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3-4. 思いもよらぬ



 †



 

「ホントに色々あっとなぁ……」


 下校する生徒に混じり自転車を押しながら、スマホの画面をスクロールさせる。

 見ているのはAJ長崎という、長崎県中心でブルベイベントを開催している組織のホームページである。

 ざっくり調べたところ、AJ――|Audax Japanオダックスジャパンという国内のブルベ統括組織が存在し、このAJはACP( Audax Club Parisien )とRM( Randonneurs Mondiaux )という二つの大きな国際ブルベ協会……みたいなものに参加しているのだという。

 世界中に幾つもあるボクシングの国際団体のうち、日本ボクシング協会はアレとコレの認定を受けていますよ、みたいな関係らしい。

 んでもって。

 AJ長崎はAJを通じてACPやRMに申請を行うことで開催するブルベを公認としてもらい、参加者は完走することでSRの条件をクリアできるという仕組みだ。九州にはAJ長崎のような組織が福岡、熊本、鹿児島にあるのだが……。


「川棚町ば出発して佐賀ば通って久留米行って大分行って九州横断、今度は福岡向かって日本海側通って川棚に戻っとかコースがおかしくないかなこれ」


 AJ長崎が主催する中で最長のブルベだ。九州を横断したあとその北側三分の一をぐるっと反時計回りで一周するイメージのコースである。距離は六百Kmなので、規定時間は40時間。二日足らずの間に休憩仮眠食事を含めてそれだけ走って戻ってこい、というのである。


「今の俺には想像もできんばってんが、イベント企画してるってことは、走り切れる人たちのおるってことやっけん」


 でも、とも思う。

 ちょっと前まで、自分でも自転車で六十km走れるなんて思ってもいなかったんだ。

 その十倍の距離だけど、逆に言えば十倍でいいのだ。


「鍛えればやってやれんこともなかとかな」


 自転車――特にロードバイクは運動効率が最も良い移動手段であるそうだ。

 例えばマラソンの男子世界記録から、プロのマラソン選手は四十二kmを二時間ちょっとで走る。ざっくり計算して時速二十km。

 ロードバイクで俺が維持できる平均走行速度が時速十五kmとすれば、三時間たらずでマラソンの距離を走破できることになる。これはアマチュアランナーだったらかなり高く評価される記録だ。

 もちろんマラソン大会でロードバイク持ち込んだら反則だが――運動ド素人の小太りの俺が、ロードバイクを使えば、マラソンガチ勢と張り合えるという事実。

 持久力という意味では更に凄い。ついこの間休憩込みでも六十kmもの距離を走ることができた。プロのマラソン選手でも一度に走ることができない距離を、自転車に乗り出してひと月の俺が走破できるのだ。

 競技としてのロードバイク選手であればもっと速いし、長く走る。平地での平均時速は五十kmに達し、俺が時速四kmとかでえっちらおっちらひいひい言いながら越えた坂を時速三十kmでぐんぐん登る。化け物か。

 そこまでとんでもない話でなくても、六百kmもの距離を四十時間。或いは千二百kmもの距離を百時間で。ガチ勢とはいえ、プロでもない市民ライダーたちが達成できるという想定でイベントを組み立てる、ロードバイクという世界の常識感覚。

 累計で六百Kmを走ることも、歩くこともできるだろう。時間を掛ければ。

 だがロードバイクと同じ速度同じ時間でとなれば不可能だ。少なくとも現在過去において、自転車以上の効率を叩き出す人力の移動手段は存在しない。これ以上となるともう内燃機関(エンジン)電動機関(モーター)が必要になる。


「でくっかできんかでいえば、できんとやけど……」


 YET――いまは未だ。


「ならやってみればよかったい」


 ブルベは長崎に限らず熊本福岡でも行われているし、コースによっては毎年恒例になっているものもあるようだ。つまり失敗してもいずれ再挑戦の機会はある。なにも一生に一度の晴れ舞台という訳ではないのだ。

