エッセイ・短編 命・言葉・愛・感謝・希望等をテーマにした作品です
言葉は争いの始まりだった
言葉は、世界を分ける。
言葉は、理解のために生まれたはずだった。
しかし同時に、それは「わかり合えない」を作る道具にもなった。
同じ出来事を「解放」と呼ぶ者もいれば、「侵略」と呼ぶ者もいる。
そのたびに人は、正義を語り、命を奪い合う。
「命はかけがえのないものだ」と人は言う。
けれど、それは本当だろうか?
戦争の時代には、命は国のための「数」であり、名誉のための「証」でしかなかった。
殺すことが正義とされる瞬間が、確かにあった。
その正義は誰が決めた? 言葉だ。
誰が人を動かした? 言葉だ。
復讐を望む気持ちは悪だとされる。
「死んだ人が悲しむ」と誰かが言う。
でも、死者の声を本当に聞いた人などいない。
その言葉は、怒りを静めるための“便利な正義”にすぎない。
法は、加害者を裁く。
でも、加害者は生きていて、被害者はもうどこにもいない。
この埋まらない不均衡に、遺族が「この世から消してやりたい」と願うことは、
本当に間違っているのだろうか。
人が人を殺してはいけないというそのルールも、また言葉でできている。
人が作ったものだ。
そもそも、言葉は「人間のための道具」だった。
つまり、他のすべて──動物、環境、命の循環──を“自分の外側”に追いやるための。
言葉が作る正義は、いつも人間の都合で、どこか傲慢だ。
争いの根源は、「違う」と思うことじゃない。
「違う」を「間違っている」に変換する、この言葉のシステム自体にあるのかもしれない。
だから僕は、言葉に問い続けたい。
言葉で生まれたこの世界が、
言葉で終わってしまわないように。
お読み頂きありがとうございます_(._.)_。
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*付随作品「沈黙の民」「命の行方」「命は本当に“大切”なのか」も良ければお目通し頂けましたら嬉しく思います。