3-52 ソニアの本当の気持ち
客室に戻るとお風呂の準備はすっかり整っていました。
ベアトリスさんが私のお団子をほどき、まるで慈しむように梳るのを眺めながら、ソニアがホゥとため息をつきます。
「お姉ちゃん、なんだかお姫様みたい。憧れちゃう」
「本物のお姫様に失礼だわ」
そんな何気ない雑談に、ベアトリスさんは咳払いでそれを否定しました。
「いいえ。タルカークの伝統に即して言えば、ジゼル様は姫ではなく王子妃。本来ならすでにイドリース殿下の後宮に入っていなくてはなりません」
「えぇっ? まだ婚約であって結婚してませんけど!」
「ですからタルカークの伝統ならと申しました」
静かに櫛を置いて彼女が手に取ったのは、象牙の簪でした。
ベアトリスさんが毎朝お団子の根元に刺して、髪をほどくときに外すその簪は、私の視界に入ることはほとんどありません。
「これは正妃に贈られるもの。正妃は後宮に入った複数の妃の中から選ばれるのが普通です」
「で、でも後宮に入れとか王子妃だとか誰にも……」
「はい。ジゼル様は聖女であり神官であり、アルカロマの人間です。王太子殿下の結婚の儀が控えるこの状況とお立場、それに国家間の関係によって未婚状態を維持できているにすぎず、その均衡が崩れればすぐにも後宮へ移される可能性がございます」
「難しいよ。よくわかんないんだけど!」
ソニアがムッとした顔で櫛を手に取り、自分の髪を乱暴に梳いていきます。
ベアトリスさんは私を立たせ、衣類を一枚一枚丁寧に脱がせてくれました。
「古い考え方をする人はすでに、ジゼル様を王子妃とみなしているという話です」
「えー。お姉ちゃんが王子妃ってなんかやだー」
「いいとかイヤとかいう問題ではありません。ただ、逃げるのならこの二、三日のうちが勝負だと思います」
今日のベアトリスさんはなんだか堅苦しいなって思ったけれど、堅苦しいんじゃなくて怒ってるみたいに見えます。いえ、怒ってるというより悲しんでる……? わからないですけど。
そういえばソニアもなんだか機嫌が悪いっぽいままで、いまいち居心地が悪いわ。
「ありがとう。でも大丈夫だから」
ビビアナ殿下は根っからの王族で、民を守り導くことに信念を持っている人です。
私は彼女を信じてるし、この国に必要な人なのだろうと思います。そんなビビアナ殿下を正妃に据えるためだと思えば、私ひとりくらい。
「さあ準備ができました。今日はおふたりだけでゆっくりお過ごしください」
「ありがとうございます」
いつもの入浴では、長い髪をケアするのにベアトリスさんの手をお借りしています。
必要ないって最初は断ったんですけど、アルカロマで全くお世話をしなかったのを後悔してるって言われてしまって。その上、髪がボサボサだって叱られたし。以前よりずっと綺麗になったはずなのになぁ……。
私が普段寝泊まりするのは、偉い人が神殿に宿泊するときに使う部屋というだけあって、湯殿もとても広いです。私やソニアくらいのサイズなら十人くらい入れちゃいそう。
幼い頃はどっちが早く身体を洗い終わるか競争したりしたけれど、今はもうお互いにマイペースで。私のほうが少しだけ早く湯につかりました。追いかけるようにソニアも入って、私の横へ。
「こういう時間、久しぶりだね」
「そうだね」
湯殿の窓は高い位置に小さいのが並ぶばかりで、景色は見られません。でも星が綺麗。
外からは見回りをしていると思われる親衛隊の声が聞こえます。なんて言ってるかまではわからないけど、声の張り方とか話し方で親衛隊だとわかる。だから不安もありません。
「アタシね、両親が亡くなってから何もしなかったでしょ。不器用だからご飯も上手に作れないし、働こうにもまだ小さいからって断られるし。お姉ちゃんばっかり大変な思いしてさ」
「大変だったけど、働くのを嫌だと思ったことはないわ」
「お姉ちゃんはそうでも、アタシは違うの。もっとお姉ちゃんと一緒にいたかったし、お姉ちゃんと一緒にご飯食べたかったんだ。アタシも働いてお姉ちゃんを楽にさせてあげられたらさ、一緒の時間が増やせたかもしれないでしょ」
「そう言う割に、家のお金まで使い込んでたじゃない」
「それはー! ……ごめん。ボランティアするようになって反省した。ただ当時はね、それが善行だと信じてたの」
素直に謝られると、それ以上何も言えません。私ったらソニアに甘いでしょうか?
でもタルカークで再会してからのソニアは、服も靴も見たことあるものばかり。持ち物を大切に使うようになったのが伝わってきます。だから説教臭いことを言う必要もないと思うのです。
「……お姉ちゃん、本当に王子妃になるの?」
「ん。伝統だし」
「アタシだって双子なんだけど?」
「もしかしてソニアは玉の輿に乗りたかった? 前からそう言ってたよね」
ソニアはすぐには答えず、ブクブクと泡をたたせながら湯の中に頭まで沈みました。そしてざばっと顔を出すと言葉を探すように首を傾げます。
「小さい頃はみんながアタシのこと『可愛い』とか『玉の輿も夢じゃない』とか褒めてくれて、それで玉の輿っていうのを知ったんだよね」
「確かに可愛かった」
「今も可愛いの! でね、司祭様が、聖女は王族や貴族と結婚するんだよって教えてくれたの。聖女になったら貴族と玉の輿なんだーって思って」
「あの捕まった司祭さま? 待って、だからあの頃、聖女じゃないって言わなかったの?」
ソニアを聖女だと吹聴していたのが、リトンに新しくやって来た司祭さまでした。聖女を騙って多額の献金を得て、自分の懐に入れていたのです。
この子は利用されていることを知らなかった上に、自分で聖女だと偽ったこともなかったので罪に問われずに済んだのですが。
一方で聖女ではないと否定しなかったのもまた事実で。
お湯の中でソニアが私の腕に自分のそれを絡め、肩に頭を載せました。
「聖女の噂が王都に届いて、いつかお城の人が迎えに来たらさ、貴族に会えるでしょう?」
「そういえば、前に言ってたね。王都に行ったらこの美貌で玉の輿に乗るんだって」
「ん。お金持ちのお嫁さんになったらお姉ちゃんを王都に呼ぶの。そしたら楽をさせてあげられるし、それにずっと一緒にいられるでしょ」
「そんなこと考えてたの」
「そのためには綺麗でいなくちゃいけないし、聖女らしくしないといけないし、思ったより大変だったなぁ……。でも、お姉ちゃんと過ごす時間が欲しかったから」
猪突猛進の甘えん坊が、おかしな知恵を得たら確かにこうなるかも。
私に楽をさせるために私に苦労させるなんて、本末転倒すぎるんですけど。でも可愛い妹のやることを否定しきれなくて、甘やかしちゃう私にも責任があるのかもしれません。
「自分のために玉の輿を狙ってたわけじゃないなら、お嫁にいくのはやっぱり私でよかったね。安心した」
「よくないよ! お姉ちゃんには幸せになってもらいたいの!」
「ふふ。ありがと」
「ねぇ、婚約破棄しようよ。伝統が大事だって言うなら、アタシがお嫁にいくからさぁ!」
私を見上げるソニアの目が涙に濡れていました。
私だってソニアに幸せになってもらいたいんだから、この話は平行線だと思います。




