4-6. 勝負 4
†
全くの予想通りだった。
この勝負にあたって、いくつかの予想を立てていたが平野を先行させた場合、抜こうとすれば絶対に攻撃が飛んでくると思っていた。
だから平野を追いながらずっとタイミングを計っていた。奴の体力が落ちて、息を荒げて、他の自動車が全くいなくなるタイミングを。
周りを囲まれて逃げられない状態ならまだしも、車道の幅いっぱいに使えるなら蹴りを避けるなんて簡単だ。
何度もこの坂道を登っていくうちにわかってしまった、とても当たり前の事がある。
それは、現実世界に一発逆転の必殺技なんて存在しないってことだ。
確かに細かいテクニックは存在するよ。
ヒルクライムでいえば、例えば体重を使ってダンシングする事で脚の筋肉を酷使しすぎないとか。わざと二、三段重たいギアに替えてペダルに立つようにする事で体力を回復させるとか。
でも、そんなのベテランだったら誰でも知ってるテクニックだ。とても必殺技なんてモンじゃない。ましてそれを使えば絶体絶命のピンチがひっくり返って大逆転……なんてことはあり得ない。
結局のところ、毎日毎日の積み重ね。
勉強だったりだったりガンプラを作ったり、もちろんロードバイクで速く走れるようになるのも、毎日少しずつ積み重ねて繰り返していくしかない。
逆に放置する事を繰り返す事で、物事は少しずつ悪化していく。部屋の掃除も、夏休みの宿題も……イジメの対策も。
平野達からのイジメも、最初はちょっと小突かれる程度のものだった。
それにはっきりと嫌がり態度を表明しなかったから、次第にエスカレートしていった。
心配させたくないと、親にも相談しなかったのがいけなかった。
もしそうしていたらもしかしたらこんな大事にはならなかったかもしれない。みのるさんのLOOKも、あんな悲惨な目には……。
そんな事言ったところで、すべては後の祭りだ。
であるなら、いまこの瞬間から始めるしかない。求めるものがあるなら。欲しいものがあるなら、たどり着きたい場所があるなら。
もし一発逆転があるとするなら、それは予め積み重ねておいたものがあるからだろう。事前の準備の結果が、ピンチの場面で結実しただけの事。
「くそが……くそったれがーーーーッッ!!」
平野の叫び声が、夜の島原に響く。
僕は振り向かずに淡々とペダルを踏み続ける。
島原市内を縦断し、深江へとつながる島原中央道路の高架下。
速度を調整したおかけでその信号は青。僕は停止する事なく進んでいく。これもロードバイクの、ちょっとしたテクニックだ。
停止状態から発進するのにはパワーが要る。坂道であればなおさらで元の速度にまで加速するのに使うエネルギーを考えると、停止しない方がマシなのだ。
「ぜはぁーっ! ぜはぁーっ!」
もちろん心の中では、停止したいと思っている。毎日積み重ねてきたといっても、所詮は付け焼刃。練習に付き合ってくれた釜井さんは僕の上達を褒めてくれたけど、それは僕が素人だったから。そりゃレベル99からレベルアップするより、レベル4の方がレベルアップしやすいに決まっている。
ましてや僕は元々運動不足のチビでデブなのだ。いくらレベルアップしやすいとはいっても、元が下なのだから積み重ねたところでまだ大したものにはなっていないはずなのだ。
一方で平野はあれでもスポーツマンだ。高校に入ってからは熱心ではなかったと聞くが、それでも幼い頃から柔道に邁進し、積み重ねてきた体力がある。
その体力を十全に活かし、ロードバイクの乗り方ヒルクライムのコツについて学んでいれば、こんな簡単に追い越す事なんてできなかった。
僕が今、平野の前を走っているのは偶然ではない。けども、余裕があるわけじゃない。停まってしまえばあっという間に追いつかれるだろう。
今この瞬間……この瞬間にも、追いつかれて、首根っこを掴まれるのではないか。
あの時のように。
その恐怖が僕を突き動かしている。
高架下を超えれば坂道は一層きつくなる。
痛む肺。割れそうなほど心臓が強く速く脈を打つ。
それでも淡々と、速度を落としてでも脚は止めない。
曲がりくねった道の先にゴールがある。あと、たったの二百メートルがこんなにも遠い。平坦であれば三分とかからない距離のはずなのに。
それでも。積み重ねていくしかないんだ。
†
長い長い坂道の脇に、小さな神社がある。
そこがゴールのラインだ。火張山公園の駐車場に車を停めた親たちが待っていて……俺はそのゴールを超えた。
拍手は無い。
歓声も無い。
親たちもどうすればいいのか戸惑っているのがわかる。
でも今の僕は、そんな事どうでもよかった。
バチンバチンとビンディングシューズをペダルから外すと、バイクを地面に寝かせ……僕も大の字に寝っ転がる。
声を出すどころか、心臓が痛くてまともに息もできない。肺が酸素を求めているのに、空気がうまく吸えない。
「啓介」
父さんと母さんが寄ってきて、俺を見下ろす。
さすがにここまで大事となってしまった以上、俺は両親に平野達にいじめられていた事を告白していた。そんな状態だというのに、自転車の野良レースで決着をつけるという事ですごく心配されたのだ。
あまりに呼吸が乱れているせいで言葉を出すことができない。
代わりに拳を突き出すと、父さんはそれにコツンと拳をぶつけてくれた。それだけで十分だった。
ぜぇぜぇと荒い息を整え終えたころ、ゆっくりとTUZI BICYCLEのバンがやってきて、路肩に停車する。
扉が開いて、辻さんが飛び降りてきた。
「堂本くん!」
「辻さん……へへ、勝ったよ」
