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第13話「帳簿戦線、異状あり」

 ライ先生が手元の資料を確認しながら、生徒たちの前に立った。黒板の左端にはすでに「新ルール」と書かれた大きな文字。その下にはいくつかの見慣れない言葉が並んでいる。


「さて、ここからが本番だ。帳簿の処理を、もっと実際の商取引に近づけるため、ゲームにいくつかの要素を追加する。まずは“税抜き経理方式”の導入だ」


 ライ先生は、黒板に整然とした新しい帳簿の例を示した。


「今までは税込みで処理していたが、これからは“税抜き価格”をもとに帳簿をつける。そのぶん、仮払税や仮受税の計算は重要になるが、これが実務に近いかたちだ」


 生徒たちが一斉にうなる。だが、それだけでは終わらない。


「そして、これからは“ワールドマネープール”という概念を導入する」


 黒板の右端に書かれた文字を丸で囲む。


「ワールドマネープールは、市場に流通するお金の総量を表している。取引に使われる通貨は、ワールドマネープールから出ていく。仕入れ時と支払い時は、ここからお金をやりとりする。次に、タックスプールだ。税抜き経理方式で計算し納税した税は、タックスプールに置く。


なお、仕入れ価格は、すでに“税金込み”になっている。つまり、仕入れた時点で相手側は税金を国に納めたと見なされる。」


「じゃあ、こっちもその分、払ったことにしていいってことですか?」


「その通り。だから、ワールドマネープールから、仕入れ額に含まれる税金分をタックスプールに移すんだ」


 ライ先生が頷く。


「これは、現実の会計でいう“仕入れ税額控除”の処理だ。つまり——あとで売ったときに払う税金と、仕入れで払った税金を“引き算”するってことだ」


 生徒の一人がぽつりとつぶやいた。


「なるほど……最初に払った税金を、あとで引いてくれるってことか」


 ライ先生はうなずく。


「そう。言い方を変えれば、前払いした税金のぶんを、あとで帳簿で“引いておく”って感じだな」


 ライ先生は黒板に視線を戻し、話を続けた。


「次に、販売確率だ。実はカードに書かれている商品ごとに販売確率がある。右上にある数値があるだろう。ダイスの目がその数以上なら、販売成功。価格を5%上げると、必要なダイスの目が1上がる。下げると1減る。販売の直前に、プレイヤーが価格を宣言するんだ。仕入れ時も同様だ」


 生徒たちの表情が引き締まる。


「つまり、ただ利益を追い求めるのではなく、価格設定を含めた“戦略”が必要になるというわけだ」


 この瞬間、教室の空気がさらに張り詰めた。“ゲームのレベルが上がった”——誰もがそう感じていた。


 ライ先生が指示を出し、注目の舞台は教室前方から中央のスペースへと移された。生徒たちの机が左右にずらされ、その中心に簡易テーブルが設置されている。


 ゼントが静かに立ち上がり、カードを手に取る。


「さあ、続きを始めようか。ここからが“本当の”勝負だ」


 教室の中央に設置された簡易テーブルには、色とりどりのカードとサイコロ、帳簿シートが整然と並べられていた。ライ先生が手早く開始の合図を出す。


「じゃあ、次のターンに進もう。在庫と資金は繰り越しだ。帳簿は前回の続きから。今回は税率15%でいくぞ」


 そのルールが告げられた瞬間、生徒たちの表情が一変する。緊張が走り、視線が一斉に教室中央のゼントへと向けられた。誰もが、彼の一手に注目していた。


「俺のターン。仕入れカードをドロー。仕入れは115。交渉5%を宣言。ダイスロール……成功!」


「続いて在庫から商品カードをセット。販売価格は230、仕入れ値は100。販売成功は4か……よし、値下げ5%を宣言。ダイスロール……3! ふぅ、販売成功!」


「伏せカードをセット、ここで終了だ」


 同時に、ゼントが時限爆炎装置をひっくり返し、少し強めに机に置く。カッという音がなり、計算開始の合図となる。


「今ターンの計算をたのむ!」


「ええっ! いきなり難度高すぎ!」


「仕入れと、販売で計算を分けよう!」


 ゼントの陣営の生徒が、とっさに役割分担をし、計算を始める。


 時限爆炎装置(実際には光と音を発するだけの安全なタイマー)は、以前の授業でも使われた、魔工技術製のタイマーだ。円筒状の装置には赤い砂が満たされ、ひっくり返すとゆっくりと下へと落ちていく。装置の側面に仕込まれた魔晶石が、残り時間が少なくなるにつれて断続的に明滅を始め、終盤には「カチッ、カチッ」と緊張を煽る音を響かせる。その音が響くたびに、教室全体が一瞬静まり返り、ただ時間のカウントだけが空気を支配していた。


