3-42 にゃーんと鳴くので
ほどなくしてハラーク公爵を連れて戻ったソニアは、彼をすぐに治せと大騒ぎです。
まずはハラーク公爵に、そしてイドリース殿下にも、ネルミーン姫の薬間違え事件まで遡って状況を説明しました。
何が起こったかはご理解いただいたのですが……そこで問題が勃発。その場にいた全員が「治す」ってどういうことだ、と気付いてしまったのです。
「さっきは雰囲気にのまれてわかってなかったけど、ジゼルはソニアちゃんをどうやって正気に戻したんだよ?」
イドリース殿下の言葉に全員がこちらを見つめます。
ソニアと私が並んで座るその対面に殿下とハラーク公爵が並ぶので圧がすごい。
「せ……」
「せ?」
「聖女パワー」
「ンだよそれ」
「内緒って言われてるんです。だから内緒です。皆さんも内緒にしてください」
ふざけんなと文句を言うイドリース殿下、聖女パワーかぁとニコニコ笑顔のヨアンさん、プクーと頬を膨らませるソニア。
その中で、しばらく無言で考えこんでいたハラーク公爵が、おもむろに口を開きました。
「まさか……ヌーラ様の再臨か」
「は? ヌーラって、最初の聖人でタルカラに骨を埋めた人だろ。この国の本来の祖の。再臨ってなんだよ?」
「ヌーラ様は癒しの御業が使えると言います。大精霊と共に旅に出た全ての聖人の中で、ヌーラ様だけだったため、後の世になって付け加えられた創作だろうと考えられていましたが……」
私は聞こえない振りで窓のほうを見ているのですが、すっごくすっごく視線を感じるわ!
ごめんなさい、セレスタン様、バルバラ様! 私ちょっと隠し通す自信がありません!
「そうなのか、ジゼル?」
「チョットワカンナイデス」
「それ白状してんのと一緒だろ。……ま、細けぇことは後だ。目の前のことを先にどうにかしよう。時間がねぇからな」
「殿下のおっしゃる通りですね。本題に戻しましょう。この状況では我輩の言葉は信じがたいでしょうが、我輩は薬を飲まされてはいない。故に、かのお人の魔術も効きません」
確かに信じていいのか悩んじゃう……!
ネルミーン姫やソニアみたいに、話が噛み合わなかったりぼんやりしたりという様子は、ハラーク公爵にはありません。でも私は断言できるほどハラーク公爵と親しくないし。
それに、ソニアは比較的ずっとぼーっとしていたけど、ネルミーン姫は記憶違いがあっただけで表情などは以前お会いしたときと変わらなかった。恐らく薬による影響が人によって違うんだと思います。
イドリース殿下も腕を組んで難しいお顔です。
「とりあえず信じないと話が進まねぇんだよな。が、薬を摂取してないっつう根拠はあんのか」
「根拠というほどのことはありませんが、我輩はこの屋敷の中でしか飲み食いしていないのです。王太子殿下も同じでしょう。細心の注意を払っている。ソニアさんにも外でものを食べないよう言っておいたはずですが」
「えー! アタシ買い食いとかしてないよ。大体、毎日神殿でお水配ってるだけだし。あ、お水なら神殿で飲んだけどね。だって暑いんだもん」
「さすがに神殿の水に薬混ぜるなんてしねぇだろうしな……ねぇよな? 倉庫から押収した薬が盗まれたって聞いたけど……関係ねぇよな?」
沈黙。
あり得ないと思いたいけど、それを否定する材料も持っていないのです。ナウファル殿下について、目的のためには手段を選ばねぇ奴だ……って言ってたのはイドリース殿下だったでしょうか。
神殿の水に薬を混ぜたと仮定して、その目的はソニアを後宮に入れるためだけなのか。それとも他に理由があるのか。そんなことを考えていると、ハラーク公爵が大きな溜め息をつきました。
「これは結婚の儀はもちろん、神官承認の儀も延期したほうがいいかもしれませんな」
「なんでだよ?」
「神殿の水は民に配っているでしょう。神殿騎士ももちろん飲んでいるはずです。神官承認の儀で神殿騎士にジゼルさんを殺させたり、あるいは結婚の儀で民に暴動を起こさせたり……なんだってできる」
「無理だ。結婚を後ろにすればするほどビビアナ妃殿下についての悪い噂がたつし、聖女もいったんアルカロマに帰さないと国際問題になる。奴らに時間を与えるほど、こっちの首を絞めることになるぞ。すでに予定は押してるのに、これ以上遅らせるわけにはいかねぇ」
どっちの言い分もわかるから困ります。でもこのままじゃダメなことだけは確かです。
いちばんに解決すべき問題は、神殿のお水が汚染されている可能性ですよね。これを排除できれば……。
「と、とにかく水配りはしばらく中止して――」
