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5-3. 自転車でようやっとね


 島原から雲仙に向かう急坂も、この突き当りでお終いだ。

 突き当りの向こうにはゴルフ場が広がっている。

 このT字路を国道57号に沿って左に曲がれば雲仙の温泉街である。なんでも江戸時代初期に修行僧によって開山し、当時から湯治場として有名だったらしい。かつては温泉(うんぜん)と書いたらしいのでさもありなんという話である。

 特筆すべきは地獄と呼ばれる源泉の湧出地。

 温泉成分によって漂白された真っ白な岩や砂礫、そして湧き上がる湯気と硫黄の香りはなるほど、昔の人々をして地獄の風景を思い起こさせるのには十分だ。

 島原の観光パンプレットによく見る、道路の左右をもうもうと湯気が立ち上っている写真もこの地獄のあたりにある……のだが。

 今回俺たちは国道を雲仙温泉街に続く左に、ではなく右に曲がった。

 そのすぐ先には何があるのかというと、料金所である。

 俺と辻さんはその料金所の脇にある駐車転回スペースの木陰で死にかけていた。辻さんは石垣に寄りかかり、俺はもっとわかりやすくアスファルトに転がっている。

 言うまでもなく俵石の展望台からこっち、一時間以上の登攀で脚も体力も使い果たした結果である。俺は今だけなら打ち上げられたがんば(フグ)のものまね選手権で世界一を取れる自信がある。

 流石に全く足をつかないと言うことはなかったが、それでも俺たちはやり遂げた。

 辻さんと目が合うと、「ふへへ、へへ」と気持ち悪い笑い声が出た。登り切ったという事実にテンションがおかしくなってる。


「自転車でようやっとね」

 

 料金所から出てきた係りのおっちゃんが笑った。

 ここから先は、仁田峠循環道路という観光道路だ。一方通行で、普賢岳ーー平成新山の間近まで行くことができる。そのまま先に進めば、さっき左に曲がった先の国道に合流するのだ。


「この先、行くとかいね」

「っす」


 ウェアの背中に差し込んでた財布から五十円玉二枚を出す。辻さんも死んだ目で百円玉をおっちゃんに差し出した。

 雲仙岳はその全域が、国立自然保護公園に指定されている。だから動植物を持ち出しちゃだめだし、狩猟なんて以ての外。厳密なことを言えば小石一つ小枝一本すら持って行ってはいけないのだそうだ。

 で、この百円は自然保護維持費としてこの道路の通行料代わりに徴収されるのである。

 入念に、特に足回りのストレッチを行い立ち上がる。


「けーすけさ、体力残り何パーくらい?」

「約3.14パーくらい? ……ま、まことは?」


 俺がそう呼ぶと、彼女はにまぁと笑顔をみせる。


「半径×半径×3.14くらいたい! さ、行こだい!」


 とまことに、勢いよく背中を叩かれた。ベチっと結構な音がする。


「痛ってぇ!」

「……うぇぇ、けーすけの汁がべちゃってなったぁ……」

「汁って言わんと!」


 なんで俺、叩かれた上にディスられてんの?

 テンションを上げたり下げたりしながら、改めて俺たちはバイクに跨った。

 目的地の仁田峠まで、あと5kmちょっと。


 

 ・


 

 ぜぇーっ、はぁーっ! ぜぇーっ、はぁーっ!

 ひぃーっ、ふぅっ! ひぃーっ、ふぅっ!


