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3-3. バカジャネーノ!?


  †


「ふぃ~、あっちぃ」


 七月も半ば、あと一週間で夏休み。

 梅雨の気配はどこへやら。真っ青な空に白い入道雲。纏わりつくような湿気と重なり合う蝉の声。

 そしてギラギラに輝く陽光が降り注ぐ。

 何もかもの色彩が強い。

 昼休み――さて弁当をと思っていたら、辻さんからスマホに連絡があった。

 天気がいいから外で食べよ、とのお誘いだ。それでいそいそと、例の如く駐輪場にやって来た次第である。


「で、出来はどがんやったよ?」


 シティサイクルやらママチャリやらに混じって一台だけ異彩を放つロードバイクを前に、花壇の縁に座って改めて弁当を広げると、挑発するように辻さんが尋ねてくる。

 夏服の襟から覗く健康的な小麦色の肌、その首筋……からできる限り意識と視線を(不自然にならないように)逸らして、俺は肩を竦めた。


「まあ、悪くなかったと思うよ」


 俺がそう答えると、辻さんは「ケッ」と悪態をついた。


「はぁーあ。できる人はやっぱ言うことが違うますねぇ! ちょっとはその『悪くなか』ば分けてよ裏切りモンめ」

「裏切りモンて。そがん言わんでよ」

「言いますぅ~。勉強できるヤツは全員敵ですぅ~」


 一応この森岳高校って、島原半島では一番の進学校のはずなんだけど。有名私学や国公立大学への進学率もそこそこ高い。入学できてるってことは辻さんもそれなりの学力はある筈なんだけど。

 今日は期末試験の答案が返却されて、その結果が張り出された日。つまり各教室で悲喜交々と阿鼻叫喚が入り乱れているわけだ。

 そして期末期間中顔が土気色していた辻さんの出来は、まぁ、その、お察しなわけで。


「堂本くんは赤点あった?」

「いや、無かったよ」


 敢えて言うなら数学がやや悪かったくらいか。でも難しかったし学年の平均点も低かったんで、教科ごとの学年順位はそこまで悲観する程ではなかった。

 辻さんの顔が歪んだ。擬音で表現すれば、ひゃみゅぅぅ、みたいな感じに睨んでくる。 


「……辻さんは?」


 聞かれたくないけど愚痴を言いたいらしいので訊ねてみる。


「生物と古典は満点やった。世界史はそこそこできた。数学と現代文は死んだ。もう帰って来ない」


 いや、答案が返ってきたんだって。


「なんでだよ。得意と不得意の組み合わせがおかしかろ」


 一応辻さんも文系クラスなんだから、現代文が死ぬのは変だろ。


「そがん? だってナマモノとか古典とか、なんかこう……ロマンやん」


 ナマモノ言うな。


「じゃあ漢文は?」

「滅びればよかとに」

「偏り酷すぎるやろ。英語は?」

「……英語? 誰ですか? 知らない子ですね」

「おい」

「なして高校ン授業はフランス語がなかとやろ?」

「知らねぇよ、なんでフランス語ならでくって前提よ」


 つまり辻さんはアレだ。文系とか理系とかじゃなくて、好きな教科がはっきりしてるタイプだ。逆に興味が持てない教科はトコトン相性が悪いというか、全然やる気が起きないんだろう。

 実に辻さんらしくって笑ってしまう。


「堂本くんは?」

「俺? 俺はあまり得意も不得意も無いよ」


 器用貧乏とも言う。

 飛びぬけて得意が無いので教科別でトップを獲ることは無い。しかし特別悪い教科も無いので総合順位はそれなりに良いタイプだ。

 べへぇ、と突っ伏していた辻さんだったが、がばっと顔を上げた。いたずらっ子のような笑みと目の輝きだ。


「まあよかたい。過ぎ去ったから過去というとやっけん、我ら若者は未だ来ぬ未来にこそ思いを馳せるべきやと思わん?」


 嫌なよっかーん。


「おおっと突然の腹が頭痛と発熱で咳と襲って来る気がすっけんすぐに歯医者で捻挫の予約ばせんば!」

「何ば言っとっとかわからんて。よかけん落ち着かんね、別にまだどこに行こうとか言っとらんやん」


 呆れた様に辻さんがいう。

 浮かせた腰を落ち着けて、僕はジト目で辻さんをみた。


「前科があったいな! 『行こ⤴だい』の一言でド素人二人で百走ろうとしたの、ついこないだの話やっけんね!?」


 しかし辻さんは不敵な笑みを返してきた。


「知っとるやろ、堂本くん。ブルベって言葉を」

「聞 け よ !」


 畜生、コイツ全く反省してやがらねぇ……!

 あれこれロードバイクについて調べていると、必ずどこかで見ることになる単語『ブルベ』。釜井さんとの会話のあと、俺も調べた。

 簡単に言うとブルべとは、自転車でやるウォークラリーだ。

 つまり主催者が決めたチェックポイントを周り、規定時間内に戻ってくるというロングライドイベントだ。日本ブルベ協会みたいなのがあって、その支部が日本各地で公認ブルベを行っている。

 そう、ロングライドなのである。釜井さんが言っていた通りの……そして、俺が想像した以上の。

 ブルベは基本的に、最低走行距離が二百Kmでないといけないらしい。それを十三時間以内で走るという、ロードバイク民以外が聞けばちょっと頭がアレな人なのかな? ってなる奴だ。

