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1-3. 何もかも置き去りにするような


  †



 この辺りも住宅地になっていて、周囲にはいくつもの民家が立ち並んでいるがある一角だけ妙に開けていた。


「……ひょうたん池公園のあたり、だっけ」


 小さい頃親父に連れられて何度か来たことがある。その名前の通り、小さな池を中心にした公園があって、その向こうには大きくそびえる眉山の姿。

 そこに、辻さんの家はあった。

 昭和の住宅といった民家と同じ敷地内に大きなガレージ兼店舗が建っている。


「『TUZI BICYCLE』――自転車屋さんやったんだ」

「そ。――ただいまー」


 辻さんはガレージ側のガラス扉を開いた。

 辻さんに続いて僕も中を覗いて、


「う、わぁ……!?」


 あまりの光景にびっくりして声がでてしまった。

 広さはバスケットコートくらいあるだろうか。だがその広さの殆どを、数十台、あるいは百以上の自転車が所狭しと並べられている。

 そう、自転車、自転車、自転車。視界を埋め尽くさんばかりの数の自転車で溢れている。床はもちろん壁にも、天井にも吊るして並べられていてついあちこちに目が移ってしまう。僕が乗っているようなママチャリもあるんだけど、その大半は辻さんが乗っているような、ロードバイクばかりだ。


「すげ……」


 思わず僕は声に出して呟いていた。

 ロードバイクとママチャリは、形状からして全く違う。例えばハンドルの形だったり、カゴの有無だったり。

 だけどここに飾られているものたちは、そういう形状の違いだけじゃなくて……例えば塗装の美しさだったり、ワイヤーの配置だったり。そんな細かい一つ一つの事にメーカーの拘りが見えて取れた。