 なんで俺はこんなことをしてるんだろう、と自問しながら前へと進む。少し後ろを走るまことも、多分同じことを考えている。

 なぜ山に登るのか? と問われて、そこに山があるからだ、と答えた登山家がいた。

 問答ばかりが有名になっているが、今の俺だったら断言できる。その登山家さん、登山の真っ最中は絶対に後悔してる。「なんで俺、山なんか登ってるんだろう……」って後悔してる。

 日帰りのハイキングなんかの話じゃない、ガチの登山。道の無い登攀ルート、アホみたいにでかくて重いリュックを背負い、時にはロッククライミング。左右が切り立った崖の、ほんの三十センチの幅を歩く――足を滑らせれば数百メートル下の岩に激突する本当の登山。時には猛吹雪に数日も足止めを食らうような、そんな極限の環境下にあって「やったぁ! 山だぁ! たーのしーッ!」なんて呆けて笑ってられる奴なんていないと思う。

 じゃあなんで、「山があるからサ……」なんて言うことができるのかというと、喉元過ぎればなんとやら、ってやつだと思う。

 終わりよければ全て良し。

 終わった後なら尚更良し。

 思い出は美化され、苦労は達成感に塗り潰される。

 だからこそ山があるからさなんて言えるのだ。

 じゃあ、今この俺たちはなんだろう。

 パパッ、と背後からクラクションが鳴る。ちらりと振り返れば、乗用車が一台、まことの後ろに控えていた。

 この仁田峠循環道路は一方通行だ。山肌に自動車一台分の車道が張り付いている峠道である。

 俺たちが脇によけると、乗用車はエンジン音も高らかに俺たちの横を通り過ぎていく。助手席の窓から小生意気そうな十歳くらいの男の子が、不思議そうな目で俺たちの事を見ていた。

 

「……今ほど、エンジン付きの乗りモンがこがん羨ましかッ事もなかたいね」

「それな」

 

 アクセルひと踏みで、あんなに簡単に加速していくなんて。

 おかしいな。主人公が新型機に乗り換えなんてロボットアニメじゃお約束だというのに。俺の方はと言えば、機体は最新型で性能は間違いなくアップしたというのに肝心要の俺の脚(ジェネレーター)がド貧脚のままだなんて。これじゃ出力が全く変わらねぇんだが?


「あたしは車ん中は冷房の効いとっとが羨ましくてしゃんなかって」

「下よりもだいぶ涼しかっけどね」

「そがんけどさ」


  そう。ここは標高千メートルを超える一応は山地帯である。

 予報では本日島原市の最高気温は三十七℃、雲仙岳の最高気温は二十八℃と、その差およそ十℃にもなる。

 観測地点と予報の誤差があるにしても、相当な気温差。高負荷の運動を続けて汗だくの俺たちだけど、俵石の展望台を越えて少しした辺りから明らかに気温が下がっているのを感じていた。

 そうして曲がりくねったカーブの先、右側ガードレールが膨らんでいる場所が見えた。

 仁田峠第二展望台ーー道路右側、崖にせり出した小さな駐車場のある展望台だ。ここからだと下の不知火海から山肌、そして普賢岳の火砕流跡が一望できる大迫力のパノラマを楽しむことができる。

 しかし、まことと俺はこの展望台をスルー。

 

「けーすけ、もーちょっとやっけん!」

 

 この展望台が登り坂の、一番きついところだった。

 ここからは二Km弱のほぼ平坦路である。


「坂じゃないって……こがん、こがん素敵かとね……!」

「踏めば踏むほど速よなっと……!」


 木々に囲まれた緑のトンネルの中を、俺とまことは軽快に進んでいく。ああ、これぞロードバイクの醍醐味!

 今までの行程、そのほとんどが激坂ばっかりだった俺たちにとってまるで天国のようだ―ー感極まって泣いてしまうのも無理はないだろう。まぁ雲仙にあるのは天国じゃなくて地獄だけど。

 そして程なくして、木々のトンネルを抜ける。

 広い駐車場と、売店。そして展望台にロープウェイ乗り場。

 雲仙岳にあって自転車で来ることのできる最高地点である仁田峠第一展望台に到着した。

 ブルリと体が震える。

 涼しい風に体温を奪われたからじゃない。

 

「登り切った……!」

 

 まことの呟くそのたった一言。

 まさしく俺たちの感情を余すことなく凝縮した、歓喜の言葉であった。



 

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