 なら固く考えることはないし、そもそも今すぐ挑む話じゃないんだ。


「じゃあ、先ずは鍛えんばかぁ」


 俺は自分の腹を撫でた。母さんは痩せたかと聞いてきたが、その実感は薄い。

 自転車がどうしてこれほどの運動効率を誇ってるのかも軽く調べたところ、チェーンを介在して、梃子の原理が働いているからだということだった。

 ペダル一漕ぎ分チェーンを回転させると、連動して後輪のスプロケットが回転する。ちっちゃなスプロケットは同心円でより大きなホイールに固定されているから、例えばペダルの一回転で後輪スプロケットが三回転したら後ろホイールも三回転する。そしてデカいホイールが回転した分自転車は前に進む、という仕組みだ。

 ペダル一回転という小さな動きが、ホイールの回転というより大きな動きに変わる。これも梃子の原理なんだと。

 梃子の原理というと、シーソーとか、くぎ抜きとか、棒を差し込んで重たい物を動かすイメージだったけど、それは見た目だけの話だ。運動力学的な観点で見ると、その本質がよくわかる。


 『百の動きと一の力』の組み合わせと『一の動きと百の力』の組み合わせは、エネルギー総量という意味では等価なので、この両者を同心円を使って物理的に変換する。

 

 これが梃子の原理だ。

 だから後ろスプロケットの、よりちっちゃいギアにチェーンを掛ければ同じ一漕ぎでもホイールの回転もより大きくなるので速度が出る。言い方を変えれば一漕ぎでホイールが沢山回転させるエネルギーを要求されるので負担がでかく感じる=ペダルが重たくなる。

 逆によりおっきなギアにチェーンを掛ければホイールの回転数が下がる。速度も落ちる。しかし要求される力も減るからペダルが(ちっちゃなギアの時より比較的)軽く感じるようになる。

 僕はこれを、階段のようなものだと解釈した。

 高さ1メートルの段差を、一歩で飛び乗ろうとすると大変だ。だが一歩で済む。

 高さ1メートルの段差に十段の階段を設置すると、登るのに十歩必要だ。だが一歩で登るのはわずか10cm。一歩ごとに必要なエネルギーは少ないからラクになる。

 そして一歩で1メートルも、十段で1メートルも、結果として1メートル登るという結果は変わらない。

 

 『大変だけど一回』と『楽だけど十回』がギアチェンジで変換できる仕組み。

 物理学って面白いな!

「――ばってん、人力やけんなぁ」

 実践的学問の面白さを実感しつつあると同時に、ため息が出てしまった。

 自転車の運動効率がどんなに高かろうと、ゼロがイチになるわけじゃない。

 つまり、ペダルを踏まなきゃ動かない。

 ロードバイクが最新モデルだろうが高性能だろうが、結局は俺の脚力とスタミナが無ければ始まらないのだ。

 ぶっちゃけこの腹の脂身!

 スタミナ・筋力はもちろん、もっとシンプルに贅肉を落とさなきゃならない。体脂肪率を落とし過ぎるのもスタミナの低下につながるらしいとは聞きかじった知識だが、そんなの体脂肪率一桁台の人たちの話。

 少なくともこの脂肪は不要な重りでしかないし、重りが無いならその分ラクになる。梃子の原理どころか小学生でもわかる理屈だ。


「ダイエット……すっかぁ」


 まさかこの自分が、ダイエットを決意することになるとは。

 浮かぶ笑みを堪えながら、そう言えば、と思い出す。

 みつるさん、メンテに持って来いって言ってたな。借りてからずっとそのまま使いっぱなしだった。


「じゃあ明日学校に乗って来て、そんままお店に持って行こだい」


 今夜は城回りを何週するかなぁ、なんて考えながら、俺はそんなのんきなことを呟いていた。


 下校する生徒に混じり平野の取り巻きの一人が俺を蹴飛ばそうと真後ろにいて、その言葉を聞いていたとは知らずに。


 そこまでとんでもない話でなくても、六百kmもの距離を四十時間。或いは千二百kmもの距離を百時間で。ガチ勢とはいえ、プロでもない市民ライダーたちが達成できるという想定でイベントを組み立てる、ロードバイクという世界の常識感覚。

 累計で六百Kmを走ることも、歩くこともできるだろう。時間を掛ければ。

 だがロードバイクと同じ速度同じ時間でとなれば不可能だ。少なくとも現在過去において、自転車以上の効率を叩き出す人力の移動手段は存在しない。これ以上となるともう内燃機関(エンジン)電動機関(モーター)が必要になる。