「お姉ちゃんってば落ち着いてよ。お水配りをやめたって、神殿騎士さんの飲み水は変わらないよ?」
「そ、そっか。そうだよね」
それで民の暴動は阻止できるかもしれませんが、神殿騎士たちがナウファル殿下の好きにできるという状況は変えられません。別の方法を考えないと。
ソニアが励ますように私の手を握って、顔を上げました。
「アミルおじさん、お水って他にないの? このお屋敷のお水を神殿に持って行くのは怪しいよねぇ?」
「当屋敷はそんなに多くの水を引いていないんだ。神殿で使う分まで賄うのは難しいかな」
「神殿が普段使う水ってのは、この屋敷や離宮と同様に北東の山から引いてるんだけどな、実は他に湧き水もある」
「えっ? じゃあしばらくはそれを使えばいいってこと?」
ソニアが目を輝かせてイドリース殿下へと向き直りました。
っていうか湧き水ってもしかして――。
「残念。その湧き水を、今日、叔父貴がご丁寧に使い物にならなくしてくれたわけだ。ま、元々大した水量じゃぁないが」
「天意の泉ですね。さすがに人を沈めてしまっては、飲み水にはできますまい。まったく丁寧な仕事に敵ながらあっぱれ、ですな」
「人を沈めるってなに? 怖いんだけど」
微かに震えるソニアの声に、誰も答えようとはしません。セレスタン様は大丈夫かしらと胃がぎゅうぎゅうに締め付けられて吐きそう。
暗くなった気持ちを奮い立たせるように、努めて明るい声を出します。
「で、では! 地下貯水池はいかがですか。水路の整備はまだにせよ、直接お水を運ぶとか」
「神殿で使う量の生活用水を運ぶには人手がな……。毎日となると現実的じゃない」
「輸送中の警備も必要ですからな」
困りました。あれも駄目、これも駄目。八方塞がりというやつです。
イドリース殿下やハラーク公爵もこれといった案が思いつくわけでもない様子で、腕を組んで難しいお顔をするばかり。
「離宮ならこのお屋敷より多くお水引いてるんじゃない?」
「ソニアちゃんは頭がいいなぁ! けどそりゃ駄目だ。間違いなく叔父貴に気付かれるからな」
「でしょうな。すると彼の次の手が読みづらくなる。そちらの水に細工されると今度こそお手上げです」
「んもー。ふたりともああ言えばこう言うんだからー」
出口のない迷路に入り込んでしまった気分です。
全てがナウファル殿下の手の内にあるとも言えるでしょうか。すっかり踊らされて悔しいわ。
室内に溜め息が溢れ、もう具体的な案は出尽くしたかと思われたとき。ムカムカする胃をさすろうと胸のあたりに手をやりましたら、か細い声が聞こえてきました。
「にゃーん」
「お姉ちゃん、この大事な時に猫の真似とかなんの冗談?」
「真似じゃなくてネコが……。あ!」
「あ?」
「シマネコがいるじゃないですか!」
胸元から引っ張り出した仔猫は、私の手の上でウゴウゴしています。寝てたみたい。指でつつくと、両手でその指を掴んで口に咥えました。ちゅぱちゅぱされている……。
ハラーク公爵は興味深そうにそれを眺め、ソニアはプゥと頬を膨らませます。
「なにそれ可愛い! お姉ちゃんずるい!」
「魔獣ですかな、これは?」
「はい、水場に棲む魔獣です。人間に友好的な種で、この幼獣はしばらく預かることになったんです。水を浄化する特性があって……神殿の貯水槽にこの子を放り込めば、綺麗にしてくれるんじゃないでしょうか」
「なるほど、確かに」
地下貯水池に棲む猫型魔獣の話についてはハラーク公爵にも伝わっていたとのことで、すぐに理解が得られました。
イドリース殿下も満足そうに頷きます。
「そうだな。いきなり水配りをやめるのも変な憶測を呼びそうだと思ったが、それなら問題なさそうだ。民が摂取した薬だっていつまでも体内に残留してねぇだろうし、結婚の儀で暴動とかいう最悪の事態は避けられるかもしれねぇ」
「ジゼルさんの護衛にはマズコナクに同道した聖騎士や親衛隊を、必ずひとり以上つけるようにしましょう。神官承認の儀の最中には神殿騎士しか中に入れないが……我輩がそれを担います」
水の件に解決の糸口が見えるや否や、イドリース殿下とハラーク公爵はああでもないこうでもないと、今後の対策について話を始めました。
そんな中で私がすべきは……やっぱりセレスタン様を見つけること!
「神殿に戻ります。セレスタン様を捜さないと」
「お前、神殿は危ねぇって話を今してたとこだろうが」
「じゃあ守ってください!」
「本当に決めたこと曲げない奴なんだな……」
なんだか褒め言葉に聞こえてきた!




