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2-6.  登り――――切ったあ!!!


 休憩はこまめに取ろう――と申し合わせて、四十分ちょっと。

 僕たちはあっという間に深江の道の駅までやって来ていた。

 前回と同じ展望台の下、ロードバイクを立てかけてドリンクを飲んだ。


「思ったより早かったかな」

「やね」


 今のところ順調だ。汗はかいているけど体力を消耗したというほどじゃない。

 天気は曇り気味。晴れ間も見えている。午後からは完全に晴れるようだ。


「交通量は思ったよりも多かった気がすっけど、どうかな」

「うーん。そいばってん、こっから先はもっと減っと思うばってん」

「かな?」


 島原半島最大の人口地は言わずとも島原市だ。この深江は隣接するとはいえその外である。地方都市である島原市内でも田畑は多いが、それがもっと増えて住宅地は更に減る。

 僕は普賢岳を仰ぎ見た。

 その雄大な山体には先端に雲がかかっている。

 午後から晴れる、けどその狭間で降るかも知れない。

 島原半島に住んでいれば、大抵どこからでも見える普賢岳。毎日見ていればそこにどんな雲がかかっているかで、なんとなく天気の移り変わりがわかるようになる……気がする。村の長老が翌日の天気を当てるようなものだ。


「ここからは歩道が少なくるなっけん、左側キープね」

「うん。注意せんとね」


 ロードバイクに乗る様になって、改めて聞いてみた事がある。自転車の歩道走行はアリなのか? という疑問に対して辻さんの答えは、

「場合によってはアリ」とのことだった。

 島原城の周回で僕が車道を走っていたように、本来自転車は車輛の一種として車道を走らなければならないと道交法に定められている――基本的には。

 だが状況によってはそれが危険である場合も多い。幹線道路で自動車の走行量が多い場所だったり、咄嗟の事故を避けるためとかね。

 なので運転者の状況判断によっては歩道に入っても構わないとされている。

 場所によっては歩道走行自体が認められている歩道もある。青丸の道路標識で歩行者の絵と一緒に自転車が描かれている場所だ。

 それで歩道を自転車が走る場合、実は方向は関係ないのだとか。

 つまり右車線の歩道を自転車で逆走しても問題はない。ただしどちら向きに進むにしても、歩行者が優先、自転車は車道寄りに走ること、速度を出し過ぎない事が条件になる。

 ママチャリの人が歩道を走っていても警官に怒られないのは、こういった理由によるわけだ。


「でも歩道はね。走りにくかこともあっけんね……」

「あー、わかる……」


 砂利が浮いていたり、舗装に穴やヒビがあったり、雑草で埋まっていたり。

 奇麗なレンガ舗装も自転車だとガタガタ揺れて走りにくい理由になったりする。

 面倒なのは路地との接続で、歩道が途切れる時だ。

 アスファルトとの境にある縁石や雨を流す小さな溝、こういったほんの数センチの段差を乗り越える時、ロードバイクだとガツンと跳ねるのだ。その衝撃にハンドルを握る手が痺れてしまうほど。クッション入りのグローブはしているけどそれを突き抜けてくるんだ。

 歩いていれば気にならないことも、自転車――とくにロードバイクはタイヤが細くて速度が出るから凄く影響がある。マウンテンバイクやママチャリだとタイヤと内部のチューブがもっと太いので段差を乗り越える衝撃を受け止めてくれるんだけど、それでも影響が無くなる訳じゃないし、穴にハマらないわけじゃないし。

 こうして考えると走破性という点において、自前の『足』に勝るものは無いのかもしれない。

 なので単純な走りやすさは歩道より車道の方が上だ。歩道よりも保守がしっかりしているので、舗装の穴なんかも少ないし。しかし仕切りもなく自動車、特に大型車に追い越されるのは危険だし怖い。

 歩道と車道、良し悪しである。


「さ、そろそろ行こうか。あんまり遅くなると兄ちゃんにバレっけん」


 バイクに跨って道の駅を出る。

 道路の左右に広がる、のどかな田園風景。その間にちらほらと住宅が見える。

 晴れきっていない中途半端な天気のお陰で、この時間にしては気温はさほどでもないが、梅雨特有の纏わりつくような湿気はどうしようもない。だけど辻さんは、重たい湿度の中を切り裂くようにバイクを走らせた。

 僕もそれに続く。軽快な走行音が耳に心地よい。

 そうして走行を再開し暫くして、僕たちはこのライド最初の難関の前へと辿り着いた。

 深江町と布津町を隔てる丘――つまり結構な距離の坂道である。

 交差点での信号待ちに、僕は前に止まる辻さんに訊ねた。


「どうする辻さん? 一応ここからだったら迂回できるけど」


 国道二五一号線は丘陵を切り開く方向で進んでいるけど、この交差点から左折すれば小さな漁港に続く県道が海沿いに通っている。こちらだったら坂を登る必要は無いようだ。

 なにがエグいって、この移置からだと左にカーブして坂を登る先の道が視界に収まるってところだ。『え? 僕たち今からこの坂登るの? 自転車で?』って心をへし折りに来ている。


