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2-5. トロフィーが欲しいんだ


  †




 それから一週間後の土曜日。期末試験が終わった翌日の午前八時、少し前。

 僕は島原駅前にいた。

 格好は吸湿性の高いスポーツ用のシャツにハーフパンツ、ダイエットのためにと買ったはいいが殆ど使った覚えのないランニングシューズ。親父に借りた小型のスポーツリュックには財布に色々と押し付けられた物が入っている。

 スマホを見る。

 天気予報アプリによると、降水確率二十%。現在は曇っているが、昼からは晴れ間が見えるとのことだ。


「さて、どがんなることやらね……」


 不安しかない。

 ロング = 長距離

 ライド = 乗る

 ロングライドとは、文字通り一度に長距離をロードバイクで走ることを指す言葉だ。

 ネットで調べたところ、どれくらいを長距離と言うかは人それぞれなので定義的な距離はわからなかったが、概ね三十km未満はあまり『ロング』とは言わないらしい。

 おかしくね? 距離感おかしくね?

 俺が間違ってるのかなぁと思って更に調べたところ、トレーニング目的ではない十kmから三十kmくらいのサイクリングのことを、のんびり散歩するという意味のputterと組み合わせてポタリングというそうだ。

 歩くには難しい距離も自転車ならちょっとした遠出程度。なんなら「この路地散歩したことないから行ってみようかなぁ。おっ、素敵な喫茶店はっけーん」くらいのノリで走るのだ。

 ロードバイク乗り(ローディ)の距離感て狂ってない?

 ストレッチをしながら待つこと数分、信号待ちから駅前に入って来た白いバンに、TUZI BICYCLEのロゴが見えた。

 駐車場に止まったバンに近づくと、みのるさんと辻さんが降りて来る。

 みのるさんはTシャツ姿だったが、辻さんはピッチリとしたウェアを着ていた――サイクルジャージという奴だ。身体の線が出るので、ついどきっとしてしまう。短いスカートがついているので、股間のあたりは隠れて……いいや見てません。僕はそんな下心満載の視線で辻さんのこと見ていません!

 ……ちょっとしか!


「おはよう、堂本くん。待たせたごたってすまんね」

「おはようございます。大丈夫ですよ」

「おっはよ堂本くん。さっそくやけど、バイク降ろすの手伝って」

「あっ、うん」


 目をキラキラさせてる辻さんである。

 おかしいな。昨日の昼まで土気色で死にそうな顔をしてたはずなのに、別人かと思うくらい目付きが違う。

 辻さんがバンの後部扉を開くと、彼女のBianchiがそこに鎮座していた。辻さんが器具の固定を外して引っ張り出して、外に出す。


「スタンドが無いから車に立てかけといて。ぶつけんでよ?」

「了解」


 色々調べてみたところ、店舗でロードバイクを購入すると、基本的にそれのみが渡される。つまりライトやベル、それにサイドスタンドは付属していないのだ。

 道路交通法上の理由で、自転車が公道を走る場合ライトとベルと赤色反射板は必ず装備しなければならない。しかしサイドスタンドはその限りではない。

 故にロードバイクにはスタンドが無いものが多いのである。オプションパーツとして存在はするが、装着するかどうかは持ち主次第。

 スタンドがなければその分軽い、軽いは速い、速いは正義。え? 立てかければいいじゃん。

 そんなロード乗りの声が聞こえてきそうだ。正論は時として暴論に聞こえるものである。

 みのるさんがバックを取り出した。中身はロード用の装備一式だ。


「ヘルメットは貸したのがあっけん、堂本くん用のグローブ、アイウェアと、ボトルに、サイコンに……一応ジャージもあっけど、これはどがんす?」


 みのるさんのお古だと渡されたサイクルジャージは、どうにも僕にはブカブカだった。体形が違い過ぎる――腹回りだけ丁度良いことについてはノーコメントだ。

 |サイクルコンピューター《サイコン》をバイクに設置し、使い方を教わる。GPSで走った距離や速度を表示・記録できるもので、これは違うけど高級品だと地図まで表示できるスグレモノ。

 ボトルはホルダーを使って車体に取り付けて、取り出しやすくしてある。


「バイクで走ってると風があるけん、そこまで感じらんやろうけど意外と汗をかいとっけんね。マメにドリンクば飲むこと。国道は結構クルマの走っけん事故には十分気を付けんばいかんけんな」

「はい!」

「あと、これは俺と店の電話番号な。今登録しとってくれ。何かあったら迎えに行くけん」

「わかりました……あ、そう言えば」


 ふと思い出した疑問を、みのるさんに聞いてみる。


「出先でパンクとかしたらどうするんですか? 身動きできなくなったり……」

「パンクやったら、サドル下に付けたバッグに替えのチューブとCO2ボンベと、パッチシール入っとるけん自分で補修かチューブ交換やね。そん時はまことにやってもらって」

「どうしても動けなくなったら、まぁ輪行やね」

「リンコウ?」


 そう言えば、ロードバイクについて調べているとそんな単語を見た気がする。

 みのるさんが解説してくれた。


「基本的に自転車の類は剥き出しでバスや電車に乗っけちゃ駄目なことになっとるんよ」

「へぇ、折り畳みの自転車もですか?」

「そがんやね。で、タイヤ外して上手く重ねればバイクば入れることのできる袋があると。その袋に入れれば公共交通機関に持ち込めっとさ」


 そうやって自転車を運ぶことを、輪行という。

 飛行機はまた別の専用のバッグがあるそうだが、バスや電車で自転車を運び遠出するための手段なんだという。もちろんロングライド中のトラブルでリタイヤするための手段としても有効だ。


