3-22 どうか無事で
それはタルカラを出て三日目のこと。
まばらに生えた細い木と生気のない草、乾いた土などは変わらず続いていて、さらに大きな岩々も目立つようになってきました。貯水池の周囲にあった岩窟群とよく似た光景です。
イドリース殿下は相も変わらず観光案内よろしく付近の文化について説明してくれています。
「もうここからちょっとでも南に行けば砂漠だ。慣れない奴は砂漠には行くなよ。で、この辺は鶏やウサギを飼育して肉やら毛やらを各地に出荷するってのが主な生業だな」
「うさぎ」
「ああ。夏はこの通り死ぬほど暑いが冬は冬で寒い。うさぎの魔獣は毛がふわふわで長くてなぁ」
「魔獣ですか」
「おう。魔獣だってうさぎみたいなおとなしいヤツなら――」
「イドリース殿下」
殿下が突然ぴたりと言葉を止め、それと同時にセレスタン様が低い声で殿下のお名前を呼びました。
「わかってる」
何を言わずとも、イドリース殿下は言葉少なに首肯します。
ピリピリした空気の中、馬の歩幅も小さくゆっくりになり、私だけが何もわかっていない状況。でも悪いことが起きそうだってことくらいはわかります。
背後でセレスタン様が深く息を吐く気配。
「囲まれましたね」
「北西にちょっと隙間がありそうだ」
「逃げますか」
「おいおい、俺らは王太子オルハンの親衛隊だぞ。野盗から逃げようもんなら兄貴の面目にかかわる」
野盗! そう声に出そうになったのをどうにか堪え、馬のたてがみを強く握りました。
目だけで周囲を窺えば、確かに岩の影に何か隠れているような気がしないでもないですけど。よく気付けますね、こんなの……。
「では……」
セレスタン様が腰に佩く剣を高く持ち上げ、鞘を脇に挟みます。
剣を抜くための準備だと思うのですが、イドリース殿下は小さく首を横に振りました。
「お前らはこのまま北西を抜けてマズコナクに行け。マズコナクの知事は叔父のファランだ。そいつを訪ねろ」
「しかし!」
「そのお嬢を連れたままじゃまともに動けねぇだろ。大丈夫だ、すぐ追いつく」
イドリース殿下が親衛隊の魔術師さんに顎で指示を出すと、魔術師さんは短杖を構えてすぐさま前方の岩へ攻撃を仕掛けました。
すると攻撃を受けた岩の影から数人の男たちが顔を出し、それを合図に周囲の岩々から何人もの野盗が現れたのです。正確な数はわからないけど、両手で足りないのは確かだわ。それに多くの人が馬に乗っていて、逃げ切れるかどうかもわからない。
「行け!」
殿下が叫び、セレスタン様が馬の腹を蹴ります。
野盗もまた一斉に飛び出してきました。
「ヨアン、ニルス! 殿下の援護を!」
馬を駆りながら叫ぶセレスタン様に、後方から二人の返事が追いかけてきます。
イドリース殿下の言っていた通り北西方向には姿を隠すための岩がないため、包囲の穴になっているようでした。
「ジゼル、頭を低くして」
「はい!」
セレスタン様に肩を押されるまま、私は馬の首にしがみつくようにして小さくなりました。そのとき視界の隅で、北側から猛スピードでこちらへやって来る馬が見えたのです。
「女が!」
「追え! 逃がすな!」
魔法でしょうか、私たちの馬の足元で大きな音をたてて砂ぼこりが舞い、セレスタン様が舌打ちをしました。それから魔法の狙いを定めさせないためか、僅かに馬をジグザグに走らせ始めて。
私は振り落とされないよう馬にしがみつくので精一杯です。もちろんセレスタン様はしっかり私を抱えてくれていますが、万一に備えておかなければ。
「おい、女置いていけコラ!」
直進で走っていなかった分だけ相手との距離が縮まって、野盗のひとりは無理をすれば手が届きそうなほど近くに迫っていました。
再びセレスタン様が舌打ちをし、私は一層強く馬の首にしがみついて。前方に伸びた影で、セレスタン様が剣に手を伸ばしたのがわかります。しかし相手の手が私の腕に触れるほうが幾らか早くて……。
「させるかよぉ!」
イドリース殿下の声。
なんと殿下が追っ手に追いつき、剣を振り上げていたのです。
「くそっ」
野盗がそれに応じ、私たちから離れます。
が、次の瞬間。殿下と野盗の姿は轟音とともに舞い上がった土砂で隠れてしまいました。大きな魔法が放たれたのだと理解するとともに、最悪の事態が脳裏をよぎりました。
殿下に魔法が直撃していたら? あれほど大きな音と爆発があったのですから、当たっていたらただではすみません。全身から血の気が引くのを感じ、無事を確認しようと身を乗り出して後方を振り返ります。
「殿下、殿下!」
「ジゼル、危ない」
「でも、殿下が!」
「まずは自分の安全を確保するんだ!」
セレスタン様に強く抱え込まれ、もう振り返ることはできません。
しばらく走ったところで速度を落とし、後方の様子を窺いましたが、誰かが追ってくる様子はありませんでした。
「殿下……」
「マズコナクに向かおう。知事のファラン殿下に応援を依頼するんだ」
「そ、そうですね! 急ぎましょう」
野盗なんかに遅れはとらないと言っていたけれど、さすがに人数差がありすぎます。こんなとき、何もできないのがとても申し訳ない気持ちです。どうか無事でいてくれと祈るしか……。
お互いに無言のままマズコナクへ到着し、街の中心にある城塞へ向かいます。遠目にもわかる石造りの立派なお城です。……が、近づくにつれ城の前に大勢の人が集まっているのがわかりました。
私もセレスタン様も、少しでも早くイドリース殿下への応援を頼みたい一心で、人波を縫うように城を目指します。門まであと少しというところで、鋭い声が飛んで来ました。
「そこのよそ者、止まれ!」
よそ者って、やっぱり私たちのことでしょうか。




