第五話
「精霊……さん?」
倒れた精霊さんに駆け寄ると彼女の白い服が赤く染まっていた。よく見ると彼女の脇腹や背中から矢が生えている。一緒に走っていたのに気付かなかった。いや、気付けなかった。
「精霊さん、これは……」
「はは……効果切れちゃった。必死に隠してたのに」
奇跡的に当たっていないと思っていた矢は全部精霊さんが受けていた。なんで我慢して隠すような真似を?僕に心配をかけさせないため?いやまずそれより手当をしなきゃ。
とりあえず止血のために洞窟のすぐ外に生えていた植物の大きめな葉を何枚かちぎる。これを包帯代わりにすればなんとかなるだろうか。大量の出血もちゃんと止血すれば大丈夫なはずだ。しっかり休めばきっと。
僕が少し外に出ている間に精霊さんは起き上がって、自分で刺さった矢を抜いていた。
「うぐっ……」
「だ、大丈夫ですか」
「良いねその葉っぱ……ちょっと貸して」
精霊さんは僕の手から葉を受け取ると手早く自分の体に巻いて縛った。ただ、さっきよりは多少マシな程度で、巻かれた葉はじわじわと赤く染まっていく。精霊さんは仰向けに寝転がってため息をついた。
「はあ……これはもう無理かも」
「そんな事言わないでください。ちゃんと二人で生き延びましょう」
僕は自分の足にもちぎれない程度に葉を巻きながら精霊さんを励ます。
「無理だよ、これ毒塗ってある」
「えっ」
精霊さんは抜いた矢を指差して言った。僕には見た目ではよくわからない。でも精霊さんの息はかなり荒い。走った疲れか大怪我のせいだと思っていたけれど、精霊さんの言う毒が彼女の体に回っているのかもしれない。
「屋敷探索してる時に見つけたんだよね……まさか自分がこれにやられるとは、思ってなかったけど」
精霊さんは苦しそうに笑う。
「ねえ、最期の話をしよう」
「最期だなんてそんな」
「いいから」
大怪我をして、毒も回り始めているのに何故か精霊さんは微笑んでいて、嬉しそうでもある。そんな話をしている場合じゃないのに、最期だなんて聞きたくないのに精霊さんは勝手に喋り始める。
「あぁそうだ先に、君は毒の心配はいらないと思うよ。暴食の力が、無効化してくれるはず」
「僕の力で精霊さんの毒を無効化するってのは」
「さすがに、難しいんじゃない?」
精霊さんは時々詰まりながらも笑顔で返す。絶対苦しいだろうに、笑わなくていいのに、彼女は話し続ける。
「さて……何を話そうかな、時間もあんまりないし」
「そんな」
「じゃあまず一つ、私はね、七つの大罪、色欲の権能者だよ」
さらっと告げられた真実に息が詰まる。只者ではないと思っていたがまさか自分と同じ力を持っているとは思ってなかった。
「え……あなたも、権能者……?」
「うん、領主様は魔法だと思ったみたいだったけど、私の力は色欲の能力。相手に都合のいい幻を見せるのが、本質だよ」
「それじゃあ透明化は」
「説明が難しいんだけど、自分に力を使って、周囲から透明に見えるっていう幻。光もそう、光って見えるっていう、幻」
一度聞いただけでは理解が追いつかないけれど、なんとなく合点がいった。精霊さんが今まで見せた、透明化というだけでは説明がつかない色んな現象の辻褄が合った気がした。
「私も本来なら、狙われる立場なんだけど。押し付けちゃってごめんね」
七つの大罪の権能。この世界に一つずつしかない力で、僕を檻に閉じ込めた原因。その力を持つ者は利用するため狙われる存在。精霊さんも同じ立場だったのなら、なんで僕を助けようとした?僕に構わず一人で逃げれば済む話なのに。
「なんで……僕を助けたんですか」
問いには答えずに、精霊さんは相変わらず微笑みを浮かべて話す。無理に起き上がろうとする彼女の身体を支えると、もうだいぶ冷たくなっている気がした。
「私の命が消える前に、君の暴食の力で私を食べて。そうすればその傷は治るし君はきっと逃げ切れる」
「そんなこと……できませんよ」
「お願い」
精霊さんはまっすぐ僕の目を見た。彼女の命は終わろうとしているのに、薄赤の瞳はまだ輝きを失わず、強さを灯していた。思わず頷いてしまいそうになる目。
「……僕はあなたの何なんですか? なんでそこまでするんですか?」
自分を食わせようだなんて普通じゃない。今までだって今だって、他人にそこまでする理由がわからない。最期というなら、それだけは聴かなければいけない。精霊さんは微笑みを深くした。彼女の頬を雫が伝う。
「君は、私のたった1人の大事な弟だから」
精霊さんがそう言った瞬間、世界が弾けた。
「お姉……ちゃん?」
なんで忘れていたんだろう。なんで気付かなかったんだろう。僕には姉がいた。ずっと一緒だったのに、いつから忘れていた?目の前のこの人は僕の姉だ。気付けば彼女の姿は変わり、髪の色や目の色は僕と同じ栗色になった。
精霊さん――いや、姉がそんな力を持っていたなんて知らなかった。この人は僕と同じように家族にも力を隠し、周囲の人間に自分のことを忘れさせてまで僕を助けようとしたのだ。僕が弟だから。
「はは……思い出した? もう維持する力もない、か……」
「お姉ちゃんの……馬鹿」
「馬鹿は酷いなあ……」
お姉ちゃんは僕の頬に手を添える。
「ね、私を食べて、あなたは生きて」
「嫌だ……!」
「お願い……」
涙が溢れて止まらない。目の前が歪んでわからない。何も見たくない。姉の声はか細く今にも消えてしまいそうで、もう本当に時間がないのだと、嫌でもわかった。
姉を救う手はない。少なくとも僕にはどうしようもない。町へはまだ距離があるから運んでいっても間に合わない。何か、どうにかできないかと必死に考えを巡らせるが何も浮かばない。僕は無力だ。いつだって僕はずっと助けられてばかりで何も出来なかった。
「…………わ、かった」
嗚咽が出るばかりで上手く言葉が出ない。僕は姉の言葉に従うしかなかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ありがとう」
お姉ちゃんは最後までずっと、ひどく安らかな顔をしていた。
───────
暗く狭い洞窟の中、一人で涙を零す。
暴食の権能によって流し込まれた姉の記憶と力。
姉は僕が囚われてからずっとそばに居た。自分を精霊だと偽り、周囲の人間全員に自らのことを忘れさせ、弟を、僕を助けるために必死だった。その記憶は、僕への愛と悲しみ、生きてほしいという願いが込められ、苦しくて、辛くて、嬉しくて、愛しかった。
そして同時に姉の色欲の権能を引き継いだ感覚と、立ち上がり逃げるだけの力を受け取った感覚。そのことが、姉はもういないという実感を与え、僕はまた泣いた。
いつまでそうしていただろうか。ふと顔を上げると洞窟の外は少し明るくなってきていた。僕は立ち上がって洞窟から出る。僕は逃げ切らなければいけない。姉が僕に捧げた命を無駄にするわけにはいかない。
生きよう。お姉ちゃんの分まで。
色を喰らう完結です。読んでいただきありがとうございました。