 そんな中、一台のロードバイクが飾ってあった。

 黒い塗装に深紅の指し色。

 胴体部分に大きくメーカーのロゴが入っている。


「……T R E K」


 僕はそれと、目が合った、と感じた。

 そんなことあるはずもないのに。


「……堂本くん?」

「あっ? えっ、いや、その……ごめんなさい」


 辻さんに声を掛けられてはっと我に返る。

 すると、 


「ようまこと、帰ったか」


 作業スペースで自転車を弄っていた若い、オイルで汚れたエプロン姿の男性がこちらを見た。


「ただいま兄ちゃん」

「で、そちらはどなたさん?」

「えっと、その、」


 どなたと言われても……。

 僕が言い淀むと、心得たとばかりに辻さんのお兄さんはにやっと笑った。笑顔の口元が兄弟でそっくりだな、なんてふと思う。


「なんやまこと、お前にもついに彼氏のできたっか」

「違うけん。客連れて来たよ」

「え、そがんと?」


 僕も初耳だ。

 辻さんの方を見ると、彼女は外に立てかけてある自分の自転車を顎で指した。


「あたしのビアンキ、傷物にしてくれたやん。兄ちゃんあれ塗装やり直しって、いくらくらいするとかね?」

「はぁ!? お前、今日おろしたばかりでもうコケたとか!?」

「違うけん! こいつにぶつかられたせいやっけん!」

「あー……」


 納得したような顔のお兄さん。

 少し考えて、


「パーツ全部外して、塗装屋に持って行って……組み直して……まぁ四とか五万とか? メーカーにやってもらうんやったらもう少し掛っやろけど」

「ご、五万……」


 僕がその金額に青い顔をしていると、隣の辻さんがにぃっと歯を剥いて笑った。さっきの坂の上で見せたのとは違う、捕食者が獲物を見る時の笑みだ。


「まぁあたしも鬼やなかけん? そがん金額出せって言うつもりも無かとやけどさ。けどまぁ誠実さって見せて貰わんといけんと思うっさ?」

「つ、つまり?」

「アンタのバイク。ウチでメンテしてけよ。錆の浮いてキィーキィーうっさかったし、丁度良かたい。学割で安くしとくよ」

「あっ、うん。それなら……」

「月イチでメンテに来んばよ?」

「えっ!?」

「そんくらいにしとけよまこと」


 苦笑しながら、お兄さんが割って入って来た。


「月イチはともかく、錆が浮いとっとなら確かに診といた方がよかけん、バイクば中に持って来んね」

「アッハイ」

「兄ちゃん、せっかくあたしがカモば連れて来たとに商売っ気の無か……そがんやけんウチは儲かっとらんたい」


 口を尖らせた辻さんが言う。

 どちらかというとカモじゃなくてブタなんですけど。


「せからしか!」


 お兄さんが怒鳴る。

 こうして僕は、TUZI BICYCLEの客となった。


「うっわゴツかぁ。確かにこらヒドかばい」

「そがんですか」


 僕のママチャリを前に、辻さんのお兄さん――みのるさんは呆れたように言った。

 隣に座る僕は覗き込みながら訊ねる。


「ママチャリは頑丈さも大事かけん、取り合えず走れはすぅやろけど。まぁ良か状態やなかたいな。ずっとメンテしとらんやろこれ。四、五年くらい?」

「う、その通りです」


 みのるさんに言い当てられて恐縮してしまう。


「ま、まことに言いくるめられたごたっし、学生やしで安くはすっけど……チェーンば替えて、スプロケば錆落としに漬けて……」


 指折り数えて、みのるさんは僕を見た。


「二千円で。持っとる?」

「……はい」


 高校生の小遣いで、二千円の出費は相当痛い。

 だけど多分みのるさんは限界以上に安くしてくれたんだと思う。チェーン新しくしてくれる分だけでも赤字じゃなかろうか。


「それにしても、凄か数の自転車ですね。ロード……ってやつですか」

「そ。ママチャリとかシティサイクルも扱うばってん、ウチはロードバイクメインの店やっけん」

「その……俺素人であれなんですけど、ロードバイクって、その。なんなんですかね。ママチャリと全く違うってのは判っとですけど」


 僕がそんなことをみのるさんに尋ねた時、部屋に着替えに行っていた辻さんが戻って来た。ハーフパンツに緑? 青? というか――辻さんのロードバイクと同じ色のTシャツを着ている。Bianchiってロゴも入ってるから同じメーカーのものなんだろう。


「ロードとママチャリの違いね。ま、簡単に言うと見た目と素材と性能と目的。ぶっ

ちゃけ、同じ自転車ってだけで全くの別モンたいね」


 僕とみのるさんにお盆に乗せていた麦茶のグラスを渡してくれながら、辻さんは僕の質問に答えてくれた。


「あ。ありがとう――それで、全部違うって?」


 麦茶を一口飲むと体に水分が行き渡るのがわかる。肌に汗が浮くのを感じながら僕は重ねて質問した。

 パイプ椅子を引き寄せて座った辻さんは、組んだ足の爪先にサンダルを引っ掛けてプラプラさせながら少し考え、答えた。


「そーねぇ。ねえ堂本くん。例えば一言に自動車って言うてもさ、色々有ったい? プリウスに軽トラに4DWにポルシェにF1に……って。あたしも詳しか訳じゃなかばってん」

「う、うん」

「ポルシェと軽トラは同じ自動車やけど、目的も使い方も全く違うやんね。ポルシェはスポーツカーで趣味の車。軽トラは実用目的で色々荷物運ぶ用」


 僕も自動車に詳しい訳じゃない。

 けど辻さんの言いたいことはなんとなくわかって来た。


「で、ポルシェとプリウスも違うもの。スポーツカーと普段使いの乗用車。軽トラと四トントラックは使い方似てるかも知れないけど、やっぱり別モンなんよ」

「つまり、例えんならママチャリは軽トラみたいなモンで、ロードバイクはポルシェみたいなもんってこと?」

「そう。ばってんロードバイクはポルシェっていうか、F1?」

「F1なの!?」

「そりゃ言い過ぎやろ」


 苦笑しながら、僕のママチャリの後輪タイヤを外していたみのるさんが立ち上がって、店の奥の方へと向かっていく。


「まぁ確かにレース用として使えるし、なんならプロと全く同じモデルも市販されて普通に手に入るけん、F1って言えんこともなかけど。もっとざっくりレーシングカーって言う方がしっくり来っかな」

「はぁ、プロと同じものが……」


 そう言われてもピンとこない。

 辻さんが悪戯っぽく笑いながら言う。


「ピンキリよ。エントリーモデルなら十万くらいから」

「十万!?」


 自転車で!?

