第3話「 ヒロじい、吠える」
第3話「 ヒロじい、吠える」
昼下がり、陽が傾き始めた頃。畑仕事を終えたゼントは、裏手の木陰に腰を下ろしていた。 水筒のぬるい水をあおると、やれやれとひと息つく。
そんな声とともに、ヒロじいがやってきた。 くたびれた麦わら帽子をかぶり、そのあとを、ちょこちょことアンナが追いかけている。アンナはヒロじいの孫で、しっかり者の女の子だ。
「じーじー、はやいー!」 「おお、アンナ姫。わしの脚はな、まだまだ若いぞい……いや、いま何歳じゃったかの?」 「じーじは55さい!」 「そうじゃ、45さいじゃ。40歳をこえたら顔に責任を持たねばならん、はっはっは」
ヒロじいは隣の商家のじいさんで、俺やミキの名付け親でもある。
彫りの深い顔立ちに、くっきりした眉に、両目の涙ぼくろ。
年をとっても、若い頃の色男ぶりが見てとれる。
俺と同じく、異世界の記憶を夢に見ることがあるらしい。そのせいか、時折正気に見えて、時折わけのわからないことを口走る。
ゼントは苦笑して、ヒロじいの隣に腰をずらした。 ミキが縁側に茶を運んできてくれた。そのあとを、よちよち歩きのノゾミがついてくる。
「ありがとう、ミキや。ほんにお主は良い嫁じゃ、わしにはもったいない……」
「そう言ってもらえるのは光栄ですけど、ゼントが拗ねますよ?」
「あいつは、拗ねるんか? まだまだ、ガキだのぉ、いまだにおねしょ癖がなおらんからのぉ」
ちゃぶ台代わりの木の板に茶を置きながらヒロじいは笑うが、その目は定まらず、時折遠くを見つめ、何かと対話しているようだった。
ヒロじいの中では俺は、まだ子供らしい。
「ヒロじいさ。ひとつ聞いていいか」
俺は愚痴を誰かに言いたくなると、ヒロじいにいうことにしている、誰かに聞いてほしいけど、表立っては言えないようなことを。ヒロじいは、すぐ忘れるから。
「ん、ああ、なんだ、いうてみい」
ゼントは少しだけ視線を落とし、手にした帳簿の紙を軽く揺らした。
「この売上税がまたあがってさ、参ったよ」
ヒロじいの顔から、笑みがすっと消えたように見えた。 少しの沈黙。まるで、記憶の奥から何かを探るように、目線が宙をさまよう。
やがてヒロじいは、何かに突き動かされるように、がたりと立ち上がった。
「陛下!私は売上税には反対です!商家の味方をしている?そのような理由ではありません!この税は必ず国を亡ぼす呪いになるでしょう!平等?平等などではありません!……あれ、何の話じゃったか……」
あまりに突然ヒロじいが怒り出したため、ノゾミが泣きだした。アンナは、またかという顔をして、ノゾミの背を軽くなでながらヒロじいを睨んだ。
「じーじ、またおこってるの? ノゾミびっくりしちゃうでしょ」
「ああ、すまない、泣かないでおくれ、、、陛下、国家の赤字は、民の黒字、民の赤字は国家の黒字なのです。どうしてわかってくださらないのか、うう……」 今度は、ヒロじいが泣きだしそうだった。両目の下の涙ぼくろが、朝の光に濡れて見えた。まるで、長年流し続けてきた涙の跡のように。
しばらくして、風の音だけが、庭先に残った。
アンナはヒロじいの腕をつかんで歩き出す。ノゾミはミキのそばにしがみついたまま、遠巻きにじっと見ている。
「じーじ、もう帰るよ。ほら、しっかりして」
「ん? ああ……アンナ姫、すまんのう……」
ゆっくりと帰っていくアンナとヒロじいの背を、ゼントは黙って見送った。ノゾミは泣き止んで、ミキの影に隠れながら、それを見つめていた。
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