテーブルの一席へと腰かけた。


「ほら、先生も、どうぞ」


 和戸村はそう言うと、もう一人の男――無理やり首根っこを掴んで連れてきた、見るからにやる気なさげな男を隣の椅子へと引っ張り上げた。男はだらしなくもたれかかり、ぶつくさと文句を垂れている。


「どうぞ、とはなんだ。無理やり引っ張ってきてひどいじゃないか、和戸村君」


「そう言われましても……ぜひ先生に依頼したいと連絡いただいたんですから」


「君が受けたんだから君が責任をもって対応すればいいだろう」


「そんなわけにはいきません。ほら、仕事ですよ。一生懸命頑張りましょうよ」


 そんなやり取りを申し訳なさそうに眺めていた男が、和戸村たちの正面に腰かける。


「すみません、深謀(しんぼう)先生。つまらない依頼で恐縮ですが、どうぞお力をお貸しください」


「滅相もない! どんな依頼も全力で取り組む、それが我らが深謀探偵事務所のモットーですから!」


「空元気はよせ、和戸村君。この名探偵、深謀(まこと)を呼びつけておいて、依頼内容が『失くしたスマホを見つけてほしい』だって? ふざけてるとしか思えない」


 和戸村とてその依頼内容に思うところがないわけではない。しかし、仕事は仕事である。一方、依頼人の男はというと、さらに恐縮して身を縮こまらせている。


「それについては、本当に申し訳なく……」


「ま、まあまあ、深謀先生」


 和戸村は男が不憫に思えてきて、すかさず助け舟を出した。


「この方、最近大人気の作家先生ですよ? 芥川虎二郎(あくたがわとらじろう)先生。ほら、『猫の毛玉』って小説、聞いたことないですか? 最近映画化もされて」


「知っている。昨日、担当編集が何者かに殺害されたという、何かと話題の人物だ」


「深謀先生、そういう言い方は……」


 和戸村は遠慮がちに言葉を挟んだが、深謀は意に介す様子はない。


「しかし、芥川氏は犯人ではない」


「え? もう真相が分かったのですか?」


 和戸村は目を輝かせて深謀の言葉を待つ。しかし、続く言葉はない。一方の芥川は、苦笑いしながらハンカチで額の汗を拭っていた。


「信じていただけたようでなによりです。それに昨日は、新作の出版イベントで一日中本屋を巡り歩いていましたから。彼に会いに、まして殺しに行く時間なんてありませんでした」


「鉄壁のアリバイですね!」


 和戸村の言葉に芥川は大きく頷く。そして、深謀に向かって真っすぐ座り直すと、真剣な表情で頭を下げた。


「あのスマホには、私の大事な作品のアイディアがたくさん詰まっているのです。どうか、先生のお力で探していただけないでしょうか?」


「しかし……」


 相変わらず深謀は眠たそうにそっぽを向いている。そんな深謀に、芥川は手元の紙に報酬額を書いて示した。そっと覗き込んだが、目玉が飛び出る。相場の十倍近い。さすがは、大作家先生だ。


「お受けしましょう」


 深謀は一瞬のうちに姿勢を正すと、力強く頷いて見せた。





「……というわけで、深謀先生にご連絡させていただいて、今に至ります」


 和戸村たちは芥川の今日の行動を聞き出し、スマートフォンの在処を探っていた。しかし、さっぱり分からない。そもそも、話を聞いて簡単に分かるくらいなら、芥川が自分で見つけられているはずなのだ。


「洗濯物」


 深謀がいきなり、ポツリと呟いた。


「深謀先生、どうかしました?」


「ここに来るとき、この家の二階に洗濯物が干してあっただろう」


 深謀に言われて思い返すが、まったくもって記憶にない。


「先生、よく見てましたね……」


「当然だ。そしてその中にあったYシャツがしわだらけだった。よほど急いで干したのだろうな」


「なるほど?」


 何かの理由で急いでいたのであれば、それがスマートフォンを失くすキッカケだったかもしれない。しかし、芥川は言いづらそうに切り出した。


「……それなんですが、あのYシャツはかなり古いものでして。袖口のシミが取れないので、もう雑巾にでもしようかと。それで、とりあえず乾けばいいかと適当に干していたんです」