 十三時間走れと。二百走れと。アホか。桁がおかしい。

 もう一度言うけど、最低で二百kmだ。

 つまりそれ以上があるってことだ。

 とんでもないものになると、四国一周千Kmとか北海道一周二千四百Kmとか。桁がおかしい。

 当然一日で終わる筈もなく、四日とか十日かかる想定で行われるという……言ってて自分でもちょっと、アレなのかなって思う話なのだけど事実なのだからしょうがない。二百km走行を十日間毎日。桁がおかしい。

 世界的に最高峰と呼ばれるのはパリ・ブレスト・パリ(PBP)という、フランスのパリを出発してブレストで折り返し、パリに戻って来る千二百kmのブルベである。元々ブルベはフランスが発祥なのでフランスや欧州各地で盛んにおこなわれているのだが、四年に一度開催されるこのPBPには世界中の自転車ガチ勢が集まる一大イベントなのだそうだ。なので参加者五千人とかになるらしい。桁がおかしい。


「ブルベ、出るつもりなん? こないだ六十でリタイアしたたいな」


 ちなみにブルベはレースではないので、タイムや順位を競うわけじゃない。

 しかしブルベに参加するのは、二百という数字を「うん、ちょっと距離あるねぇ」くらいにしか思わないようなロードバイク民の中でもかなりガチ寄りな――というか突き抜けてしまった逸般人どもである。調べてたら四国一周千Kmブルベを仮眠込みで七十二時間で走る動画出てきたぞ。おかしいだろ。


「いやあ、出たいんやけど。高校生ダメっぽいんよ」

「よかった」


 俺は胸を撫でおろした。

 ブルベは基本的に、自己責任のイベントである。

 規定のルートでチェックポイントを周り、時間内にゴールせよ。これが殆ど全てと言っていい。

 クローズドコースを周回するようなものではないので、主催者が用意する食事も補給も無い。マラソンのような給水所も無い。だから地図も補給も食事も自分で用意しなきゃならない。道に迷っても事故に遭っても事故を起こしても、そして全てのトラブル対応も全て参加者の自己責任で行動する。もちろんリタイアしても回収車なんて存在しない。

 よって親の保護下にあるとされる未成年は基本参加不可なのだ。

 しかし辻さんのことである。「親に黙って内緒で参加できんやろか」なんて言い出しかねないと思ってた。

 だがしかし、辻さんはさすがの辻さんだった。


「ね、残念だよね。やけんさ、卒業した後に備えて、今のうちからロングライドに慣れとかんばって思うったいな」


 うん。知ってた。

 その程度で諦めるような娘じゃないって知ってた。


「堂本くんさぁ」


 この娘、実は悪魔かなにかなのではないだろうか。


「二十歳になったら、ブルベ出てみたくない?」


 一瞬言葉に詰まる。

 辻さんがにやっと笑みを浮かべた。即答否定できない時点で答えたようなもんだ。


「じゃあ、二十歳になったら九州一周ブルベにエントリーせんとね!」


 ……?


「まって。きゅうしゅういっしゅうていった?」

「言ったよ」

「きょりは?」

「えーっと、千二百。獲得標高一万二千mだったかな」

「バカジャネーノ!?」

「バカっていう方がバカなんですぅー!」

「うっせぇわ!」

「うっせぇうっせぇ?」

「うっぜぇわ!! じゃねぇよ!」


 四国一周よりも過酷じゃねぇか!


「福岡発! 鹿児島佐多岬(九州最南端)経由! 福岡ゴールの九州最長ブルベ! いやぁ、今から四年後が楽しみやね!」


 がっくりと俺は項垂れて、手で顔を覆った。本当に悪魔と契約した気分だ。

 なお、獲得標高とはコース上の標高をどれだけ稼いだか累計数値のことで、そのコースのキツさの目安になる。

 標高ゼロmから標高百mの峠を越えて標高五十mまで下り、再び峠を登って標高二百mに達したとする。下った高さは計算しないので、百+百五十で獲得標高は二百五十mだ。

 走行距離が短くても獲得標高が多ければ、つまり登りが多くて平均勾配がキツいコースってことになる。

 もっとも九州一周とか言ってる時点で、登りが多いとかキツいとかそういう次元の話ではないんだけどな!

 ロードバイク関連は、ディープになればなるほど時間か距離か獲得標高か、あるいはその全部がおかしくなる。

 普通は自転車を一度に十時間も乗り続けないし、百kmも走らないし、峠道に挑んだりしねぇンだよ!

 普通はな!


「SRも獲りたかけんね! 今のうちから頑張って鍛えとかんといかんばいね!」

「SR?」


 聞いたことない言葉だ。

 うん、嫌な予感しかしないけど。

 ふふん、とどや顔気味の辻さんが説明してくれる。


「シュペールランドヌールのことたいね。英語やとスーパーランドナー。ランドヌールって元々自転車で旅ばする人ンことば指すフランス語やっさね。そいでSRってのは年度内に二百、三百、四百、六百kmの公式ブルベを完走した人に与えられる称号のことで、」

「『で、』?」


 なにその不吉な接続詞。


「ああっと胃が筋肉痛の耳鳴りが脱臼しそうなくらい腸捻転しとっけん! 早よ! 皮膚科で美容整形せんば! 早よ!」


 腰を浮かせかけた俺の制服の裾を掴んで、悪魔が笑う。


「嫌だ! 離して! 聞きたくなか!!」

「PBPの参加条件やけん、なんとしてもSRば目指さんばっさ。ね、堂本んくん!!」

「フランス行く気ィ!?」


 ヤバいこの子、逸般人予備軍だ。

 ほんとに! もう! 聞くんじゃなかったよ!!

 底なし沼じゃねえか!!




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