 すでに使い慣れているはずなのに、その音が鳴り出すと、生徒たちは本能的に手を早める。


「出たよ……あの音」

「心臓に悪いって……」

「間違えたら追徴来るんでしょ!?」


 ざわつきながらも、生徒たちは必死に筆を走らせる。だが、ペンを走らせる手は止まらない。


 誰かのつぶやきをきっかけに、教室の空気が一気に熱を帯びた。焦り、笑い、戸惑いが入り混じり、静まり返っていた空間にざわめきが戻ってくる。


「はやく! 間に合わないと、売上計上できないぞ!」


 そんな中、ゼント陣営の計算係が立ち上がり、売り上げ、納税額、利益、在庫の簿価を読み上げる。


「計算、正解だ!」

「あってる!」


 どよめきと拍手が起こる。


 ライ先生の陣営――横で見守っていた生徒たちがざわめく。


「仕入れ、ギリギリだったな……」

「あそこで値下げしたの、勇気いるわ」


 彼らは帳簿をのぞき込みながら、販売の判断や数字の動きを分析していた。真剣な眼差しが、ただの授業を超えた学びの熱を物語っていた。


 そのとき——ライ先生が静かに手を挙げた。


 一瞬の沈黙の中、彼は微かに笑みを浮かべた。「本当は、ずっとこれをやってみたかったんだよな……」と、静かに心の中でつぶやく。生徒たちの熱気と真剣さに背中を押され、ついに念願の演出を発動する瞬間だった。


「ドーン!」——重低音とともに、以前トラップカードの演出で使った獣除け装置が赤く閃いた。


 ライ先生がゼントの机を指さす。


「待った! ミスあり!」


 教室が一瞬で静まり返る。


「仕分けは正しい。だが詰めが甘い。税の端数処理——切り捨てを忘れていたようだな」


 ゼントの陣営から「えっ……」と小さな声が漏れる。確認すると、確かに税額を四捨五入していた。


「……ほんとだ。切り捨てじゃなかった」


 教室からどっと笑いとざわめきが起こる。ライ先生が軽く肩をすくめる。


「帳簿は正確でなければ意味がない。実務では端数一つで取引先と揉めることもあるぞ」


 生徒たちの空気が、再び引き締まっていく。


「ペナルティとして、納税額2倍。加えて——ミスを指摘した側には“指摘報奨金”として納税額の10%を支給する」


 教室の空気がざわめく中、ライ先生が微笑を浮かべて説明を終えるのを見届けながら、ライ陣営の生徒たちは静かにうなずき合った。


 ゼント陣営の生徒の一人が、手元の帳簿を見て苦笑いしながらつぶやいた。


「……実は、ちょっと気づいてはいたんだけどさ。まだ全体の計算が終わってなくて、確信が持てなかったんだ。早めに声をかけるべきだったな。次からは“相手チームの帳簿を検算する係”もつけよう。ミスを見つけるのも、立派な“戦術”だよな」


 チームで役割を分担し、互いに帳簿を確認し合う——そこには、通常の簿記授業ではなかなか見られない、“協働”の熱が確かにあった。


 ゼント陣営、ライ陣営とは別に、“プール出納係”も配置されていた。教室中央のテーブルには、ワールドマネープールとタックスプールを示す二つのトレイが並べられ、それぞれに模擬通貨の紙片が収められている。


 取引が発生するたび、出納係はそれらのトレイから紙幣を出し入れし、動いた金額を即座に帳簿に記録していく。紙幣を扱う手つきは手慣れていて、視覚的にもゲーム全体の流れを補完していた。


 しかも、出納係は両陣営の取引すべてを一括で処理している。仕入れと販売の応酬が激しくなるたび、紙幣の出し入れと帳簿記録に追われる姿は、まさに“裏方の戦場”そのものだった。


「タックスプール、納税額、追加しました。帳簿も、反映済みです」


 模擬紙幣の出し入れと帳簿の記入を終えた出納係が、やっとひと息ついたように報告する。その声に、教室の中央が一瞬だけ静まり返る。


 誰か一人の活躍で勝敗が決まるのではなく、検算係、出納係、作戦係……それぞれが自分の役割を果たすことで、このゲームは成り立っていた。その姿は、教室にいながらどこか現実の経済活動を思わせるものだった。


 放課後、廊下ではちらほらと噂が飛び交っていた。


「……今日の簿記、なんかゲームやってたみたいだってさ」

「また、あるのかな? 見てみたいよな」

「しかも爆発音までしたとか……ほんと?」


 廊下の空気がざわつく中、その話は新聞部の耳にも届いていた。


「次、取材入れてみようか。記事にしたら面白そうだよね」


 教頭先生がライ先生を呼び止める。


「ライ先生、ちょっと……今日の授業、職員室でもだいぶ盛り上がってましてね。あれ、ほんとに授業ですか?」


 ——静かに、確かに、“何か”が広がりはじめていた。


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