「先生、全然関係ないみたいです」


 和戸村は残念そうに深謀を見たが、深謀は今度はキッチンの方を見つめている。


「ティーカップ」


「今度は、なんですか?」


 和戸村が尋ねると、深謀は椅子から立ち上がった。そのままキッチンのカウンターの前に向かう。


「ティーカップが二客置いてある。中に入っているのは、紅茶だ。つまり、芥川氏以外にもう一人……来客がいたということだ」


「つまり、その来客のときに何かがあったと! そういうことですね!」


 和戸村は今度こそ間違いない、と芥川に視線を向ける。ところが、芥川はやはり微妙な表情だ。


「えー、それはですね……私はティーバッグの紅茶をよく飲むのですが、あれって一杯分だけ作るのがもったいないと思いませんか? なので、無駄に二杯分作ったりするんですよね」


「芥川先生、意外に庶民派なんですね……」


 当てが外れて、和戸村は肩を落とした。しかし、その時芥川が何かを思い出したかのようにポン、と手を叩いた。


「来客と言えば、二時間前くらいに出版社の担当者から電話がありまして。最初はうちに来るという話だったんですが、電話で済みそうだったので結局無しになったんですよね」


「つまり、結局なにもなかった、ということですね……」


 新情報かと思いきや、関係なさそうだ。和戸村は諦め半分で深謀に視線を送る。深謀はティーカップをジッと見つめながらつぶやいた。


「電話、と言いましたかね」


「……あっ」


 和戸村と芥川は思わず声を合わせた。電話をした。ということは、その時点では芥川はまだスマートフォンを持っていたことになる。


「芥川先生! 電話があった後の行動を洗い出しましょう! そこから今までの間に何かがあったはずです!」


「はい!」


 和戸村と芥川は一気にやる気を取り戻し、電話以降の出来事を順番に整理していった。





 手がかりは、見つからなかった。芥川が電話をしたのはおよそ二時間前。それだけしか経っていないというのに、どこでスマートフォンを失くしたのか見当もつかない。


「深謀先生、どうにかなりませんか?」


 深謀は再び椅子に腰かけ、先ほどのティーカップの紅茶を勝手に飲んでいた。深謀はふむ、と顎に手を当てて何やら考えている。


「和戸村君、行動を追うべき人物を間違っているのではないか?」


「え?」


 意外なことを言い出す深謀に困惑する。


「間違ってるって、スマホを失くした芥川先生本人の行動を追うしかないじゃないですか」


 そんなこと当たり前だ、と首を傾げる和戸村を見て、深謀はやれやれと首を横に振る。


「君だよ、和戸村君。君の今日の行動を洗ってみたまえ」


「ぼ、僕のですか?」


 意味がない、と思うのだが、深謀は意味のないことは言わない。和戸村は指を折って今日の行動を思い出す。


「しかし、事務所に出勤して、書類整理をして……それから、芥川先生から連絡が来て、ここに来ただけですよ?」


「連絡が来て、か。それはどんな連絡だったのか」


「どんなって……普通に、いつも通り事務所の電話ですよ。芥川先生からの…………あ」


 なんでこんな単純なことに気づかなかったのか。和戸村は頭を抱えた。


「芥川先生、僕に電話してるじゃないですか!」


「た、確かに!」


 つまり、およそ一時間前、芥川が和戸村に連絡したときにも、まだスマートフォンはあったことになる。


「……あれ? でも、ちょっと待ってください。芥川先生、その電話の中で、『スマホを失くした』って言いましたよね? でも、その時その右手には……」


 芥川はバツが悪そうに首をすくめた。


「は、はい。失くしてなんかいなかった、ということになりますね……」


「芥川先生! 身体検査をさせていただきますよ!」


 和戸村は芥川に駆け寄ると、全身をくまなくチェックしていく。しかし、スマートフォンは見つからない。


「深謀先生、見つかりませんよ? 芥川先生の勘違い、ってことじゃなかったんですか?」


「落ち着きたまえ。それよりも先に確認すべきは、それだ」


 深謀がダイニングテーブルの奥を指差す。身を乗り出して覗き込むと、テーブルの陰に隠れていた何かが確かに窓際の床に置いてある。


「これは、こたつ……ですか。それも、猫用の」


 猫一匹がちょうど入るかというくらいのサイズのテーブルに、カラフルな毛布が掛けられている。何ともかわいらしい。


「最近肌寒くなってきたからな」


 そうこぼす深謀は、引力に逆らえないとばかりにこたつに吸い寄せられていく。


「せ、先生、それは猫用です。さすがに人間が入るには……」