「でくっかできんかでいえば、できんとやけど……」

 YET――いまは未だ。

「ならやってみればよかったい」

 ブルベは長崎に限らず熊本福岡でも行われているし、コースによっては毎年恒例になっているものもあるようだ。つまり失敗してもいずれ再挑戦の機会はある。なにも一生に一度の晴れ舞台という訳ではないのだ。

 なら固く考えることはないし、そもそも今すぐ挑む話じゃないんだ。

「じゃあ、先ずは鍛えんばかぁ」

 俺は自分の腹を撫でた。母さんは痩せたかと聞いてきたが、その実感は薄い。

 自転車がどうしてこれほどの運動効率を誇ってるのかも軽く調べたところ、チェーンを介在して、梃子の原理が働いているからだということだった。

 ペダル一漕ぎ分チェーンを回転させると、連動して後輪のスプロケットが回転する。ちっちゃなスプロケットは同心円でより大きなホイールに固定されているから、例えばペダルの一回転で後輪スプロケットが三回転したら後ろホイールも三回転する。そしてデカいホイールが回転した分自転車は前に進む、という仕組みだ。

 ペダル一回転という小さな動きが、ホイールの回転というより大きな動きに変わる。これも梃子の原理なんだと。

 梃子の原理というと、シーソーとか、くぎ抜きとか、棒を差し込んで重たい物を動かすイメージだったけど、それは見た目だけの話だ。運動力学的な観点で見ると、その本質がよくわかる。


 『百の動きと一の力』の組み合わせと『一の動きと百の力』の組み合わせは、エネルギー総量という意味では等価なので、この両者を同心円を使って物理的に変換する。

 

 これが梃子の原理だ。

 だから後ろスプロケットの、よりちっちゃいギアにチェーンを掛ければ同じ一漕ぎでもホイールの回転もより大きくなるので速度が出る。言い方を変えれば一漕ぎでホイールが沢山回転させるエネルギーを要求されるので負担がでかく感じる=ペダルが重たくなる。

 逆によりおっきなギアにチェーンを掛ければホイールの回転数が下がる。速度も落ちる。しかし要求される力も減るからペダルが(ちっちゃなギアの時より比較的)軽く感じるようになる。

 僕はこれを、階段のようなものだと解釈した。

 高さ1メートルの段差を、一歩で飛び乗ろうとすると大変だ。だが一歩で済む。

 高さ1メートルの段差に十段の階段を設置すると、登るのに十歩必要だ。だが一歩で登るのはわずか10cm。一歩ごとに必要なエネルギーは少ないからラクになる。

 そして一歩で1メートルも、十段で1メートルも、結果として1メートル登るという結果は変わらない。

 

 『大変だけど一回』と『楽だけど十回』がギアチェンジで変換できる仕組み。

 物理学って面白いな!

「――ばってん、人力やけんなぁ」

 実践的学問の面白さを実感しつつあると同時に、ため息が出てしまった。

 自転車の運動効率がどんなに高かろうと、ゼロがイチになるわけじゃない。

 つまり、ペダルを踏まなきゃ動かない。

 ロードバイクが最新モデルだろうが高性能だろうが、結局は俺の脚力とスタミナが無ければ始まらないのだ。

 ぶっちゃけこの腹の脂身!

 スタミナ・筋力はもちろん、もっとシンプルに贅肉を落とさなきゃならない。体脂肪率を落とし過ぎるのもスタミナの低下につながるらしいとは聞きかじった知識だが、そんなの体脂肪率一桁台の人たちの話。

 少なくともこの脂肪は不要な重りでしかないし、重りが無いならその分ラクになる。梃子の原理どころか小学生でもわかる理屈だ。

「ダイエット……すっかぁ」

 まさかこの自分が、ダイエットを決意することになるとは。

 浮かぶ笑みを堪えながら、そう言えば、と思い出す。

 みつるさん、メンテに持って来いって言ってたな。借りてからずっとそのまま使いっぱなしだった。

「じゃあ明日学校に乗って来て、そんままお店に持って行こだい」

 今夜は城回りを何週するかなぁ、なんて考えながら、俺はそんなのんきなことを呟いていた。


 下校する生徒に混じり平野の取り巻きの一人が俺を蹴飛ばそうと真後ろにいて、その言葉を聞いていたとは知らずに。



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