第四話
「おはよう」
「おはようございます」
ふぁ、と欠伸をして立ち上がる。
正確にはわからないけれど、夕飯を食べた後で蝋燭も消えているからそれなりに遅い時間だと思う。今日は少し強めの、精霊さんのぼんやりとした光で目も覚めた。
───────
「脱走の経路を説明するわね」
精霊さんはどこからか持ってきた紙とペンで大まかな道筋を描いた。僕がいるこの檻がある場所は、領主様の別荘である少し小さめの屋敷の地下で、村の外れにひっそりと建っているらしい。そんな屋敷あったんだ、知らなかった。
そして、檻から屋敷の一階に出るまではほぼ一直線に進めるが、見張りが近くの部屋に寝泊まりしているため、慎重に行かなければいけない。一階に出た後は、使用人の部屋の前の廊下を通り、突き当たりを右に曲がってすぐの書斎の奥。部屋の中に隠し通路があるらしい。
「その通路を出るとお屋敷の裏に出るから、森に逃げるわよ」
「思ったより単純な道ですね」
「お屋敷もすごく大きいわけじゃないからね」
単純な経路とはいえ、見張りの部屋も使用人の部屋も通り過ぎなければいけない。
精霊さん一人なら簡単でも二人一緒だと脱走はより難しくなるだろう。
「不安?」
精霊さんが顔を覗き込んでくる。
「ええ、まあ」
「大丈夫、私を信じて」
そう言って伸ばされた手。
「なんとかなるよ」
「……ありがとうございます」
僕は今度は掴むことにした。
「それじゃあ、出発!」
「おー!」
僕らは見張りの人が起きないように少し小さめに、けれど元気に声を上げた。
「っと、まず君にも力使わなきゃね」
精霊さんがそう言うと、僕の体は見えなくなった。多分。自分自身と精霊さんの体は僕からは変わらず見えてるけれど、何かに包まれているような感覚があるから、力はちゃんと働いているのだと思う。
「これ、ちゃんと見えなくなってるんですか?」
「私と手を繋いでる限りは大丈夫! 声もある程度までは他の人に聞こえなくなってるはずよ」
「手を離したらダメなんですね」
「そう、一瞬でバレて捕まっちゃうよ」
「その光も?」
「これが見えるのは私たちだけ」
気を付けなきゃ、バレたらおしまいだ。
精霊さんはどこかに隠し持ってた鍵を使って檻を開けた。僕から見ると普通に開けたようにしか見えなかったけど、音は響かなかったから多分大丈夫。
檻の外に出ると、なんだか少し解放された気分になった。ちょっと良い気分だ。
「ここから見張りのところまで歩いていくわよ、転けたりしないようにね」
「気を付けます」
まずはほぼ直線の廊下。精霊さんの光があっても薄暗くて遠くまではあまり見えない。
ここには檻が左右にいくつかあって、中には誰も入ってないみたいだった。普段使っているようにも見えない。
そして檻を通り過ぎた先に見張りの部屋らしき扉があった。
「ちょっと入るよ」
「え、入るんですか?」
「鍵返さなきゃ」
精霊さんは躊躇無く扉を開け、扉付近の鍵かけの空いてる部分に素早く鍵を掛けた。奥には見張りらしき人が寝てた。見つかったら終わりなのに恐ろしいことをする。
「さあ行こう」
精霊さんは普通に扉を閉め、先の階段へ僕を引っ張った。階段は木製で後付けされたものみたいだった。
「階段は慎重にね、転けるのはもちろん、階段全体が軋むと私の力も効果を発揮しきれないから」
精霊さんの力の範囲は思ったより狭いらしい。階段全体が無理ということは、範囲は自分たちの周りに人が一人か二人分といったところだろうか。
僕は階段を一段一段慎重に登る。いつも往復して慣れている精霊さんはスタスタと先に登り、僕を急かすように手を引っ張る。
階段がギシッと小さく鳴った。
「あっ……」
……他に物音はしない。誰かが動く気配もない。
「……大丈夫みたいね」
「精霊さんがあんまり急かすから」
「ごめん」
階段をなんとか上りきると、暗い小部屋にたどり着いた。少し埃っぽい。精霊さんが部屋の扉を開けると、奥に廊下が見えた。
精霊さんの光はそんなに明るくないから先の方までは見えないけれど、左右にいくつか部屋があるのが見える。使用人の部屋かな。
