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2-9. 僕も一緒に怒られてやっけん



  †




 結局、一時間以上僕たちはロックシェードの下で足止めを食らった。

 幸いにも寒くはなかったのでびしょ濡れの僕のTシャツも、ガードレールにかけて置いたおかげで半生くらいには乾いた。その間上半身裸を辻さんに見せつけていたけど背に腹は替えられない。むしろ腹の脂肪は少しくらい捨てたい。

 もう小遣いが勿体ないなんて言ってる場合じゃなかったから、自販機ではドリンクを五本も買った。計2.5リットルをバッグに詰めるとさすがに重い。戻って辻さんに一本を渡すと、恐縮しながらも辻さんは一気に一本飲み干した。相当乾いていたらしい――僕も似たようなものだけど。


「本当は一気飲みすると身体が冷えるけん、良くなかとけど」


 一息ついて辻さんは言う。内臓を冷やすのも良くないので本当は一口ずつ、口の中で温めて飲むのが良いのだそうだ。


「少し寝るとよかよ」

「うん、ごめんね」


 空のペットボトルを入れたリュックは、それでも無いよりマシな枕になる。

 汚れるなんてもう言ってられないから、辻さんはコンクリの上の砂を払うと横になり、直ぐに寝息を立て始めた。

 無防備に寝ているクラスメイト、その胸のふくらみが上下する……いいや、見てない。僕は見てないよ!

 でも脳内に動画保存はしたけどね!

 十分な補給を得て仮眠まで取れた辻さんはかなり回復した。

 僕もロックシェードの柱に寄り掛かってうつらうつらとしただけだけど、それでも身体の辛さはかなり解消された。


「一応走れるばってん……」

「無理はできんね。一回限界まで行っとるとやっけん」

「うん」


 だがここに留まる意味も無い。

 雨が止んで再び走り出した僕たちはそれでもペースは上げず、ガシガシ踏んで加速するのではなくゆったりとした速度で小浜を目指す。路面も濡れてるしね。

 カーブを越えて海沿いの街並みにホテルや旅館らしき建物が並んでいる。そこから幾本も湯気が立ち上っている。


「小浜だ……」

「見えた……!」


 タイヤが跳ね上げる路面の水と疲労でぐちゃぐちゃだった僕たちは、歓声を上げる元気も残っては無かった。


 

 † 



 島原半島は、三つの市によって構成される。

 東側の島原市。

 南側の南島原市。

 そして北側半分と西側と雲仙岳の殆どを有する雲仙市だ。

 雲仙岳の山中にある雲仙市雲仙町も温泉や地獄で有名なのだが、この雲仙市小浜町も負けず劣らず温泉の街として知られている。

 温泉街のど真ん前にあるリンガーハットに入った僕たちは、もう鬼のような形相で餃子とちゃんぽんに食らいついていた。店員さんが軽くヒいていたがそんなの気にしている場合じゃない。

 辻さんは事前にどこの食事が美味しいかいくつか候補を調べていたらしいんだけど、そんなの選んでる余裕なんて僕たちには残っていなかったので、目についた場所に飛び込んだというのが正解だ。


「美味か……ッ!」

「沁みる……!」


 シンプルに僕たちはカロリーと糖分と塩分が不足していた。つまり腹が減っていた。ロードバイクを漕ぎ続けてダメージを負ったが全身の細胞があらゆる栄養を寄こせと叫んでいて、麺と野菜と肉と海鮮、そしてトンコツスープの滋味たっぷりのちゃんぽんはその期待に応えてくれる。

 ああ、ちゃんぽん。

 われら長崎県民のソウルフードよ!