 遠慮がちに止めに入った和戸村だったが、意外にも芥川が素早く立ち上がり、深謀とこたつの間に割って入った。


「深謀先生! こ、このこたつは故障していますので触ると危ないです! 下がってください!」


 芥川の口調は真に迫っている。そこまで強く止めなくてもという気がするが、たしかに感電でもしたら一大事だ。


「深謀先生、そういうことですからこたつは諦めてください。スマホ探しに戻りましょう」


 和戸村の言葉に、深謀は意外にも素直に従った。いつもなら駄々をこねる場面だが、深謀は何かを確信したとばかりに深く頷き、そのまま玄関へと向かって歩き出す。


「先生?」


 深謀は無言だ。推理モードに入った深謀の口数が減るのはいつものことだ。和戸村はすぐに深謀の後を追った。





 和戸村が玄関にたどりつくと、深謀は靴箱の上に鎮座する黒猫とにらめっこをしていた。後ろから、不安な表情をした芥川もやってくる。


「先生、一体どうしたんです?」


「猫用のこたつが壊れていた」


 深謀は猫をジッと見つめたまま、静かに語り出した。


「私が思わずこたつに吸い寄せられるほど、肌寒い季節なのだ。こたつで暖を取れないのはつらかろう」


 猫と遊んでいるだけだった。和戸村はため息をつく。


「……先生。そろそろ本腰を入れて推理をしては?」


「ほら、こちらへおいで。身を寄せ合い暖まろうじゃないか」


 深謀は黒猫に向かって手を差し出す。


「ミ゛ャァァ!!!」


「うわっ」


 黒猫は怒りの声を上げながら深謀へと飛び掛かった。深謀は情けなくしりもちをつく。黒猫は目にも止まらぬ速さでリビングの方へと駆け出していき、あっという間に姿を消した。


「先生!」


 和戸村が駆け寄る。見ると、深謀の左手には真新しいひっかき傷に血がにじんでいる。


「先生、余所様の猫にちょっかいを出すから、そんなことになるんですよ」


 そうは言ったものの、さすがに気の毒だ。和戸村は助け起こそうと手を伸ばしたが、深謀は涙目になりながらも、そっと黒猫がいた場所を指差した。そこあったのは、一台のスマートフォン。


「こ、これは!」


「私のスマホです!」


 和戸村は驚愕に目を見開き、芥川は歓声を上げた。


「……スマホとは、存外に熱を持つものだ。猫が湯たんぽ感覚で使ってもおかしくない」


「な、なるほど!」


 深謀はしっかり推理をしていたのだ。和戸村は、猫と遊んでいると思い込んでいた自分を恥じる。今度お詫びに、事務所にこたつを設置しよう。そう考えながら、芥川に向かってスマートフォンを示した。


「さ、芥川さん。ご依頼のスマホが見つかりました」


 芥川は安堵の表情でスマートフォンへと近づく。そして手に取ろうとした瞬間、深謀が素早い動きで横からかすめ取った。そして、和戸村へと差し出す。


「和戸村君。これは拾得物だ。交番へと届けたまえ」


 和戸村の脳内はハテナマークで埋め尽くされた。


「え、えーと……これは芥川先生のもので、それが芥川先生のご自宅で見つかったんですよ? それをそのままお返しして、それの何が問題なんでしょうか?」


「拾ったものは交番に届ける。それが市民の義務だろう」


 やはり同じことしか言わない。和戸村は首を傾げた。さっぱり意味が分からない。


 その時、まさかの豹変をしたのは芥川だった。


「それは私のスマホです! 返してください!」


 芥川が勢いよく詰め寄ってくる。和戸村は目を白黒させた。


「か、返しますよ。返しますってば」


 しかし、スマートフォンを差し出そうとした和戸村の腕を、深謀が掴んで離さない。次第に、芥川の口調が激しくなってくる。


「か、返せ! 今すぐ返せ! 返すんだーーー!!!」


 おかしい。なぜここまで声を荒げているのだろう。先ほどまで穏やかだった芥川と同一人物とは思えない。何か、裏があるのだろうか?


 深謀に視線を送る。深謀は黙って首を横に振るだけだ。正面に視線を戻す。芥川は憤怒の形相でつばを飛ばしている。


「えー、一応、一応ですよ? 深謀先生の言う通り交番に届けてみますね? 大丈夫ですよ、何もなければすぐに芥川先生の元に返ってきますよ!」


 和戸村は困惑しつつも、明るい口調で芥川を励ました。しかし、芥川は顔面蒼白だ。


「にゃーん……」


 寂しそうな猫の声が、うっすらと耳に届いた。芥川は、和戸村がスマートフォンを返す気がないことが分かると、観念したかのようにがっくりとうなだれた。


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