 ガンプラがいくつ買える!?


「プロも使うようなハイエンドモデルやったら百万とか」

「百万!? 自転車で百万!?」


 自転車で!?

 ガンプラがいくつ買える!?


「堂本くん良かリアクションすンなぁ」


 ロードバイクを一台、引っ張り出してきたみのるさんが笑う。


「ツール・ド・フランスって聞いたことあるやろ」

「それ位なら……有名な自転車のレースですよね」


 たしか、何日もかけてフランス中を行ったり来たりするというなんかトンデモナイ自転車のレースだ。


「それに出場するような世界トップの選手たちと同じ性能のバイクが、たった百万で手に入るって言うたらどがんね。安くね?」

「ぐっ……!」


 言葉に詰まる。

 『世界トッププロと同じ機材が百万円』

 確かに、なんか、お得感あるかも。


「例えばロードのフレーム……この部分な。最高級モデルならそれだけで六十万とか八十万とかするとよ。で、最高級のタイヤホイールが前後セットで三十万」

「ホイールだけでそんなにするんですか!?」

「でも完成車だったら同じフレームとホイールに加えてサドルにハンドルにコンポにペダルまで最高級品で組んで百万ばい。どがんね、お得やろ?」


 自転車の価値も値段もよくわからないけど、つまり、全部個別に買うより二十万円くらい安いってこと?


「えっと、ガンプラが、MGのガンプラで――いくつ分!? お、お買い得ですね!?」

「……連れて来たあたしが言うのもアレやけど、堂本くん、将来変な詐欺に引っ掛からんごと気ィつけんばダメよ?」 


 辻さんに呆れたように言われて我に返る。

 どう足掻いたって高校生に百万円の買い物なんてできる訳が無いのだから。


「その……あれは、いくらくらいするっとですか」

「あれ?」

「あの奥にある、トレク? って書いとぉ黒いの」 

「黒の……ああ、TREK(トレック)な。エモンダのミドル、諸々込みでざっと30万ちょっと」


 みのるさんが言うには同じメーカーでもいくつかデザインがあって、更にそれぞれのモデルに初心者用のエントリーグレードだったり、上級者用のハイスペックグレードだったりがあるそうだ。

 僕の目を引いたあの黒いトレックは、その中でも丁度中間のミドルグレード。一番人気のあるグレードらしい。


 「ま、百聞は一見に如かずって奴ね。スプロケの錆落としに少し時間掛かっけん、ちょっと乗ってみると良かよ」

「いいんですか?」


 みのるさんが押している白いロードバイク――サイドに、LOOKとロゴが入っている。TREKとも辻さんが乗っているのともまた別のメーカーのものなんだろう。


「俺が前に乗ってた古い奴な。あのエモンダほどじゃなかばってん十分走ってくれっけん、お試しには丁度良かたい」


 そう言ってみのるさんは辻さんの方を見た。


「まこと、レクチャーしてやらんね。お前の連れて来た客やっけん」

「へーい」


 LOOKのロードバイクを店の外に出して真っ先に言われたのは、制服ズボンの右足のみ、膝までまくり上げることだった。


「そがんせんとヒラヒラした裾が、前のスプロケに巻き込まるっけん」


 とはみのるさんの言。

 ママチャリだとスプロケットにカバーが付いているけど、ロードバイクにはそれが無い。なのでズボンの裾がオイルで汚れたり、巻き込まれてボロボロになっちゃうわけだ。

 先ほどから度々出てくるスプロケットとは、要するに歯車部分全体のことを指す。

 ペダルに直結する前スプロケットが二段、後輪に組付けられている後ろスプロケットが九段。掛け合わせて計十八段変速。

 速度や斜度に応じて変速するわけだけど、一方僕のママチャリは後ろスプロケット六段のみ。その差三倍以上の段速数。

 なるほど、同じ自転車だけど根本から別物だと納得する。

 辻さんのロードバイクも同じ前後にスプロケットがあるけれど、後輪スプロケットの歯数構成がちょっと違うらしく、この辺は個人の脚質やら体力やら走るコースやらで変えるものなのだそうだ。