 安くておいしいリンガーハットはロングライド中のローディの肉体と小遣いの少ない高校生の財布をねぎらってくれる慈愛の企業であると高らかに宣言せざるを得ないなこれは。素敵。


「さて、これからどーすっかね」

「どうもこうも、最初っからそのつもりやったんやろ?」

「まーね」


 悪戯っ子のような顔で辻さんが笑う。

 今僕たちは、食事を終えて並んで足湯に浸かっていた。

 小浜の中心部、海沿いにはちょっとした広場と公園がある。

 小浜温泉の源泉温度百五度にちなんで百五メートルの足湯はその長さ日本一なのだとか。むしろ対抗するとこあるのか?って話だが。

 その端っこ、ちょっと温くなってるあたりでドリンク飲みつつ、温泉卵を食べつつまったりしながら僕たちは今後のコースについて話し合っていた。

 ちなみにこの温泉卵、半熟のトロっとした奴のことじゃない。温泉の蒸気で蒸しあげたかたゆで卵のことだ。籠の使用料を払えば自分で食材を蒸すこともできるんだけど、僕たちは売店に売っているのを買った。塩が付いて来てくれるのが嬉しいね。疲れた身体に沁みるようだ(ナトリウム的な意味で)。

 二人で6個の卵をモリモリ食べる。喉が渇くのでドリンクも飲む。

 ちゃんぽんと餃子、食べたばかりなのにね。どれだけ腹が減ってたんだって自分でも思うよ。

 でも酷使された筋肉を補修するためにはタンパク質が必要だ。肉体そのものからの欲求に僕たちは抗う事なんてできない。

 すぐそこにコンビニがあるから追加の補給もできるし、小浜は大休憩するにもってこいの場所だ。

 そして、


「小浜って言われた時点で、嫌な予感はしとったとよ」

「そぃばってん堂本くんも何も言わんかったし」


 小浜は、島原半島の反対側にある。

 そこを目指すってことは、帰りは?

 輪行? いざとなったらみのるさんを頼る?

 違うだろ。


「最初っから、島原半島一周が目的やったんやろ」

「ばれちゃった♪」

「で、島原半島って一周どんくらいあっと?」

「ちょうど百」

「百て。こいつマジゴツかぁ……!」


 ロードバイク乗ってようやく百走ったばかりの俺を、百kmのロングライドに連れ出しやがった……!

