3-53 ちょっと感情的になったようです
一緒に寝たいと駄々をこねるソニアをベアトリスさんが追い出すと、客室にいつもの静寂が戻って来ました。
ベアトリスさんは怒ってるのか悲しんでるのか、ぎゅっと結んだ唇の両端がすっかり下がっています。
「ソニアと寝るのはいけなかったですか?」
「駄目というわけではありませんが、今夜は」
そこで言葉を止め、お茶やお菓子の用意を始めました。
今夜はなんだろう……と思いつつも、明日が結婚の儀ですしね。もしかしたら心安らかにしないといけないとか、タルカーク的なお作法などがあるのかもしれません。
今日のお菓子は何かなーなんて首を伸ばして、ベアトリスさんの手元を眺めていましたら。ベアトリスさんは手をとめて小さく息をつきました。
「ひとつ、気になってることがあるんです」
「どうしましたか」
「ジゼル様はシラー伯爵に本心を伝えましたか」
「……え?」
今度は私が動きを止める番。
本心ってなんでしょうか。好きって気持ちですか。伝えていいものなんですか。
「何も言わずにイドリース殿下とご結婚なさるおつもりですか」
「セレスタン様は次期公爵です。結婚相手には相応の身分が必要だって言ったのはベアトリスさんでは」
「そう言って自分の娘を結婚させたがるタヌキジジイが多いと言ったまでです。王族との結婚さえ許されるんですから、聖女なら身分に問題はないって意見も少なくありません」
「だって今までの聖女様は貴族だったじゃないですか。そもそも、セレスタン様は私のことなんて――」
「それ! それですよそれ!」
ベアトリスさんが手に持っていたお皿を力いっぱいテーブルにたたきつけました。木のお皿でよかったです。中のお菓子がふんわり宙を舞うくらい勢いがあったので。びっくりしました。
「それですか」
「それです。いいですか、ジゼル様はシラー伯爵がご自分のことを好いてなかったら何も言わないんですか」
「え、や、まぁ……」
「ジゼル様もご存じの通り、アタシはおばあ様と仲が悪かったんです。目が合えばグチグチ文句言われるし、お作法の練習で失敗すれば叩かれるし」
落ち着きを取り戻したのか、彼女は思い出話を語りながら丁寧にお茶の準備を再開。カップは陶器なので落ち着いてくれてよかった。
お茶を蒸らす間、先にお水とお菓子をテーブルに並べてくれます。色とりどりのマシュマロと、チョコチップがたくさん入ったクッキー。どれも美味しそう! クッキーでマシュマロ挟んで食べてもいいかな……?
「それでおばあ様が亡くなる前、アタシが最後に言った言葉は『いちいちうるさい』でした。そしたら永遠に何も言わなくなってしまいました」
「そうでしたか……」
マシュマロ挟んでいいか聞くような空気じゃなくなってしまいました。
ベアトリスさんはおばあ様に厳しくしつけられて反発していたんですよね。だけど、おばあ様はベアトリスさんのこと「可愛い孫」って言ってたんです。精霊として私の前に現れて、そう言ってた。
最後に浴びせたのが酷い言葉だったとき、誰だって後悔すると思うのですけど……嫌いあってたと思った相手が実は――と知ったら、その後悔は一層深くなるでしょうね。
「生きてるうちに『可愛い』って言ってくれてたらよかったんですよ、あのばーさんも!」
「口が悪い」
「だってそうじゃないですか? 愛情表現のひとつもしてくれてたらアタシだって……」
「そしたら素直になれた?」
「少しくらいは、きっと。でも今アタシが言いたいのは、アタシのほうこそもっと優しくしてほしい、褒めてほしいってちゃんと伝えればよかったってことなんです。寂しい、悲しい、もっと愛してって少しでも言えたら全てが変わっていただろうにって。ま、今さら叶わない願いですけど」
結婚したら私ももう、本当の気持ちを口にすることはできません。それこそ死ぬまで胸に秘めておかないといけないのです。
ベアトリスさんの言わんとすることはなんとなくわかるけど、私の場合は口にしたからって何かが変わるわけでもありません。
タルカークの情勢と伝統のための結婚、いわゆる政略結婚ですし。何かを口にして、状況が変わってしまうことのほうが良くない、とも言えます。
「何かを言えたならどれだけ良かったでしょうか」
「うわ! ポンコツな上に悲劇のヒロイン属性ですか?」
「え? えっ? なんですかその悲劇のヒロイン属性って」
「アタシは! 幸せになってほしいんです。ジゼル様に。アタシの命を救ってくれて、おばあ様の気持ちを教えてくれたあなたに!」
早口でまくしたてながら、ベアトリスさんはカップにお茶をそそぎました。ふわふわの湯気が紅茶の華やかな香りを室内に広げます。
「ふふ、今日はみんなして同じこと言ってますね」
「同じこと?」
「幸せになってくれって」
「そりゃそうです! ジゼル様は自分のことを後回しにしすぎ――あら、もういらっしゃった」
ノックの音が響き、ベアトリスさんはいそいそと扉のほうへ。
私は来客の予定があるなんて聞いてないんですけど……。
不思議に思っていると、扉の向こうから髪の長いすらっとした女性がやって来ました。
「ビビアナ殿下……!」
「夜分にごめんなさいね。落ち着いてお話ができる機会は今夜くらいしかなくて」
そうでしょうとも!




