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1-2. 「ロードバイクやっけんね!」


 退屈な午後の授業をやり過ごして放課後。

 いつものように、平野が帰り支度をしている僕の椅子を後ろから蹴って来た。

 取り巻きの一人がニヤついて言う。


「よお堂本。放課後何して遊ぶ?」

「他の奴も呼んで、カラオケ行こうか」

「いーねー。カラオケ久々やん」


 こいつらと密室だなんて冗談じゃない。サンドバックにされるのがオチだ。


「え、その……でも。僕、その……」

「悪かけど、」


 と、横から割って入る声。

 見れば辻さんがいつの間にかそこに立っていた。

 辻さんは僕の制服シャツの襟を引っ張ると、平野に向かって言う。


「遊びの予定はキャンセルで。コイツ借りてくけん」

「ふーん。隣のクラスの辻、だっけ。ふーん」

「なんよ?」


 へらっとした軽薄な笑みで、平野が辻さんに問う。


「お前こがん豚が好みか。蓼食う虫なんか初めて見たバイ」

「うんにゃ。あたしはペーター・サガンみたいのが好きやけん」


 ペー……誰?

 僕と平野の頭上にハテナマークが浮かぶが、辻さんは構わず僕を引っ張り立たせた。


「よかけん、行くよ」

「ちょっ、ちょっとまって、鞄ば」


 平野は面白くなさそうな顔をしたが、それ以上僕たちにちょっかいをかけることなく、僕は辻さんに引っ張られて教室を後にした。

 




 放課後はどこか解放感と、混じり切れずに濃淡が残ったような寂寥感が漂っている。下校する生徒たち。部活に向かう生徒たち。仲間や友人とつるんで歩く者、一人で歩く者。

 鞄を持って辻さんの後を付いて校舎を出る。


「あ、あのぅ」

「…………」


 声をかけても返事はない。

 斜め後ろから見えるむっそりと結ばれた辻さんの唇。

 無理もない。

 あの怒り様、辻さんはあのビア……なんとかって自転車をとても大切にしていたようだ。大切にしているものを突然キズモノにされれば誰だって怒る。

 僕だってそうだ。丹精込めて塗装したガンプラを壁に叩きつけられればいくら怒るのが苦手な僕だって、流石に――

 …………。

 怒鳴って喚いて、相手に掴みかかる自分を想像できなくて思わず絶句する。

 想像の中ですら僕は、壊れたガンプラを手に相手に向かってへらりと笑っていたからだ。

 あまりの自分のヘタレっぷりに情けなくなってくる。


「どうしたん?」


 自己完結的に自分に幻滅していると、辻さんが変な奴を見る目で僕に問いかけた。


「いや、なんでもなかよ……」


 よくわからない、と肩を竦めて歩く辻さんについて行って、辿り着いたのはやっぱりというか案の定、駐輪場だった。

 その端っこの柱に、ワイヤーロックで繋がれている辻さんの自転車があった。


「堂本くんもチャリ通?」

「う、うん。あっちに止めとっけど」

「そ。じゃあ自分のバイク取ってきて。あっちん正門から行くけん」 

「行くってどこに?」


 僕の質問に答えず、辻さんは手早く自転車のワイヤーロックを解いた。背中のバッグパックに引っ掛けていたスカスカに穴の開いたヘルメットを取り外して頭に被るとひらりと自転車に跨る。