ここも階段ほどでないけれど慎重に、忍び足で音をたてないように進む。
領主様の別荘だからか、壁にかけてある飾りはどれも綺麗な装飾が施されていて、高そうな壺もいくつか置いてある。壺とか割ったら一瞬でバレる。万が一にでも物に触れて落とすことがないようにしないと。
廊下の奥まで進み右に曲がるとすぐ左手に扉があった。
「ここが書斎よ」
扉を開けて入ると妙に明るい。この部屋だけ明かりが消されていないようだ。
「……誰も居ないわね」
「でも怪しいですよ」
この部屋に人が居なくても明かりがついているのは明らかにおかしい。罠かもしれない。
「引き返しましょう」
「ダメ。他の出口は使えないし、脱走は目前なのよ」
「広間から出るのは」
「自殺行為よ」
広間は使えない。その名の通り広い空間だから目立つし、屋敷を出るには大きな扉を開ける必要がある。誰にも見つからずに扉を開けるのは難しい。
「いざとなったら私の力でなんとかするからさ」
そう言い終わらないうちに精霊さんは書斎に並ぶ本の一冊をどかして、本棚の隙間に手を突っ込んだ。
カチッと音がして精霊さんが本棚を引き出し横にずらすと、金属製っぽい銀色の扉が現れた。
「おお……」
「これが隠し通路の入口ね。進むわよ」
精霊さんは扉の取っ手に手をかけて回し、そのまま固まった。
「……? どうしたんですか?」
「……鍵が掛かってるわ」
「鍵は?」
「…………知らない」
よく見れば扉の取っ手には縦の穴が空いていた。まさか脱走目前で詰まるとは。今から鍵を探すには脱走に気付かれる可能性が高くて危険だ。それなら。
「ちょっと貸してください」
「え?」
僕は取っ手に噛み付いた。
思ったより抵抗なく歯が通ったから、僕はそのまま扉本体まで食べ進めて人が通れるくらいの穴を空けた。ちょっと美味しかった。
「おお……さすが暴食」
「これで通れますね」
「相変わらずとんでもない力だねえ」
穴をくぐって通路に出ると、壁や床は無骨な石造りでまさに裏口といった感じ。
通路の奥は真っ暗で先がよく見えない。精霊さんの光も出口までは届かないみたいだ。転けないように壁に手をつきながら慎重に進む。
「やあ、遅かったじゃないか」
正面に明かりと人影。この人は
「領主様……!?」
「しっ……私たちの姿は見えないはず」
見えてないなら何故目の前に来たのがわかるのか。そんな疑問を口に出す前に領主様が喋り始めた。
「ああ、なんでわかるのか、かな。これのおかげだよ」
領主様は自分の右目を指さした。確か彼は魔眼を持っているって精霊さんが言ってた。右目がそれなんだろう。
「私には魔力の流れが正確に見える。君たちの魔法も私には効果がないよ」
精霊さんが僕の手を離して僕らを包んでいた感覚が消えた。力を解除したのだと思う。
「君が暴食の子を助けに来た子か。透明化も君の魔法かな? 危なかったよ、一度檻に訪れなければ気付けなかった」
やっぱり精霊さんの力も魔力を使うんだ。領主様が檻に来た時、あの時精霊さんもいたから脱走しようとしていることにも気付かれたってことか。
精霊さんはどうするつもりなんだろう。力で僕らが隠れようとしても領主様には丸見えだ。彼を無視して通り抜けるのは難しい。しかも彼がここで待ち構えているということは通路出口を抜けてもきっと仲間がいる。どうやって突破しようか。最悪、僕の力を使って……。
「ちょっとまってて」
精霊さんはそう言うとパッと姿を消し、領主様のすぐ前に現れた。
そして、精霊さんが手を触れると領主様がガクッと膝をついた。
「これでよし。さ、行こ」
「な、何したんですか?」
「ちょっと幻覚を見せてる。私が離れたらそんなにもたないから、早く逃げるよ」
「そんなこともできたんですね……」
膝をついたままぶつぶつと何かを呟いている領主様を横切って、僕らは通路の出口に対面した。見た目は入口の扉と同じだ。
「ここも鍵がかかってるね。また頼める?」
「もちろんです」
「外に敵がいるかもしれないし慎重にね」
見つからないように精霊さんに力を使ってもらって、若干急ぎめに、けれど慎重に噛み付いて扉に穴を空ける。