「なるほど」


 まったく知らなかった。

 何百キロも向こうで行われるイベントに参加するからと、自転車で移動するわけにも行かないもんな。


「ま、今回は何かあったら俺が迎えに来てやっけん輪行袋はいらんやろ。とはいえ事故には十分きをつけてな。愛野まで結構クルマの通るけん」

「愛野? ……アッハイ」


 みのるさんの後ろで、慌てたように辻さんが口元に指を立ててこっちを見ていた。

 必死の形相にピンとくる。


「? まぁ気を付けてなー」


 そう言ってみのるさんはバンに乗って、店へと帰って行った。

 駅前のロータリーを出ていくバンを見送って、辻さんを見る。

 目を逸らしやがった。


「……辻さん? まさか、言ってない?」

「だって、きっとNG出っけん」


 マジかこいつ。

 目的地が愛野だって嘘つきやがったな。

 長崎県はその全体が九州本土から西に突き出した長崎半島といくつもの離島で構成されている。

 そして長崎半島自体からもいくつかの半島が伸びいてるような構造だ。島原半島はその東側、不知火海を挟んで熊本に向かって突き出すようにして存在しているという立地なのである。

 島原半島の形を簡単に説明すると熊本側に丸みを帯びた、中央に雲仙岳のある勾玉のような形だ。

 熊本と向かい合う一番東に島原市がある。

 愛野町は島原半島の一番北側からやや西にある。長崎半島および九州本土との接続部にあって、橘湾とその反対側に普賢岳を一望できる展望台で有名だ。

 そして辻さんが誤魔化した本当の目的地である小浜は温泉でも全国的に有名なのだが――雲仙を挟んだ島原市とは反対側に存在する。

 島原市からは北回りでも南回りでも、もちろん雲仙岳の山越えでも最も遠い場所になるわけだ。地図アプリで調べたところ、南回りでざっと六十kmの行程である。

 ド素人の僕を連れて、初めてのロングライド。辻さん自身も経験値的には僕と大差ないし。そりゃみのるさんが知ったらきっとストップをかけるだろうさ。


「……本当に行くん?」

「行く」


 それでも辻さんは、はっきりと言い切った。


「ずっと前からやってみたかったけん。絶対やるって決めてた」


 すごいなぁ、と思う。

 目的を決めて、それに向かって踏み出す人のその意志の強さって、一体どこから湧いてくるのだろう。絶対苦労する、大変だってわかってるのに。家に居て、のんびり動画でも見てるのがラクなのに。

 でも僕はもう、知ってしまっている。

 あの雄大な雲仙普賢岳の姿を見てしまった。

 同じ日同じ時間同じ場所に、親父の運転する自動車で行ったとしても同じ光景をみることはできた。だけども価値が全く違う。

 それは、やり通した者だけが手に入れることのできる達成証明(トロフィー)

 辻さんはトロフィーが欲しいと言っているのだ。


「……どうする?」


 少し不安そうに、辻さんが尋ねてきた。

 きっと今、強弁すれば辻さんは僕を見逃してくれる。

 けれど、彼女の性格だ。独りだとしても行くのを止めないだろう。

 みのるさんが心配していたのは辻さんが無理をしないかだ。

 素人の僕に期待するのは彼女のストッパーになることだ。だから同行を許可したんだ。 

 それになにより、


「行くよ、もちろん」


 運動音痴で、運動が苦手で、ガンプラと漫画とゲームが趣味の根っからのインドア派でいじめられっ子の僕の中に存在した、自分でも驚きの衝動。

 ――僕ももう一度あの光景が欲しい。

 トロフィーが欲しいんだ。


「行こう」

「――うん!」




  †



 ヘルメットにアイウェア――つまりスポーツ用のサングラスを装着。指ぬきのグローブ。

 明らかに似合っていない格好を辻さんにゲラゲラ笑われ、その写真を自分でも確認して憮然とする。そもそもTシャツにハーフパンツにランシューで、本格的なロードバイク用ヘルメットはバランスが悪い。や、うん。腹回りもアレなのは認めるけど。

 いっそ自棄になって手を顔の前に広げて少し身体を傾けてポーズ。


「漆黒に輝けと大地が俺に囁く……!」

「なにそれ」


 やっぱり笑われて写真を撮られた。見せられた。なんだこれ、もう好きにしてくれください。

 一方の辻さんは、流石に似合っていた。チェレステカラーに黒の差し色が入ったサイクルジャージに、腰回りにフリルのついたサイクルパンツ。ヘルメットカラーも揃えて、バッチリ『走れる』感が出ている。


「ってもロングライドは初めてなワケですが」

「うっさか! 形から入るのは大事やろ!」

「ですよねぇ」


 例えばサイクルパンツはお尻にクッションが入っている。

 それはバイク側のサドルが固い場合が多いからで、サイクルジャージが身体の線が出る程ピタッとしているのは空気抵抗を軽減するためだ。

 ロングライドだとお尻の痛みや空気抵抗でのロスが、シャレにならないレベルになるらしいからその対策のためだ。

 意味があってその形なんだから、形から入るのも間違いじゃない。

 ちなみに僕が借りたLOOKにはサドルにクッションカバーが追加されている。みのるさんの気遣いが染みいるぜ。尻に。


「で、どっち回りで行くの? 北回り?」

「決まってるやん。南回りで!」


 やっぱりね。訊く前から知ってた。北回りだと愛野にすぐついちゃうもんね。誤魔化せないもんね。

 南回りだと信号待ちでみのるさんのバンに追いつくかも知れない。

 ストレッチをしながら十分に時間を置いたと判断した僕たちは、記録のためにとスマホで写真を撮ってついに島原駅前を出発する。

 時刻は八時半。

 先ずは様子を見ながら前回と同じ、深江の道の駅を目指す。


「さぁ、出発!!」


 冒険の始まりだ。







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