「そんなん決まっとろ」

「知ってた」


 信号が青になると躊躇いなく辻さんは国道へと向かっていく。

 緩いカーブ半ば辺りから坂が始まり、カーブを抜けると一気に斜度が上がる。距離はざっと五百メートル? もっとある? 道路の両脇には木々が生い茂っていて、抜けた先にはちょうど晴れ間が見える。

 ちょっとした壁のように見えるこの坂道。自転車で挑もうなんて、ちょっと前の僕なら絶対に考えなかった。

 けど。


「気張っで、堂本くん!」

「うん!!」


 気合を込めてペダルを踏む。

 一気に速度は無くなって、レバーを操作してもギアが切り替わらなくなる。一番軽いギア――まだ半分も来てないんですけど!?

 辻さんが立漕ぎに切り替えてどんどん前へと進んでいく。

 僕も立漕ぎしてるんだけど基本体重が全然違うし――それでも!

 歯を食いしばって、ペダルに体重をかける。一歩一歩を踏みしめるように、右に、左に、車体を傾けながら。

 サイコンに表示される速度は時速三kmとか四kmとか。ジョギングする方がまだ早い。それでも一歩一歩だ。一漕ぎ一漕ぎだ。

 膨大なパーツ数のガンプラを作るのと同じ。ニッパーで切り取って、一つひとつゲート処理するようなもんだ。どんなに面倒くさくてもここで手を抜くと出来上がりに差が出る。ヤスリの番手を四百、六百、八百まで上げてかけるのと一緒だ。

 でもきつい。苦しい。面倒くさい。

 妄想に逃げ込むのも、前を見ないようにしてペダルを踏むのも限界がある。

 どこまで進んできた?

 もう諦めてしまおうか?

 足をついて、押し歩くか?

 畜生。ローディには坂を見ると嬉しくなって突撃するクライマーって人種がいるらしいけど、絶対そいつら正気じゃない。誰か脳みそのネジを締め直してやれよ。いや、狂ってるのは僕も変わんねーや。なにせ『やってみたい』ってだけで、誰に言われた訳でもないのに六十kmを自転車で走ろうとしてるんだから。

 弱気になって顔を上げると、頂上に着いた辻さんがこっちを見ている。


「――堂本くん!」 


 待ってくれてる。

 そう思ったら弱って俯いていた心が俄然やる気を出してきた。

 あーもう。それだけでもうひと踏ん張りができる。

 スポーツをしない僕は今まで応援の力というものについて懐疑的だった。頑張っているのは選手本人であって、周りの奴が騒いだところでどうなるものかと、拗ねたことを考えていた。

 でも今は、今なら応援の力を疑うことなんてない。

 辻さんの声で抜けそうだった心に力が戻って来たんだから。

 そりゃ応援してもらったからと言って、漫画じゃあるまいしあらゆる不可能が可能になる訳じゃないさ。ひっくり返っても今の僕が、体操選手のように二回転半捻りができるようになるわけじゃない。

 だけど、ロードバイクで坂道をもう五十メートルだけ、踏ん張るくらいの力は捻りだせる……!

 

 出せるだろ、それ位ならさぁ!!


 「ふぬぅぅぅぅぅううう!」


 時速三km、だからどうしたァぁあぁぁっっ!


「あああ゛あ゛あっあ゛っああああ!」


 登り――――切ったあ!!!


「すごか、堂本くん!」

「や、やったぁ……」


 サイコンのログを見ると、坂の手前からここまでざっと八〇〇mの距離がある。

 俺、それだけの距離を登ったんだ……。

 達成感と同時に、一気に喉が渇いた。

 ボトルを引っこ抜いてドリンクを飲むと、汗が噴き出してきた。不愉快ではなく、とても気持ちの良い汗だ。

 振り返れば結構な距離がある。この坂を登って来たんだという実感が湧く。

 普通のママチャリだったら、絶対に途中で足を付いてたな。

 胸に迫る感慨に耽っていると、辻さんが僕を呼んだ。


「浸ってるところ悪かけど、まだ序盤なんよね」

「……せやった」


 改めて前を向いて、ペダルを漕ぎだす。

 登れば下りがある。長い登りの後は長い下りだ―――


「って、速い速い速いって!」

「急ブレーキはせんとよ!? 逆に危なかけん!」


 ロードバイクは、とにかく速く走るための構造になってる。つまり、速度が出るってことは、下りだと――


「じそくろくじゅってああああっっ!」


 辻さんの前と僕の後ろを自動車が走ってるっていうか自動車と同じ速度なんですけど!?

 急ブレーキすると自動車に追突される。

 改めて思う。

 ロードバイクって、ホント、すごい。




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