第三話
「全部私がなんとかする」
そう言った精霊さんの言葉は強かった。彼女への疑いとかが全部吹っ飛んでしまうくらいに。
「あ、そろそろご飯の時間ね。また来るわ」
そう言うと精霊さんはどこかへ消えてしまった。僕はといえば、なにも言えずただそれを眺めていた。人を惑わす精霊は特に妖精と呼ぶなんて話も聞いたことあるけれど、彼女はまさに妖精なのかもしれない。
今日ご飯を持ってきたのはいつもの見張りの人じゃなかった。
「りょ、領主様!?」
「やあ、元気?」
この人もか。初めの挨拶はそれしかないのか。
「元気ですけど、なんでこんなところに?」
「脱走とかしていないかなって思ってね」
「そ、そんなことしませんよ」
しまった、ちょっと肩が跳ねてしまった。
「まあ、この檻は私が作った魔導具だ。君のような子どもが脱走できるとは思わないがね」
領主様は軽くコンコンと檻を叩きながら、聞き捨てならないことを言い放った。
「え、作った?」
「そうだよ、私はものづくりが得意でね。こういう魔導具をよく作っているんだ 。この檻は自信作だよ」
まさか領主様がそんな特技をお持ちだとは。やっぱり、魔眼で魔力の流れが見えるからそういうのも作りやすいとかあるんだろうか。
「あんまり良いものが作れたから、量産して私が管理する全ての土地にこの檻を支給している。驚いたかね?」
「は、はいそれはもちろん……」
またもや聞き捨てならない言葉だ。檻から脱走した後はかなり遠くまで逃げないと、もし捕まった時また同じ展開になるってことだ。領主様の管理する地がどのくらい広いかは知らないけれど、なんとかして領地外まで行かないと。
僕が不安を募らせていると領主様は少し真面目な顔になって話を続ける。
「ああそうだ、君を送る話なんだが、王都の偉い人に直接送るため、手続きに時間がかかっていてね。あと一週間ほどの辛抱だからもう少しこの檻で我慢してほしい」
「わかりました」
「こんな不便な環境ですまないね」
領主様は檻を見回しながらそんなことを言う。僕を気にかけてくれるなんて優しい人だ。この人は悪い人じゃないだろうに、裏切って檻から逃げてしまうのが少し忍びない。
それにしても良いことを聞いた。僕が送られるまであと一週間らしい。偉い人っていうのは精霊さんが言っていた、評判の悪いという魔術師のことだろう。脱走するならなるべく急がないといけない。次精霊さんが来たら伝えなきゃ。
「今日のご飯は私が持ってきたからね。ちよっと豪華にしておいたよ」
そう言うと領主様は鉄格子の隙間からパンを僕に渡した。触っただけでも違いがわかる。これは柔らかくて良いパンだ。僕は恐る恐る頬張った。
「……美味しいです!」
「ジャムもあげよう」
「え、いいんですか? ありがとうございます!」
檻に入ってからというもの、ずっと同じ固めで味気ないパンばかりだったから、久々のご馳走だ。凄く美味しい。
領主様は夢中でパンにかぶりつく僕をニコニコと眺めていた。
「あ、あの……ずっと見られているとなんだか恥ずかしいんですが……」
「ああ、すまないね。じゃあ私は去ることにしようか」
元気でね、と言い残して領主様は帰った。
僕は美味しいご飯を食べれて満足。今日はいい夢が見られそうだ。
――ちなみに、パンに追いかけられる悪夢をみた。
───────
さらに数日間、少女は来なかった。暇すぎて寝るしかすることがない。早くしないと僕が送られる日が来てしまう。日に日に焦りと不安感が強くなるけれど、僕一人じゃ何もできないから、ただ精霊さんを待っていた。
ある夜僕が微睡む頃、目の前に光の玉が現れた。
「まぶしっ」
「じゃーん精霊さん登場! 元気?」
「……ああ、精霊さん、お久しぶりです。元気元気……」
「元気じゃなさそうな反応ね」
「眠たいだけですよ」
重たい瞼を開け、目を擦りつつ体を起こす。来るにしてももう少し早い時間に来て欲しいものだ。
「今回は登場の仕方を変えてみたの。どう?」
「眩しいんで二度とやらないでください」
ええー、と不満気な顔をしてぶつぶつぼやいてる精霊さんを見てたら段々目が覚めてきた。時間も遅いから檻の外の蝋燭は消えている。それでもぼんやりと姿が見えるのは、精霊さんが何かしているんだろうか。
「それで、今回は?」
「君も慣れてきたね。今回わかったのは、君が送られる先のことだよ」
「ああ、王都の宮廷魔術師なんでしたっけ」
「そう。しかも評判悪い。人体実験とかしてるらしいよ……」
「で、その人がどうかしたんですか?」
「結論から言うと、七つの大罪の権能持ちだったの」
「え、それって」
「うん。超危険人物ってことね」
七つの大罪の権能。僕が持ってる暴食もそうだけれど、世界に一つずつしかないらしい。そんな力の持ち主が王都に。
その魔術師の持つ力がどんなものにせよ、より危険性が増したのは確かだろう。
「どんな力なのかはわかったんですか?」
「なんとなくならわかったよ。彼の持つ力は【嫉妬】だよ」
「嫉……妬……ってのは」
「つまり、羨ましがるって感情のこと」
「なるほど」
羨ましすぎて人を恨んだりするから罪ってことなのかな。
「権能としては、相手の考えを読んだりできるみたい」
「それは……なんというか地味ですね」
「確かにね。でも、七つの大罪の権能だから、他にも隠してる力があるかもしれない」
それはそうだ。僕の暴食の権能だって、まだ自分でもわかっていない部分もあるだろうし。
「そうなるとやっぱり早めに脱走を決行するのが良さそうですね」