俺が突き出した拳に、辻さんがコツンと拳を当ててくれる。
「すごか、よくやったよ堂本くん……本当に、ありがとねぇ」
「別に、お礼を言わるっことなんか」
ううん、と辻さんは首を振った。
「兄ちゃんのLOOKの仇ばとってくれたたい」
「そいばってん、半分以上は自分のためやっし……そういえば、平野たちは?」
辻さんの乗ったバンは、不正がないように(主に平野たちが暴力を振るわないように)監視のため、前方集団の後ろにつく、という予定だった。そのバンが今到着したということは、少なくとも平野だけはもうここに辿り着いていているはずなのだが。
「それなんやけど、アイツね、下りてった」
「下り……え?」
言われた言葉の意味が分からずに、俺は首を傾げる。
「ど、とういうことかね?」
割って入ってきたのは平野のお父さんだ。
「どがんもなんも、そのままの意味です」
みのるさんが続けた。
「堂本くんに抜かれたあたりで足をついてしまって。それで、Uターンして下って行ってしまったですよ」
証拠に、と辻さんが撮影していたビデオを再生させる。
小さな液晶画面で、しかも夜間撮影モードでで画質が良いとはいえないものの、そこにはばっちりと俺と平野の後ろ姿が映っていた。
俺が平野を追い抜きにかかり、平野が蹴りを見舞おうとして失敗し、ふらついた奴はそのまま停車してしまう。
なにかぶつぶつとつぶやいているみたいだったが、少しして他の奴らが追いついて来た。
すると平野が、「おい、もう帰ろうで!」と言い出した。
「もうどがんしても追いつけんけん、こがん勝負続くっだけ無駄やん」
「けど……」
そこに、みのるさんの声が入る。
「レースば辞めるとは別によかばってん、やからって約束事が無かったことにはならんが良かとかな?」
「うっせぇ。知ったことかクソが!」
そういい捨てると、平野はバイクの向きを変えて、坂道を下って行ってしまった。
戸惑っていた取り巻きたちだが、選んだのは平野に続くことだった。
動画の再生はそこで止められる。平野のお父さんは、額に手を当てて空を仰いだ。
「あンのバカ息子が……!」
その声にはっきりとした怒気が混じっているのは、俺の気のせいではないだろう。
大きなため息をつくと、彼は俺の方を見て居住まいを正すと、奇麗な形で頭を下げた。
「うちの高志が、迷惑をかけて申し訳なかった堂本くん」
「いえ、そんな」
「一つ気になっていたのだが……尋ねても?」
「はい。なにか」
「きみが勝敗の条件につけた、きみが勝ったら息子たちがきみに関わらないこと、という条件だが……もしかして」
俺は未だに震える脚に力を込めて、なんとか立ち上がる。
そしてなおも何かを言いつのろうとする平野のお父さんに手を向けて制止する。
「『俺に関わるな』。そのままの意味ですよ」
「いや、だが、しかし……」
「今、言いましたよね。『関わるな』と」
そこに込められた意味と意思を、ようやく悟ったのだろう。
無言で頭を下げると、彼は離れていった。見守っていた他の親たちの方に近づき、何かを話している。だがもう、それは俺にはどうでもいい事だった。
「よかったと?」
辻さんが尋ねてくる。
「よか」
俺は短く答えた。
「はっはぁ堂本くんはさ、やっぱヤルときゃやると思っとったよ、おいちゃんは」
と近くで話を聞いていた釜井さんが笑いながら、パシパシと肩を叩いてきた。
「なんですかもう。つうか、こがん状況になっとっとは、八割くらい釜井さんとがせいってみのるさんに聞いとっとですからね」
「はっは。バレとったか」
なんでもみのるさんが学校に乗り込むことを提案したのも、その後のレースを申し出たのも釜井さんの案である、との事だった。
壊されたLOOKはみのるさんのもの。事件の被害者である以上、みのるさんがあの話し合いの場にやってくるのは、まぁわからないでもない。だけどその後のレース云々について、どうしても必然性がないのが気になっていた。
そのことを辻さんに話したら、その答えを教えてくれた。
事件当日の夕刻、お店にいた釜井さんに事件の概要やら俺と平野たちの関係やらを茶請け話に話してしまったらしい。そこで「よっしゃ|弁護士≪専門家≫の出番やな! みのるくん、お代は勉強すっけん俺に依頼しとかんね!」とノリノリで首を突っ込んできたのだとか。
「俺としては、ありがたかったですけどね。お陰で平野と決着ばつけれたっですけん」
「それやけど……よかったとかね? だいぶ酷くヤられとったとやろ。きみが本気で文句ばつけっとなら、もっとやってやることはでくっとけど?」
「いや。これで十分ですよ」
『俺に関わるな』というのは、赦しじゃない。
お前らには赦しを与えない、どんな謝罪も受け付けない、という拒絶の言葉だ。
「もしここまで言っても、無理に関わってくるようやったらお願いしますけん」
「そっか」
俺の言葉の意味を正しく組んでくれたのだろう。取りあえず釜井さんは納得してくれたようだった。
「しかし……あの平野くん、というのはこれから大変やろうな」
「そうですね。親父さん、厳しそうな人ですもんね」
なにげなく俺がそう反すと、釜井さんは違うよ、と答える。
「それもやけど。結局、あの子は最後、負けが確定したってわかったら勝負を投げたやん」
それに続く、釜井さんが続けた言葉はとても……そう。
とても俺の心に、深く重いところに響いて、残った。
「最後までやって、ちゃんと負けるって大事なことなんよね。じゃないと『やり遂げなかった』って逆向きの自負が、」
呪いになる。