「わっ、わわっ」

「見ンなよ、スケベ」


 制服のスカートがめくれてその中身が見えたが、紺色のスパッツを履いているようだった。い、いや残念とかじゃないから。


「正門んとこで待っとるけん、はよぅね。こんスケベ」

「だから見とらんって……聞いとらんし」


 言うが早いか、辻さんは自転車を走らせて正門の方へと向かって行ってしまった。

 反論もさせてもらえない。

 慌てて僕も自分の自転車の方へと向かう。

 中学の時から愛用している自転車の前カゴにバッグを放り込んで後輪ロックを外し、急いで正門の方へと向かう。


「辻さんは――おった」


 門を越えた道路の向いで、辻さんは僕のことを待っていた。

 走って来た車をやり過ごし、下校する生徒を避けて辻さんの傍に自転車を寄せる。

 口を尖らせて辻さんは言った。


「行こか」

「だから行くって、どこンよ」

「うち」

「うち、って辻さんち? あっ、ちょっと」


 それだけ言うと、辻さんはペダルを踏んで走り出した。

 僕もそれを追う。

 僕たちの通う県立森岳高校は、裏門の細い路地を挟んで市立第一小学校があり、その更に向こうが堀で囲まれた島原城だ。

 島原城の周辺には他にも第一中学があり、商業高校があり、と幾つもの学校が密集している。かつて江戸時代ではこの学校密集地帯は全てお城の縄張りの中であったらしい。その証拠に現在でも商高の向こうには武家屋敷がいくつが現存しているし、北門やら大手門やらが地名として残っている。

 辻さんは島原城のお堀沿いに、大手門に向け自転車を漕いでいた。僕もそれを追いながらふと思う。


「――速か」


 さほど辻さんが、力をこめてペダルを漕いでいるとは思わない。

 だけど僕がかなり力を込めてペダルを漕がないと、あっという間に彼女に置いて行かれてしまうのだ。

 それに、音。

 あちこちからキシキシと音がする僕の自転車に比べ、辻さんの自転車はもっと、こう……なんというか、こう、違うのだ。

 細いタイヤがアスファルトを転がる音、チェーンとギアが擦れる音。その音の一つ一つが、洗練されている、というか。

 ハンドルの形も僕のモノとは全く違う。前に落ちるように大きく湾曲するハンドルと、前方に角のように突き出しせり出したパーツ。多分、あれブレーキレバーだよな。

 それに明らかに、座席も高い位置に設定している。その分前のめりな体勢で自転車を漕いでいる。

 比べて僕の自転車は横に突き出したハンドルに、一部塗装の剥げたカゴ付きのママチャリ。キイキイ音がするのも当然で、チェーンに錆が浮いているのを放置していたからだ。

 中学入学の時に買ってもらったものだから、およそ四年間乗り回している。ほとんど整備もしていないから、あちこちガタガタであるのだけど。

 そういうのを差し置いても、僕と辻さんの自転車は全くの別物だ。性能が違い過ぎる。

 そんなことを考えながら彼女の背を追いかけていると、お堀の横を抜けて病院の傍らの坂を下り、大手門の前へと出た。

 そこで信号待ちで辻さんの横に並ぶと、思わず僕は声をかけた。


「その自転車、速かね」

「そりゃロードやけんね。ママチャリに比べればさ」

「ロード?」

「ロードバイクのことたいね」


 そこで信号が青に変わる。

 するっと軽快な動きで辻さんは――辻さんを乗せたロードバイクは走り出した。

 その後ろを追いかけながら、改めて辻さんのバイクを観察する。 

 カチカチッと音がして、後輪歯車の変速機が動いた。僕のもママチャリにしては珍しく六段変速だけど、間違いなくそれよりも多い。多分十枚くらいの歯車があるし、


「ペダル側にも変速機がある」


 つまり、二十段変速ってこと?

 僕もハンドルを操作して変速したけど、錆のせいでカリカリギシギシと音がして、ようやく歯車が切り替わった。それでも一段変わっただけで足にかかる負担が重くなり、しかも速度がぐんと上がる。

 僕のママチャリでそうなのだから、彼女のロードバイクはどれくらいの……。

 そんなことを考えている辻さんはアーケードの中へと入って行った。もちろんアーケード内は基本的に自転車は降りてなきゃダメなんだけど、うん。守ってる人は殆どいないよね。

 古い、田舎街のアーケードだ。どことなく昭和の香りが残っている。

 シャッターの降りている店も多いし、人出も少ない。

 元々地方都市なんて、どこも少子化と人口流出が問題になっているものだと思うけど、僕が生まれるずっと前にこの島原を襲う大災害が起こったことがそれに拍車をかけた、らしい。

