3-50 扉の先の光景は
「――ってわけで親衛隊と神殿騎士を均等に配置、聖騎士はいつも通りジゼルの身辺警護だ。いいよな、セレスタン?」
イドリース殿下が神殿の地図を指でせわしなくなぞりながら、俺の名を呼んだ。
「……ええ、もちろん」
俺とイドリース殿下の間には薄い壁がある。薄いが、しかし高く乗り越えがたい壁だ。
立場や身分によってつくられたその壁を、ジゼルという存在が極限まで高くそびえ立たせてしまった。
相手の本心を覗き見るのは不可能で、壊せば降り注ぐ欠片が恐ろしい。だから互いに、薄い壁に透けて見える相手のシルエットを窺ってばかりなのだろう。
双子の伝統とはなんなのか。ジゼルがなぜ婚約せねばならないのか。その婚約は……どこまで本気なのか。
知りたいことは山ほどあるが、壁の壊し方がわからない上に、状況がそれを許さない。
「正直、業者だの結婚の儀への参列者だの観覧者だの、入り乱れる有象無象に加えて神殿騎士までまとめて警戒するなんてのは不可能だろ」
「ああ、その通りだ」
「と言っても、いまの状況じゃ敵の取り得る策なんて限られてる。あいつらの狙いは――」
「ジゼルだな」
神殿の水に薬が混ぜられ、聖騎士や神殿騎士も含めてそれを飲んだ者全員が仮想敵となってしまった。
親衛隊が無事であったことは不幸中の幸いではあるが――。
「隊長!」
そこへ親衛隊のひとりが難しい表情で会議室へと入ってきた。
あの顔はごく最近見たばかりだと思うのだが、どこで見たのだったか。
「なんだ?」
「地下階段を降りたところでジゼル様を急襲する者があり、神殿の牢に入れましたが離宮へ移送しましょうか」
「おいおいおい、ジゼルは無事なのかよ?」
「はい、ご無事です。その直前にナウファル殿下がお見えになって――」
ふたりのやり取りを聞いて思い出す。この親衛隊の男はジゼルと一緒にいたはずだ、と。
昨日も今日もマズコナクへ同道した聖騎士の休憩時間を確保するため、親衛隊の力を借りる場面が多かった。
今だって会議そのものはすぐに終わるからと、ジゼルの護りを親衛隊に任せてマズコナク組を全員集めている。のだが。
この男がここにいるならジゼルはいま、誰と?
「おい! ジゼルには誰がついてる?」
二人の会話に割って入ると、親衛隊の男は一瞬だけ呆けたような表情を浮かべた。
「え……っと、聖騎士です。ブノワが」
「ブノワをジゼルに近づけたのかっ?」
あいつは居残り組で、神殿の水を飲んでいる。くそ、よりにもよってナウファルがいるときに!
「ナウファル殿下とお会いしましたが魔法を使う素振りはなかったし、襲撃者を縛り上げたのもブノワだったし、問題ないかと……」
「それを判断するのはお前じゃない!」
文句を言う時間さえ惜しい。
会議室を飛び出して地下へと走る。背後に響く足音はヨアンとイドリースだろうが、確認する余裕はもちろんない。
彼女が地下へ向かうとすれば貯水槽だろう。
会議に入る前にイドリースが猫を回収しておけと言っていたことからも、そのように推測される。
ジゼル、どうか無事でいてくれ!
「ジゼル!」
扉を蹴破った先にあった光景を、俺は恐らく生涯忘れないだろう。
ブノワは抜いた剣を両手でしっかり握り、泣いていた。
こちらに向けられた剣の切っ先は、彼の呼吸に合わせて震えている。涙でぐしゃぐしゃになった顔は俺の姿を視界に捉えるなり、安堵と絶望とが入り混じってか一層しわくちゃだ。
その背後では床にうずくまるジゼルの姿があった。ブノワの陰になっていて彼女の姿はほとんど見えないが、シマネコもどこかでニィニィ鳴いているようだ。
俺たちの到着に気付いてか、ジゼルの指がぴくりと動いた。大丈夫、生きてる!
「ジゼル……っ?」
「セレスタン様……」
「無事、か?」
ジゼルはうずくまったまま声をあげた。
ホッと息をつくと、ブノワの背後でジゼルが身じろぎする気配。身体も動くみたいだ。
彼女の元へ向かおうとする俺にブノワが切っ先を突きつける。腰にも腕にも力が入っていないし、脅威にはなり得ない剣だ。
だがその様相はあまりにも異質で安易に近づいてはいけないと、頭のどこかで警鐘が鳴る。
「私は無事です、けど。ブノワさんが」
「こいつは一体なんなんだ、何をしている?」
「わかりません。ずっとこのままなんです。私を守るんだって、そればっかりうわ言みたいに」
「守る……? だからこっちに剣を向けてるのか」
「おかしいだろ、叔父貴ならジゼルを殺せとか命令するはずだぞ」
イドリースの言う通りだ。ナウファルの狙いはあくまでビビアナ殿下を正妃にさせないこと。その過程で結婚の儀を延期させて時間を稼ぐ必要があるのだ。
ビビアナ殿下が正妃となった暁には、正妃を弑するという道を選択することになるのだろうが、今はまだそのときではない……。
ナウファルが何を考えているのかはわからないが、ブノワのことなら操られていてもまだ理解できる。長い付き合いの腹心だからな。
「久しぶりに手合わせといこうか、ブノワ」
「セレスタン、お前、ジゼルがそこにいるだろうが!」
「心配無用だ。ジゼルだけは傷つけない。俺も、ブノワもな」
安易に近づけないと感じたのは、ジゼルを守るためなら捨て身になる覚悟があるとわかったからだ。
顔には出さないが、ブノワがジゼルを真の聖女だと仰ぐ気持ちは半ば信仰のようですらあった。この男が聖女を守るために剣を構えるのなら、何があっても彼女を傷つけることはないと断言できる。
あとはただ、叩きのめすだけだ。




