3-54 聖女パワーは万能じゃない、はず
テーブルの上にはカップがふたつ。
ベアトリスさんはビビアナ殿下の来訪を知っていたみたいで、最初から二人分のお茶を用意していたようです。
ビビアナ殿下はベアトリスさんが部屋の隅へ下がるのを確認すると、小さく息を吐きました。それはまるで覚悟を決めるかのような、重々しいもので。
「ジゼル様をタルカークへお呼びしたのはわたしなのに、こうしてお話する時間もとれずにごめんなさい」
「い、いえ。私もマズコナクに行ったりしてたので」
首都イスメルへ到着した際には王宮でご挨拶ができましたけど。
その後、私やセレスタン様はこのタルカラへ移動して貯水池探しの旅に出たので、そもそもふたりだけでお話をするようなタイミングがなかったのです。
だから謝罪されるようなことではないのですが……。
ビビアナ殿下は音もなく立ち、百合のような甘い香りがふわっと鼻腔をくすぐりました。お姫様、いいえ、一国のお妃様だけを立たせるわけにはいきませんから、私も慌てて立ち上がります。
「殿下?」
「この国の面倒事に巻き込んだばかりか……イドリース殿下との結婚を了承させてしまいました」
「あ……」
「心より謝罪申し上げます」
テーブルを回り込むようにして私の目の前へ来たビビアナ殿下は、百合の香りを残しながらサッと跪いてしまいました。そして先日ネルミーン姫がビビアナ殿下にしたように、ビビアナ殿下もまた私の右手をとったのです。
相手の指先を自分の額に触れるように押し戴くのは、この国において最も深い恭順や感謝、謝罪を表すジェスチャーと聞きます。……って、そんなことされても困るんですが!
「ちょ、やめてくださ――」
手を引き抜こうとしたのですが、瞳を閉じてただ恭しく私の手を握る彼女の姿はどこか神々しくて、動けなくなってしまいました。
どれくらいそうしていたでしょうか。私にはとても長く感じたその謝罪を終え、ビビアナ殿下が再び立ち上がりました。元いた席へ戻りながら、淡々と話を始めます。
「オルハン殿下は実質的な国のトップとして政治を担う中で、形ばかりの古いしきたりをいくつも整理しました。それが歴史を重んじる元老院との対立を呼ぶのは当然のこと」
「そうですね」
「しかし政とはひとりで為すものではありません。元老院とは良好な関係を維持しなければ……。そんな折、双子の伝統を持ち出されてしまったのです。まさかハラークに双子がいて、しかもそれがジゼル様だったとは」
「私とソニアも父がハラークの人間とは知らなかったので……。運命としか言いようがないですよね。これが大精霊様の決めたことならずいぶん意地悪だなと思うけど、でも誰が悪いわけでもないので」
そう。本当に意地悪だと思います。
前世の記憶を取り戻して、好きな人が前世の夫だったと知って、一層愛が深まって。でもその喜びを噛みしめる間もなく、双子の伝説を突きつけられてしまった。
今度こそ一生を彼の傍で過ごせると思ったのに。タルカークの平和のために、別れざるを得なかった最愛の夫とやっと巡り会ったのに。またこの国の平和のために私は……!
ビビアナ殿下の心を軽くしてあげたくて運命だと言ったのに、言葉にしたら急に胸が締め付けられました。
こみ上げる悲しみに追いつかれないよう少しでも笑いたかったのに、全然上手にできません。最後には掠れた声を絞り出すのがやっとで。
「ありがとう」
こぼれ落ちた彼女の謝辞は私にとって大きな慰めです。深く息を吸って吐いたら、ちょっとだけ笑えました。
さらにマシュマロを口に放り込んだらもっと笑えました。柔らかい食感もふんわり広がる甘さも、何もかもがすごく優しい。泣きたくなるくらい優しい。
無言のまま紅茶を口に含み、ぶどうにも似た爽やかな風味を味わっていると扉をノックする音が。どうやらビビアナ殿下の従者が面会時間の終わりを教えてくれたようです。
「そろそろ戻らないと。明日はどうぞよろしくお願いしますね」
「はい。精いっぱい頑張りま――あれ、何か落としましたよ」
床にはふかふかのカーペットが敷いてあるから音こそしなかったけれど、銀色の金属っぽいものがビビアナ殿下の足元に転がるのが見えました。
殿下が拾い上げたのは鍵です。
「あ。いけない、忘れるところだったわ。実は今朝、国王陛下がオルハン殿下をお呼びになって、この鍵をお預けになったとか。でもなんの鍵なのかハッキリしないまま」
「それは困りますね」
「先ほどイドリース殿下が離宮にいらしたので相談したら、聖女様なら何かおわかりになるんじゃないかって。確か……『聖女パワーでなんとかしてくれる』とおっしゃってたかしら」
「うげ。そんな便利パワーじゃないんですが」
んもー。好き勝手言ってくれるじゃないですか、あの王子様は!
流れでつい鍵を受け取ってしまったので、目の前に掲げ持って眺めてみます。聖女パワーでどうにかしろって言っても、精霊は別に全知全能じゃないんですよね……。
「あら?」
しかし私の予想とは裏腹に、どこからともなく淡い光が鍵を持つ私の手に集まってきました。それが少しずつ大きくなってヒトのような形を造っていきます。
「ジゼル様、もしかして何か見えていらっしゃる?」
「え……っと、女の人が。赤い瞳の」
「赤い瞳って……」
そうですよね、ナウファル殿下を思い出しますよね。私もです。
『聖女様、どうぞこちらへ』
赤い瞳の女性はそう言うと、ゆっくりと私に背を向けて扉を通り抜けて部屋の外へ出て行ってしまいました。
待って、どこ行くんですか、んもー!