「やっぱり?」
ああ、言い忘れてた。
「前回会った後領主様が来て、僕が送られるまであと一週間って言ってたんです」
「え!? ……なんてね〜実は知ってるよ」
「え、なんで」
「だって近くで見てたもの。君と別れたあと、檻の方に向かう領主様を見かけて怪しいと思って」
そうか、精霊さんはいつも僕と別れた後どうしてるんだろうと思っていたけれど、近くにいるかもしれないんだ。精霊さんの力のせいで見えないだけだから。……ずっと見られてたかもしれないと思うとなんだかそわそわする。
「ともかく、前回から四日経ってるからあと三日以内ってことね」
「もうそんなに経ってたんですね」
「うん、魔術師の情報を調べようとしたらなかなか難しくてね、時間かかっちゃった」
精霊さんは苦々しく笑った。僕はふと疑問に思ったことを聞いてみる。
「そういえば、どういった調べ方してるんですか? 精霊さんの力があれば簡単に色々調べられそうな気がするんですけど」
「あぁーそうね、前にも言ったと思うけれど、基本は領主様が持ってる資料を調べてるの」
「そんなこと言ってましたね」
「でも、領主様はああ見えてすごく注意深い人で、資料はそれぞれ分けて保管するし、確認する時以外は全部鍵をかけてしまってる」
「すごいですね……」
「だから鍵を盗んで開けないといけないんだけど」
精霊さんはいつの間にか持っていた鍵を見せた。
「この檻の鍵ほど簡単じゃなくてね。領主様が持ち歩いてるせいでなかなか盗れないの」
「なるほど。……ところでそれ、持ってて良いんですか?」
檻の鍵だって盗ったら気付かれないのだろうか。
「大丈夫大丈夫、この鍵はほとんど使われないし、見張りのおじさん鈍感だから」
それでいいんだろうか……?
それでいいから気付かれていないのか。
精霊さんは真剣な顔になって姿勢を正した。
「話を戻すね。脱走までの期限はあと三日って話だったわね。これに関しては大丈夫よ、準備はもうほぼできてる。脱走する時は私が案内するわ」
「頼もしいですね」
僕では知り得なかった脱走経路は精霊さんが調べてくれた。それに精霊さんの力があるから、脱走は思ったより簡単にできるかもしれない。もうひとつ問題があるとすれば脱走した後だ。僕はこの村の外に行ったことがないし行く当てもない。
「あの、脱走後は」
「そうね、脱走した後は近くの都市に行きましょ。この村は領主様の領地の端に近くて、境界を超えたところに大きめの都市があったはずよ」
「そこに当てがあるんですか?」
「当ては……ごめん、ないの。だからその後は……君が良ければなんだけど……その都市で二人で暮らさない? 二人で働けばなんとか生きていけると思うの。どう?」
そう言って精霊さんは手を差し伸ばしたけれど、僕はその手を掴むことはしなかった。
てっきり何かあるのかと思っていた。僕が村から、領地から出て生きることができる当てが。
そうだ、精霊さんの家か何かに身を寄せるのはどうだろう。たとえ領地内であったとしても、隠れて暮らすことくらいはできるんじゃないか。
「精霊さんの家に隠れるとか」
「無理よ。家、ないもの」
「え、それじゃあ精霊さんはどこから来たんですか?」
「それは言えない」
少しだけ、怒りが湧くのを感じた。精霊なんて名乗って、僕を助ける、なんとかするとか言ったこの少女は、結局当てもないし自分のことを隠してばかりだ。これで信用しろという方が難しいと思う。
僕の怒りを感じたのか、精霊さんは申し訳なさそうな顔をしている。
「ごめんね、私のことは都市まで逃げたあとちゃんと話すから」
「信用できないです」
「そう、でも君に選択肢はないと思うよ。私と来るか、危険な魔術師の元へ送られるか」
「……ずるいです」
「明日の夜、脱走を決行するよ。それまでに決めておいてね」
そう言うと少女は静かに闇の中に消えた。
実際、僕に選択肢はない……と思う。少なくとも僕には思いつかない。現状、村のみんなからは化け物として扱われて檻に閉じ込められ、このまま領主様に従えば王都に送られどんな扱いを受けるかわからない。でも助けに来たと言う謎の少女は正体不明で信用できないし、脱走した先の不安が大きい。そして少女の力がなければ僕はこの檻から脱出することすらできない。考えれば考えるほど不安は大きくなる。
少女がこの場から消えたことで真っ暗になった檻の中、横になって考えを巡らせているとまた眠気が襲ってきた。
……どうしようか。
───────
「……て、起きて」
僕は体を揺らす声と手で目が覚めた。
「精霊……さん?」
「意思はきまった?」
「…………ついて行くことにします」
今日、日中はずっとどちらを選択するか考えていた。悩んだって選択肢はないとわかってても考えずにはいられなかった。
七つの大罪の権能も持っている魔術師。評判も悪く、この人の元に送られれば最悪命も無いかもしれない。
精霊さんと一緒に逃げる選択。脱走に成功すれば命の危険は無くなり、もし捕まってもあの優しい領主様のことだから命までは奪わないと思う。
そして、今の僕には帰る場所もない。魔術師のところに行って何をされるかわからない恐怖に怯えるよりは、逃げ出して新しい土地で生きる方が良いんじゃないか。
思い返してみれば、僕がここに囚われることになったのも、魔物に掴まれた時の「死にたくない」という気持ちからだった。あの時生き延びることができたのに、今死にに行く選択をしたら意味がない。
だから、やっぱり僕は生きたいから、精霊さんと共に逃げることにした。