 現在ではUターンだかIターンだかでちらほら新しい店が入っていたりするんだけど、やっぱりすこし寂しい印象はある。古い住宅街が密集しているせいで狭いし自動車を止める場所が少ないからじゃないかなと僕は思ってる。

 実際、島原城を挟んで反対側の北門は田んぼや畑が多いんだけど、最近は大型スーパーやら大型書店があるおかげで栄えている感じだ。やっぱり田舎は自動車がないと何もできないけど、となると大きな駐車場がある方が有利だし。

 アーケードは途中で自動車道との交差点を挟んでさらに伸びていく。本当かどうかしらないけど、かつて坂本龍馬が長崎に向かった際にこの辺りを通ったという説があって、いつだったか福山雅治が大河ドラマで坂本龍馬を演じた時にちょっと話題になったとかならないとか。

 アーケードを抜けて右折。

 小さな川沿いに少し進むと県道へと出た。

 島原が全国に誇る日本一の白土湖の傍だ。

 その周囲がわずか二百メートルという、日本一小さな陥没湖を背後に、辻さんは坂の方へと方向を変えた。


「さあ、行くよ」


 そう気合を入れた彼女は、傾斜をものともせずにぐんぐんと進んでいく。

 距離自体は大したものじゃない。ほんの五百メートルかそこら程度なのだけど、僕はなんとか歯を食いしばって立漕ぎでぎりぎりで乗り越えたというのに、辻さんは立漕ぎを始めると、むしろ加速し始めた。その後ろ姿には余裕すらうかがえる。


「すご……」


 汗だくで息を荒げながらそんな感心をしているうちに坂を下って、外港の前へと出た。

 開けた正面にはフェリー乗り場と、海を挟んで熊本が見える。


「こっちやから。車が多かけん気を付けて」


 途中で住宅地側へと辻さんは曲がって路地へと入りこむ。狭いけど近道になるせいで自動車の交通量が多いこの路地から、更に右折して住宅地の奥へと向かい始めた。

 そこでもう一つ、さっきの坂より短いけど更に傾斜のキツイ二十メートルほどの坂がそびえていた。


「ここを越えたらすぐやっけん!」

「いやムリって!」


 流石に僕は悲鳴を上げた。

 自転車で登るには急すぎる。殆ど壁にしか見えない急傾斜。

 だというのに直前の平坦で勢いをつけた辻さんは、そのまま立漕ぎに入ってグイグイと坂を登っていく。


「――ふっ、ぐっ、うっ、うううっっっ」


 自転車を左右に振って力強く踏み込む辻さんの姿。

 できるのか? 

 自転車でこの坂を乗り越えることが?

 疑問も煩悶も一瞬のこと。全身の力を振り絞る辻さんの姿に当てられたせいか、僕の腹の底に熱いものが生まれた。

 ――どうせダメ元だ、やってやるっ!

 僅かな距離で少しでも勢いをつけて坂に突入。

 一瞬で速度が殺された。ギアを一番軽くし、立ち上がり、全体重と力を込めてペダルを踏み付ける。


「くぅぅぅ、うううう~~~!」


 唸れ、我が贅肉よ!

 普段役に立たないんだから、こんな時にちょっとくらい役に立ってくれ!

 とはいえ、現実は厳しい。漫画やアニメじゃないんだから、その時だけちょっと気合入れればどんな壁だって乗り越えることができるなんてある訳ない。

 結局真ん中あたりでリタイア。足をついて、自転車を降りて押して登っていく。

 坂を越えたところで、辻さんは僕のことを待っていた。

 汗を額に浮かべて、得意げな笑みで僕を見ている。

 ぐっと心臓が収縮して、つい僕は息を荒げたまま声をかけた。


「はぁ、はぁ……す、すごかね、辻さん。はぁ、はぁ、この坂、自転車で超えっとか」

「ロードバイクやっけんね!」


 八重歯を剥いて笑う辻さんを見て、僕の心臓がもう一回、強く縮む。


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