3-44 愛する私の騎士
「私、ジゼル・チオリエを神と精霊に仕える者として、どうかお認めください」
私が儀仗杖を掲げながら祈りを込めてそう言うと、手の中の杖が白く輝きました。これは聖樹の枝から作られているというのだから、そうなるのも理解できるけれど少しびっくりします。
背後では、たまたま神殿に祈りを捧げに来ていた人々が「おお……」と感嘆の声をあげました。ね、驚きますよね。わかる。
輝く杖を左手に持ち替え、目の前に置かれた水差しをとって杯へ水を。溢れてもなおそそぎ続けると、祭壇に刻まれた溝を通って水がどこかへと流れ込んでいきます。……その直後。
祭壇の向こう側に据えられた聖人の像が持つ手燭に火が点りました。
どんな仕掛けなのかサッパリわからないけど、とても神秘的で……そしてなんだか嬉しい。だって本当に認められた気がするんだもの。聖女なのにって自分でも笑っちゃうけど、視覚的に理解できるって大事だなと思います。はい。
「聖女さまだ!」
「聖女様が我が国の神官となられた!」
そんな声が聞こえてきたかと思えば、ゴーンと鐘の音が鳴り響きました。新たな神官が生まれたことをタルカラ中に報せるためのもので、かつて神官が人々の心の拠り所だった時代からの伝統なのだとか。
わっと歓声が上がる中、護衛を務める神殿騎士が手を差し出しました。
「ジゼル様、これ以上人が集まる前に行きましょう」
「はい」
私を守る神殿騎士はひとりだけ。民が近づきすぎないよう親衛隊が警備にあたってくれているけれど、どこに「意思なき人」がいるかわからないから、早々に退散しないといけないのです。
神殿関係者だけが使用できる扉から回廊に出て、客室を目指します。神殿騎士は周囲に視線を走らせてから小さく息をつきました。
「うまくいきましたね」
「ソニアたちの無事が確認できるまでは安心できません。まさか、あの子を囮にするだなんて」
「言い出したのは彼女ですから。ククッ……。さすが双子、こうと決めたら一直線なところはよく似てますよ」
「んもう……」
神殿騎士はそれ以上何も言わず、私の手を引いて客室を目指します。その温かい手を握り返しながら、私は昨夜のことを思い出していました。
◇◇◇
昨夜、すぐにも聖樹のもとへ行こうとする私をイドリース殿下が強引に引き留め、公爵家の屋敷に留め置きました。外はすっかり暗くなっているし、焦っても仕方がないと諫められたのです。
それで公爵家で食事をいただきつつ神官承認の儀について話し合いを進め、神殿へと戻ったのは夜も更けてからでした。
散々話し合った割にこれという結論も出ないままでしたが、身体を休める必要もありますからね。
そして真夜中のこと。
疲労困憊のはずなのに気持ちばかりが焦ってなかなか眠れずにいる私の耳に、コツコツと硬質な音が聞こえてきます。
窓を叩く音だと気付いてカーテンを微かに開けると、神官姿の男性がいました。すぐにも誰かを呼ぼうとしたのですが、彼は目ざとくこちらに気付いて傍へとやって来たのです。
「タンヴィエ卿が見つかったそうです」
「えっ」
「もう時間がありません。正式に貴女様をお連れする手続きを進めていたら間に合わなくなります」
「間に合わないってなんですか。彼は無事なの?」
「詳しい話は道中で。あまり目立ってはタンヴィエ卿の居場所を特定されかねませんから、おひとりで。さぁ窓を開けてください」
すごく怪しい。怪しいけど、もしセレスタン様が危険な状態なら急がないと。
この時間になっても戻って来ないんだから、彼が怪我をしているのは明白です。どこかで助けを待ってるに違いありません。やっぱりみんなにどれだけ止められても、もっと早く戻って来て精霊に居場所を聞くべきだったんだわ。
だけど、今こそ助けてみせる。私が行けば怪我だって治せるんだから!