それなりに大きく空いた穴を覗くと、外にいくつか明かりが見えた。予想通り領主様が人を置いたんだろう。五人くらいかな。
隠し通路の出口はちょうど裏庭の端に繋がっていたらしい。庭は平地で、多少植物はあるけれど隠れられそうな障害物は見当たらない。精霊さんの力でなんとか通り抜けるしかないだろう。
「やっぱり外に人がいますね。隠れられそうなもの物もないので力また頼みますね」
「そりゃもちろん」
もう一度手を繋ぎ力を使ってもらい、穴をくぐった。久々に踏む地面は冷たくて少し痛いけどそんなことも気にしていられない。静かに、けど足早に見張りをすり抜けていく。何度かぶつかりそうになったけれど、なんとか最後の一人の足元を通って庭を抜けた。庭を抜けると正面に森が見えた。ただ、森に入るまでは思ったより距離がある。しかも今抜けてきた庭より障害物がない。ここはできるだけ素早く通り抜けたい。
「……走るよ」
「え?」
「多分そろそろ領主様の効果が切れる!」
精霊さんは僕の手を引っ張って走り出した。遠くの方で領主様らしき声が叫ぶのが聞こえた。
「私が後ろで足止めする!君が前に出て!」
「わかりました!」
さっき領主様にしたみたいに何か策があるんだろう。そう信じて僕は足を速めて前に出る。
その時、何かが僕の頭を掠めた。正面の木に刺さったこれは。
「矢だ」
「危ないわねっ」
逃げられるならいっそ殺す気なのか、それを皮切りに矢が連続で飛んできて僕らの傍を通り過ぎていく。矢に当たらないようにぐねぐねと進行方向を変えて走ってみるが、彼らの狙いは結構正確で、すぐ側の地面に矢が何本も突き刺さる。領主様が指示しているんだろう。まだ当たっていないのは奇跡的だ。精霊さんのおかげだろうか。
精霊さんの手を引っ張って全力で走って、なんとか森へ飛び込んだ。
「どこまで行きますか!?」
「追っ手を撒くまでよ!」
奥に進めば進むほど生い茂る樹木や根に引っかかりそうになりながらできるだけ早く走る。こんなことならもうちょっと森で冒険とかしておけばよかった。慣れないうえに真っ暗な森はかなり走りにくくて体が傷だらけになる。精霊さんが多少照らしてくれているけれど見えにくいことに変わりはない。
森に入っても相変わらず矢がかなりの精度で飛んでくる。森に入ったばかりの地点とはいえよく狙えるものだ。
それでも奥に進むほど飛んでくる矢の数が減ってきた。もう少し進めば撒けるかな。
「うっ」
「大丈夫ですか!?」
「……ええ大丈夫」
精霊さんが転けた。木の根につまづいたっぽい。そろそろ全力疾走も限界だ。僕も精霊さんも完全に息が上がってしまっている。
「そろそろどこかで、休憩しなきゃ」
「……確か、もう少し進めば洞窟があるわ」
「とりあえずそこまで行きましょう」
まだ時々矢が来ているから足は止められない。できるだけ木の陰に隠れるようにしつつ、息も絶え絶えになんとか足を動かす。
「ぐっ」
一本の矢が僕の足をかすった。ついに当たってしまった。直撃じゃないからまだマシだけれど走る速さはだいぶ落ちる。
「……大丈夫?」
「大丈夫です」
痛みを堪え力を振り絞って前へ進む。どれだけ進むことができたのかわからないがここで止まったらお終いだ。
気付けばもう飛んでくる矢はなくなっていた。走る体力がなくなったからせめて止まらないようにと歩く。
「……そこが洞窟」
息を荒らげながら精霊さんが指さした先には、人一人が入れそうなくらいの穴が空いていた。木の陰になっていて見つけづらい位置だ。確かにここなら休憩にちょうどいいかもしれない。
潜り込むようにして穴に入ると奥は入口より広がっていて、普通に立てるくらいの高さがある。精霊さんが力を使い洞窟の穴を隠したのを確認して、僕はへたりこんだ。
「さすがに、疲れましたね」
「…………そうね」
疲れすぎて喋るのも苦しい。精霊さんの元気もすっかりなくなってしまった。これだけ全力で逃げてきたのだから仕方ないだろう。生き延びることができただけ上出来だ。
「とりあえずここでしばらく休憩して」
ドサッと精霊さんの体が崩れ落ちた。
「え?」