 悪魔かなんかじゃねえのマジでこいつ。


「そいで話は変わっばってん、みのるさんって怒るとコワか?」

「超コワか」

「……さっきからスマホ鳴っとっけど、出んと?」

「……」

「テヘペロじゃなかけんさ。ってか僕にそいばされてもさ」


 少しして、辻さんのスマホが鳴りやんだ。そして僕のスマホが鳴る。


「ど、堂本くん? (たの)っばい!?」

「ダメ。僕も一緒に怒られてやっけん」


 ため息とともに、僕は通話ボタンを押した。

 いつの間にか雨雲は遥か彼方。ああ、晴れた橘湾が美しいなぁ。




  †




 電話越しにたっぷりみのるさんに怒鳴られた僕たちは、「とにかく愛野まで来い!」と言われて真面目に今後の予定について話し合いを始めた。

 スマホの地図アプリを覗き込む。


「さて、ここから愛野まで約十三Km。単純な距離だけやったら一時間もかからんとやけど――ヤバい峠が二つある」


 目的地の愛野展望台自体が高台なので、そこを登らないといけないのがひとつ。

 もうひとつはその手前、千々石町の猿葉山だ。


「コース自体は判りやすか。このまま国道ば進んで行けばよかとやけど」

「うん、昨日の夜確認した。猿葉山の山越えになるたいね」


 辻さんの脚が攣った辺りは本当の島原の奥地なんで、それでも車通りは少なかった。

 けどこの小浜の辺りから北側は、諫早や長崎に向かう自動車も増える。なのに国道は狭く片側一車線のみ、曲がりくねって、しかも歩道が存在しない。


「愛野の方は道路拡張もされとっけん大丈夫やろうけど」


 少し前に工事が終わっていたハズだ。親父のドライブに付き合って通ったので知っている。

 僕は辻さんの方を見た。


「無理、でくっかね?」


 への字口で暫く考えた辻さんは、首を横に振った。


「休んだし食べたし、だいぶ回復はしとっと思うばってん、消耗してることには変わらんけんね……」

「じゃあリタイアする?」

「それはやだ」


 知ってた。

 ここまで、僕らは六十Kmの距離を走って来た。

 だったら残り四十Km。

 辻さんの性格で、諦めると言い出すとは思えなかった。


「やったら次善策。迂回すったい」


 深江の時と同じだ。

 猿葉山の山中を切り開いた国道とは別に、海沿いにある富津という集落を通る県道が走っている。とにかくこのコースだったら標高差は小さいから殆ど登る必要は無いはずだ。


「正直僕も膝がガクガク言っとぉけん、キツか山ば登ってる余裕は無か。けど愛野は登らないとダメやっけん」


 みのるさんが待ってるのもそうだけど愛野の峠は迂回路が無いんだ。

 いや、正確には迂回路はあるんだけど、峠のずっと向こうに出るし、迂回路の出口から愛野展望台に出るためには結局折り返して登ることになる。ただ無駄に遠回りするだけだ。


「残ってる体力はそこで使うためにとっとく必要があっけん。猿葉山は富津の迂回路で行く」

「わかった」


 神妙に辻さんが頷く。

 コンビニでドリンクとゼリー飲料、そして塩飴を買って互いに分け合うと、僕たちは出発する。朝、気楽な感じで走り出した時と違って妙な悲壮感すら漂っているのがどこかおかしかった。

 辻さんが脚を攣るまでは彼女に先頭を任せてたけど、今は僕が前だ。

 ロードバイクの世界では前の選手を風よけにすることで体力を温存するのが当たり前の戦術だ。それで勝負所までライバルと先頭を交互に勤めることもあるんだって。

 それだけ前を走って風よけになるってのは負担の大きなことで、実際向かい風だとびっくりするくらい速度が落ちるのが実感できる。平坦なのに坂道を走ってる気になるんだ。

 といってもアマチュアどころかド素人の僕で、どれだけ辻さんの負担が減っている事か。そもそも速度が出ているって程もない。腹回りの広さに期待するしかないか。

 辻さんのバイクには、スマホホルダーがある。

 それでスマホを見てナビをしてもらいながら、僕たちは富津集落へとタイヤを向けた。

 予想通り、富津コースは高低差が少ない。

 右側に山、左に海と挟まれた小さな町だ。潮と魚と山の香りが漂う、長崎のいたるところにある漁港の集落。

 一瞬山側の樹々が開けて、高い場所にちらりと白いガードレールらしきものが見えた――あれが国道だろうか? 

 だとすれば、最低でもあの高さまで登っていなきゃならなかったってことで。そう考えるとぞっとする。

 辻さんに気を遣っただけじゃない。僕も脚の限界ってのは嘘でも何でもないんだ。

 小さな漁港の横をロードバイクで駆け抜ける。

 僕程度でも全力で漕げば一瞬なら時速三十kmくらい出せるけど、今はもうそんな余裕は無かった。淡々と時速十五km前後を維持して巡行。

 そして殆ど言葉を交わすこともなく富津を抜けて、千々石で国道に復帰する。

 展望台へと続く坂の手前のコンビニで、僕たちは休憩を取った――もう疲労がたまり過ぎて、誤魔化しながら進んでいるような状況だね。

 ドリンクを飲んで、塩飴を舐める。

 頬を掻いたら爪に白いものが残った――垢じゃなくて、汗が渇いてできた塩だと気付いて、思わず笑う。塩飴、買って正解。


「辻さん、行ける?」

「……なんとか」

「愛野さえ越えれば、直後の病院前で一ヶ所坂があるくらいで、あとは本当に平坦だから」

「うん」


 コンビニの壁によりかかって座り込んでいた辻さんが顔を上げる。

 手を伸ばして来たので、僕はそれを掴んで引っ張り起こした。

 ここから二㎞とちょっと。

 さあ、地獄を登ろうか。



 

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