意を決してローブを羽織り、掃き出し窓を開けて外へ。
「えっ」
庭へ出たところで男性がこちらへ勢いよく手を伸ばし、同時に建物の陰から複数の男たちが飛び出してきました。
初めから罠の可能性を考慮していたからでしょうか、そんな不穏な状況だって思ったより冷静に分析できる気がします。
最も近くにいる人は武器を持ってないし、後から出てきた仲間の中にはナイフを持っている人もいる……けど全員じゃない。武器を持った人とはまだ少しだけ距離があるから、逃げながら助けを呼べばもしかしたら――。
「誰か――」
「そうはいくか!」
私を外へいざなった人が、逃がすまいと腕を引っ張りました。口も強く塞がれて計画はあえなく頓挫です。
大きな手で鼻まで塞がれて息苦しい。空気を求めて喘ぎながら、考えを実行に移し成功させることがいかに難しいか気付かされた、そのとき。
突然「ぐあ」と呻き声があがって、口と鼻を覆う手が離れたのです。次いで、腕を掴む手も。
振り返ったその瞬間の光景を、私はきっと忘れないと思います。
雲の多い夜で星は見えず、月は綿みたいな薄い雲に覆われていました。だけどたちどころにその雲が晴れ、一筋の光が銀の髪を青く照らしたのです。キラキラ輝く髪が揺れるたび、ひとり、またひとりと男たちが倒れていきます。
強くてしなやかで綺麗な、愛する私の騎士。
「セレスタン様……!」
「ジゼル、無事か? すぐ片付けるからちょっと待ってくれ」
「はい!」
と言ってもほとんど待たされることなく、襲撃者たちは地に伏せました。手を叩いて埃を払うセレスタン様に駆け寄って、その胸に思い切り飛び込みます。彼は私の全体重を難なく受け止め、強く抱きしめてくれました。
「よかった、生きてた」
「ああ。生きてる」
「すごく心配したんです」
「すまない」
「姿を消したって聞いて、なのにいつまでも戻ってこなくて――怪我は? どこか怪我したんじゃないですか?」
腕の中でまくし立てる私の背中を優しく撫でて「大丈夫だ」と繰り返します。
「俺がジゼルを置いてどこかに行くわけないだろう。俺は必ず君のところに戻ってくる。絶対に」
「え……」
君のところに必ず戻ってくる。それはエドリスが戦地に赴く際に必ずヌーラに伝えた言葉でした。
驚いて顔を上げた私に、セレスタン様はスミレ色の瞳を柔らかく細めます。
「俺は君の騎士だからな」
「……はい!」
そうよね、前世を思い出したわけじゃないですよね。だけど別に思い出してくれなくていい。思い出さずとも傍にいようとしてくれるのが嬉しい。
温かくて大きな手が私の頬に触れ、顎を持ち上げます。涼やかな風に草がカサカサと音をたてながら背を曲げ、セレスタン様のムスクが微かに香って。
彼の顔がゆっくり近づき、そっと目を伏せると――。
「おぃぃ! この地獄みてぇな惨状でイチャイチャしてんなよ、お前ら! なんだよこれは。おい、誰か縄持って来い縄!」
突然の大声に、私たちは光の速さで離れ、ピシっと背筋を伸ばしました。
あっ……ぶな! まずいですよ、まずいですよ。私、イドリース殿下と婚約したんだった! 今度こそ密通で裁判に負けちゃうとこでした! あばばば。
イドリース殿下の背後にはヨアンさんがいて、なんとベアトリスさんまで寝室の窓からこちらを見つめています。いやカーテンに隠れなくていいです、今さらなので! んもう!