 あと、辻さんの奴の方は後ろ十一段だそうだ。みのるさんのものより新型だから、らしい。


「まーステム長はしょうがなかけん我慢して。サドル高は……こんくらい?」


 股下の長さを計られて、サドルの高さを調整してもらう。

 僕がチビデブなのもあるけど、背の高い辻さん同様兄のみのるさんも背が高い。ゴリッとサドルを低くされた時ちょっと切なかった。


「それでもエラい高かですよね、サドル」

「っていうか、みんなサドルば低くし過ぎたい」

「そがんですか?」


 種類目的の差はあれど、どんな自転車もペダルを踏みこんだ力で前に進む。

 サドルが低すぎると膝が曲がった状態でペダルが下死点(一番低い位置)に来てしまい、踏み込むパワーを活かしきれないのだそうだ。


「つまり僕のママチャリもサドル低すぎってこと?」

「そがんやな。高さ変えるだけで大分乗りやすくなっし、スピードも出っばい」

「そがんですか。知らんかった」


 真っ直ぐ膝が伸び切るのではなく、百四十五度くらいの位置で下死点に届く位置が理想なのだとか。

 そしてLOOKのハンドルを持たされて、真っ先に思ったことが、


「――軽ッ!?」


 イメージしていた重さが無くてついスカッと持ち上げてしまった。

 おそろしく軽い。


「そりゃね。重くちゃ話にならんし。ママチャリの半分くらいじゃなかかな」

「そんなに軽いんだ……」

「そのバイクは昔のモデルやけんアルミやけど、今はカーボンが主流たいね。フレーム単体で六百グラムとか八百グラムが当たり前の世界やし」

「一桁少なく間違ってません?」

「そげん思うやろ。そばってん間違っとらんのよそいがさ」


 フレームというのは、何もかも全部取っ払った自転車の真ん中の、三角形二つ繋がったところ。そのマシンの基本性能や性格が決まる部分。これを基部としてハンドルやらペダルやらホイールやら、とにかく全ての部品を組みつけて自転車は出来上がる。


「それでなんやかやで大体九とか十Kg以下くらいになるわけよ」


 レースとかプロとかそういうのはさて置いても、『より遠くへより速く』というのがロードバイクというものが目指す主目的となる。

 故にロードバイクにおいて、軽いは正義である。

 そんな観点から六kg以下を目指して軽量化を重ねる人もいるそうな。沼の一種だなこれ。


「信じらんねぇ」


 でも間違いなく僕のママチャリより遥かに軽いしなぁ。

 そう言いつつ店の前の駐車場でロードバイクのフレームに跨るが、


「えっと、高かけんお尻がサドルに乗らんとですが」


 尾てい骨あたりにサドルの先端が当たってる。


「あら。ちょっと変えんと」


 みのるさんが六角レンチでカチャカチャと留め金具を弄って、


「もっと高くされた!?」


 腰骨に当たる位置になってる!


「これ、どうやって乗るんですか?」

「フレームに跨った状態で、右のペダルを高い位置にしとって足乗せて……そうそう」

「で、右のペダル踏み込むと同時に身体持ち上げて……っていうか、ペダルに立つ感じで。それでサドルに乗っとよ。降りっ時はバイク傾けるとコケっけん、お尻もサドルから降ろすと良かよ」


 ハンドルの突起部分――ブレーキと変速操作レバーを握り、イメージトレーニング。ペダルに立つ、ね。なるほど。

 幸い駐車場は十分広いし、跨って、ちょっと漕いで、降りるだけならなんとかなるだろ。

 そんな軽い気持ちで僕は右足に力を込めて、


「……せー、のっ」


 右足に体重をかけて踏み込み、ロードバイクに跨り、左のペダルを足で受け止めて、


「わわわ、高ッ――!?」

「ちゃんと前向いて! 前!」 

「漕ぐのを止めんで! ペダルば踏め!」


 みのるさんと辻さんが背後で叫ぶ。

 普段乗っているママチャリとあまりの視点の高さの違いに驚いて、とにかく倒れまいとペダルを踏んだ瞬間、


 シュルン、と。


 風を切り裂く感覚――


 平坦な場所なのに坂道を下るような速度で、

 何もかも置き去りにするような、

 息を飲んで、


 僕は、

  



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