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第33話「要望書と現実」

 数日後、アーリの商店の奥にある簡素な作業部屋で、ゼントたちは机を囲んでいた。机の上には、数百枚の署名が束ねられた紙が積み重なっている。これは、タックスプールの使途――つまり売上税の使い道の開示と、税率の見直しを求める要望書だった。議会に届け、審議してもらうために署名を添えて提出する形だ。ライ先生の提案で、数日かけて市場や学校をまわり、地道に集められた。


 「これだけ集めたんだ、さすがに無視はできないだろ」

 ダルがやや強気に言う。


 アーリは腕を組んだまま黙っていた。表情は変わらず、ただ静かに、先を見透かすように一点を見つめていた。


 ライ先生の伝手を頼りに、署名付きの陳情書は地方議会の窓口へと届けられた。受付にいた役人は、にこやかに頭を下げ、手続きを丁寧に説明し、必要な書類の受理も滞りなく行われた。形式上は完璧な応対だった。だが、それだけだった。


 数日経っても、なんの音沙汰もない。公式な返答もなく、議会で取り上げられることもなかった。


 「……ふざけてる」

 ゼントが低く吐き捨てた。

 「これだけ集めても、誰も動かない。……返ってきもしない。署名も、声も、渡した時点で消えるのか。」


 「形式だけは整ってる。声は受け取る。でも、誰も責任を取らない。誰も動かない」

 アーリが椅子の背にもたれながら、ため息をつく。

 「“聞きました”ってポーズができれば、それで済むのさ。返事も“検討中”で止めとけば、誰にも責められない」


 ダルが机を拳で軽く叩いた。

 「じゃあ俺たちは、ただ署名を集めて、読まれもせずに終わるのか? ……“声は届かない”ことかよ」


 「……違う」

 ゼントが静かに口を開いた。

 「それでも、名前を書いてくれた人たちは、“考えた”んだ。自分の意思を、初めて形にしたんだ。それだけでも……意味はあった」


 そのとき、入口の鈴が鳴った。ゆっくりと現れたのは、例のギルドの男だった。


 「やぁ。……なにか変わったかい?」


 ゼントが立ち上がり、苦笑まじりにうなずく。

 「……これが現実みたいです。“正しい”だけじゃ、誰も動かないんですね」


 男は店の奥に目をやりながら、静かに言った。

 「私たちも、何度もやったよ。主張は通ってる。税も経済も、みんな理解してる。でも、動かない」


 男は少し間をおいてから、続けた。

 「……誰かに任せても変わらない。議会に要望しても、時間が流れていくだけだ。だったら、自分たちが動くしかない。――代表になるしかないんだ」


 「そう。選挙に打って出たのだ」


 男は椅子を引き、ゆっくりと腰を下ろす。

 「しかしだ、正しいことを言う候補者は、いくらでもいた。俺も何人か、推した。たとえば、商都の片隅で小さな工房を営んでいた職人。地域経済の循環を訴えて、税の見直しを掲げたが、“現実的じゃない”と一蹴された。もう一人は元教師で、高い知識で、税の問題を訴えたが、“難しすぎる”と敬遠された。……どれも悪くなかった。でもな……今一歩届かない。」


 ゼントが静かに目を伏せる。


 ギルドの男は立ち上がりながら言った。

 「正しければ、支持されるというわけではない。誰も耳を傾けない。……何かが足りないんだ。私がその“何か”を見つけられなかっただけだが……」


 その時、ダルがぽつりとつぶやく。

 「どうすれば、届くんだろうな……」


 ゼントが顔を上げる。


 ダルがゆっくりとうなずいた。

 「いや、もう届いてるんじゃないか? 俺たちのゲームで。疑問や怒りの小さな火が、心の中で脈打ってる」


 「お前が中心になって、その火を炎に変えるんだ」


 ギルドの男は小さく笑みを浮かべた。

 「……俺たちが何度も届かなかったその声を、君なら届かせられるかもしれない。正しさだけじゃ足りない世界で、君のやり方なら……きっと成し遂げられる」


 そう言い残し、肩越しに手を軽く振って店を後にした。


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