そんなこんなで客室に集まったのが、マズコナク組の皆さんに加えてハラーク公爵とソニアでした。
もちろんベアトリスさんにも同席してもらいます。彼女はビビアナ殿下から強く言われて口にするものを慎重に選んでいたそうなので、信頼できる側の人です。
一方で私を襲おうとした男性たちは、神官服を着ているだけで神官ではない、ただの民でした。そう、民はやはり敵の駒として機能することが証明されたのです。
「で、まずは順を追って説明してもらおうか」
イドリース殿下の問いにセレスタン様が静かに頷きます。
「天意の泉に落とされる際に、『万一上がって来たら殺せ』と話しているのが聞こえた」
「えっ」
ナウファル殿下ったら、私がごねたから猶予を与えてやったみたいな顔して、最初からセレスタン様を殺すつもりだったなんて!
「縄抜けは訓練したことがあるが、せっかく水から出てもこちらは無腰だし、生きて離宮に戻るのは至難の業だ。さてどうしたものかと思案していたら――」
そこで言葉を止めたセレスタン様は、テーブルの上にある水を張った桶の中のシマネコを指差しました。シマネコはご機嫌な様子で「にゅーん」と泳いでいます。
「ミズネコが現れた。天意の泉は、例の地下貯水池と水路で繋がっていたんだ」
「貯水池と? そんな話、聞いたことねぇぞ」
「あの泉の底にはそこそこの大きさの岩がいくつもある。その岩陰に大人がひとり通れるほどの穴があったんだ。向こう側が暗いせいで、泉のほうからは決して抜け穴があるとは気付けないだろうな」
「王家にも伝わらない新事実だぞ、それ……」
「ミズネコも俺を見てかなり驚いた様子でね。俺は本当に運が良かったと思うよ。それで彼の案内で水路を伝って外に出ることができた」
「そうだったの……」
話を聞いていると、天意の泉ってもしかしたら本当に神様や大精霊様の意思が働いているんじゃないか、なんて思ってしまうわ。
セレスタン様を生かしてくれたんだから、今までよりも一層信仰心を持たなくちゃいけませんね!
一方、生かされたセレスタン様のお話は続きます。
「どうやら俺は命を狙われているらしいから、ジゼル以外の誰にも会いにいけなかった。で、夜になるのを待って訪ねてみたら襲撃者がいたというわけだ」
「なるほどな。事情はわかった。お前が行方不明になったおかげで、判決は明日の日没まで待つことになったんだ。ビビアナ妃殿下のことはこれで心配ねぇだろうな」
イドリース殿下の言葉に突然泣き出したのはベアトリスさんでした。ビビアナ殿下のことがずっと心配だったんだとか。
私だって泣きたいけど、今はまだ我慢です。
ビビアナ殿下が無実だとの判決がくだされれば、あとは結婚の儀を迎えるだけ。無事に結婚の儀を終えて彼女が正妃となれば私たちの勝ちです。ただ残された時間が少ないせいか、敵もなりふり構わない様子。
「次に彼らがとる手は……やっぱり私ですよね、こうして襲撃者も現れたわけですし」
「神官承認の儀には俺も参加させてくれ。神殿騎士として」
「は? だってお前、神殿騎士の誓約の儀は――」
「泉を出てから、ただ何もせず夜になるのを待ったわけじゃない。行って来たんだ、『エドリスの足跡』にな。これが証拠だ」
「それは……っ」
「お前、それ持って来たのかよ。……まぁいい。色々落ち着いたら返せよ」
証拠だと言って彼が取り出したのは、小さな翡翠のネックレスでした。
イドリース殿下は困惑しているみたいですが、実は私もそれを知っています。ヌーラが魔除けにとエドリスに贈ったアミュレットですから。まさかあのネックレスが悠久の時を越えてまた彼の手に戻るなんて。
ここまで黙っていたハラーク公爵が、コホンと咳払いをしました。
「儀式中、ジゼルさんのそばに控える神殿騎士がいるのは大きなアドバンテージですな。しかも、敵方に知られていない神殿騎士だ。これで相手の裏をかけます」
そして再び会議が始まり、ソニアが囮になると言ってきかず、あのようなとんでもない作戦が生まれてしまったのでした。




