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4-4. 勝負 1


 

 みのるさんのLOOKが破壊された日から、二週間が過ぎた。

 八月一日、夜の十時――俺は島原駅の前にある、ロータリーにいた。

 バス停のベンチに腰かけて、目の前の国道をまばらに走る自動車を見ている。

 異常気象の昨今、こんな深夜の時間になっても中々気温は下がらない。父さんたちが子どもの頃なら、夜は窓を開けているだけで十分涼しかったらしいけど……。

 うっすら汗ばむ熱帯夜にそんな事を考えていると、ガヤガヤとした気配が近づいてきた。

 五人の、自転車に乗った男たち。

 平野たちだ。

 奴らは直ぐに、俺の存在に気が付いた。


「よう、豚。来てやったぞ。おめぇ如きが呼び出しやがって、この後ぶっ殺さるっ覚悟はできとっとやろうな」

 

 平野が言う。

 Tシャツにハーフパンツ。そしてスニーカー。

 跨っているのは、あの時駐輪場で見た赤いロードバイクだ。

 俺は平野の言葉を無視すると立ち上がった。


「……お前、そのカッコ……」


 平野の後ろにいた誰かが呟いた。

 俺の今の恰好は、確かに奴らからすれば驚くべきものだったかも知れない。

 あのLOOK破壊事件の後で、俺たちが合うのは初めてなのだから。

 その間に、俺は体重を十kg近く落としている。

 元々が肥満体形だったのだからようやく軽肥満になった程度だが、それでも久しぶりに見ればかなりスリムになって見えることだろう。


「能書きはいいから、さっさと始めようで」

「ああ゛? てめぇ、誰にそがん口ばききよっと思うとっか!?」

「誰って」

 

 俺は鼻で笑って言ってやった。


「人のバイクば壊すのに夢中で、監視カメラに映っとっことに気が付きもせんで停学になったアホにやん」

「…………ッ!」

 

 街灯の頼りない灯りの下でも、平野の顔に赤みが差したのがわかる。

 その平野が前に出ようとした瞬間。

 パパッ、とクラクションの音が響く。

 目をやると側に停めてあったTUZI BICYCLEのロゴが入ったバンからみのるさんが下りてきた。


「はいはい少年たち、勝負の前に熱くなっとじゃなかよ……特にきみは、それが条件やろうが」


 平野がみのるさんを睨むが、バツが悪そうに眼を逸らす。

 バンの陰からはストレッチをしていた釜井さんも姿を現した。バンの助手席には辻さんもいて、こちらをハラハラ心配そうに見ていた。

 サイクルジャージにレーシングパンツという完全装備の釜井さんが一歩前に出て自己紹介を始めた。


「さてみなさんこんばんわ。本来はきみたち未成年をこんな深夜に呼び出すのは色々と良くなかとやけど……まあ、みのるくんの頼みでね。諸々トラブルの決着ば、レースで着けるってことで首ば突っ込みに……じゃなくて見届け人として参加することになりました釜井浩一です。よろしく~」


 パチパチと独り拍手するが、白けたような空気を無視して釜井さんは続ける。


「条件確認ばします。これからこちらの堂本くん対、平野くんたちの自転車レースで勝負します。平野くんたちの誰か一人でも堂本くんに勝つことができれば、こちら辻みのるくんのLOOKを壊した件についての一切を不問とし、弁償費用の全てを請求しない。間違いないね」

「おう」


 初めて会う大人だというのに、それでも平野は答えた。後ろの奴らはどこか腰が引けてるというのに。

 みのるさんも頷いて同意する。


「堂本くんが勝ったら、LOOKの弁償は事前請求の通りに行われ、これを速やかに支払う事」


 俺は頷く。

 あのLOOKはみのるさんが高校生の頃に買った、十年以上前のモデルだ。当時の購入金額で二十万円以上したと聞いている。

 だがどんなに思い入れがあろうと、とっくに中古もいいところの型落ち品。今回のような場合でも元の購入金額丸々を損害賠償請求、というわけにはいかないらしい。

 そこで同型モデルの中古買取・販売価格を参考に慰謝料込みで七万円が請求されると聞いている。釜井さん曰く「もう少し引っ張ってもいいけど……ま、妥当なところでしょ」だそうだ。

 

「更に加えて、平野くんたちは今後可能な限り堂本くんに干渉しない事。間違いないね?」

「はい」


 俺が答えると、よろしい、と釜井さんが頷く。


「それではコースの確認だ。信号が青に変わるのをスタートとし、左折。国道を進んですぐ右折し、市役所の横を通る。そのまま坂をずっと登って行って、火張山公園前をゴールとする。道はわかるね……よろしい。一応言っておくけど、本来公道でこんな勝負をやってはいけない。なのでちゃんと赤信号で停止すること。当然だけど、暴力行為は禁止。やった側は全員を一発レッドカードと見做す。よろしいかい?」

 

 全員が頷く。

 十分後の信号を合図に勝負開始、という事で俺はバンの陰に立てかけておいた、自分のバイクの元に行く。

 そのサドルを撫でながらアキレス腱を伸ばしていると、辻さんがやってきた。今回はバンに乗って追走するという事でアクションカメラを持っている。


「その、堂本くん……大丈夫?」

「うん」


 俺はその言葉に、短く答えた。


「あのさ。ねぇ、……えっと」


 このまま写真を撮れば、不安と心配、という題の作品になりそうな顔をしている。辻さんの心配ももっともで、この勝負は俺から平野に吹っ掛けたものだ。

 だから勝っても負けても、アイツらから何かされるのではないかと不安なのだろう。

 だけどーー


「みのるさんのさ、LOOKがあんなんされたとは、俺のせいやっけん」

「え、それは違うやろ? あいつらが……」

「やったのは、そうたい。ばってんが、そいでもさ」


 もし俺が、もっと早くに平野達との間に何らかの決着をつけていればあんなことは起きなかった。

 確かに平野達がやった事ではあるにしても、その火種を燻ぶらせたままだったのは俺だ。いじめられていたことを包み隠さず露わにしておけば、もっと違う形の……少なくともあのLOOKを壊されるような未来なんてなかったのではないか。

 そんな思いが拭えないでいる。


「それに」

 

 俺は、改めてバイクのサドルを撫でると、辻さんに拳を突き出した。


「いずれせんばいけん事ば、今すっとさ」


「ん。ワイ」


 辻さんが俺の拳に、コツンと拳を当ててくれた。

 俺はふふ、と笑う。こんな時でも通常運転な辻さんに、するっと無駄な力が抜けるのを感じた。

 

「Y」


 俺はバンに立てかけておいた黒いボディに赤いラインの入った、自分のーー()()ロードバイクのハンドルを手に握る。

 

 ブラントはTREK。モデル名、EMONDA。

 プロやベテランのライダーでも絶賛する、世界トップブランドであるTREKが誇る、名作バイク。


 信号の前に集まっていた平野たちが、俺の跨るバイクを見て驚く。


「お前、それ……白い奴じゃなか……」


 奴らの戸惑いを無視して、俺は一番後ろから前を睨む。

 ヘルメットを被った平野が憎々しげに、こちらを見ていた。

 今までの俺だったら、その視線から目を逸らしていただろう。

 先頭にいる釜井さんが、「間もなくです」と声を掛ける。

 駅前ロータリーの出口を塞ぐ歩道者用の信号が赤に変わり、国道側の自動車用信号がオレンジに変わり、赤に変わり。


 正面の信号が、青に変わった。

 夜の島原を舞台に、勝負の幕が上がる。



 

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