3-19 青いねこの魔獣
最下層まで降りた私たちは、一様に口をポカンと開けてしまいました。
だってそこには信じられないほど広い神殿があったのです。たぶん神殿だと思います。私たちの知らない神像が祀られていたので。頭が猫で身体が人間の神様はちょっと記憶にないですけど。
いえ、さっき岩の中の礼拝所らしき場所で見ましたね、猫の頭の彫像を……。あれ神様だったんだ……。
まず階段を降りたこの場所からは、視界いっぱいに大きな空間が広がるばかりです。あまりに広くて光が届かないので、魔術師さんに光源を増やしてもらったほど。
セレスタン様は剣を構えたまま周囲をサッと見回しました。
「水が……」
数歩先にはもう足場はなく、広間いっぱいに水が広がっています。一度落ちてしまえば二度と這い上がれなくなりそうな恐怖が襲いました。
水面はゆらりと波打っているものの、この空間自体はとても静かで私たちの呼吸や衣擦れの音くらいしか聞こえません。
「謎生物いませんね……」
「ジゼル様、出過ぎないでください」
「警戒は怠るなよ」
空間の最奥に大きな猫頭の神像があり、その膝のあたりまでが水に浸かっています。つまり、特大の神像を祀るこの神殿そのものが、水に沈んでいるような状態、ということなのです。その水深はさっぱりわかりませんが、水質に関してはとても澄んでいるように見えました。
「しかしすげぇな……こんなのが地下にあるとは」
「それに今まで以上に寒いですね」
地下はとても涼しかったのですが、この空間へ出ると一層気温が下がったように感じられました。水が空気を冷やしているのだろうと思います。
謎生物の姿は見えないし、求めていた水は目の前にあるしで弛緩した空気が漂い始めたときでした。
「シャーッ!」
突然、威嚇する鳴き声とともに上方から何かが私をめがけて降ってきたのです。
セレスタン様が私の腕を引いて着地点から遠ざけ、剣を構えます。が、彼が剣を振りぬくより一歩早く、イドリース殿下がその物体を殴りつけてしまいました。
「ギニャッ!」
謎の悲鳴とともに私の視界を横切る物体。ひしゃげたボールのように見えましたが、ひしゃげたのは殴ったせいかもしれないです。
ぼちゃんと水に落ちた物体を警戒しながら水面を見つめていると、落下地点よりもだいぶ離れたところから青色の謎生物が顔を出しました。
「シャー! シャー! シャー!」
「すんげぇ威嚇するじゃん」
「攻撃するにはちょっと遠いですね……。や、あれは魔獣ではないですか?」
「あんな魔獣見たことねぇぞ」
そうでした。ヒトの生活圏内にはあまり出てきませんので忘れがちですが、たとえばグテーナの森の奥に潜んでいたように、魔獣は思ったよりも近くに存在するものなのです。
でも水から出したその顔……。
「猫みたいですね。確かに全然怖くなさそう」
「シャーッ!」
「怒った」
「猫とか言うからだぞ」
横向きに寝かせた耳も、鼻に寄った皺や鋭い目も、それにひげも。何から何まで猫にそっくりです。青い猫なんて聞いたことないから猫ではないはずですが。
その青い猫は私が猫と言ったのに気分を害したのか、物凄い速度でこちらへ泳いできました。どう見ても猫掻きの動きだけどすごく速い。
そして水の中ですからセレスタン様やイドリース殿下は手が出せません。
「魔術師置いてきたの間違ったな……」
親衛隊の魔術師さんは倉庫にひとり、この神殿の真上にひとり、それぞれ任務として残ってくれています。そのためここには魔術師さんがひとりしかいないのです。そのおひとりも、明かりを灯す魔術を使っている最中ですので迅速な対応が難しそう。
緊張した空気が走ります。猫魔獣が飛び出して来たら、その瞬間に叩く必要がありますからね。私は邪魔にならないよう隅のほうへ――。
私が隅へ移動するのと同時にざばーっと大きな水音がして魔獣が飛び出てきました。薙ぎ払うセレスタン様の剣を足場に、さらに跳躍。くるりと身体をひねらせて私の目の前にストっと着地します。
すごい、完全に猫の動き。
「……ニャ!」
目が合った瞬間、全身の毛を逆立ててぐっと背中を丸め、妙な動きでぴょんぴょんサイドステップを踏みました。警戒しているんでしょうか? 私も負けじと警戒しながらセレスタン様の後ろに隠れます。
『ダイジョウブ、アレ、トモダチ』
「友達? あの猫が?」
「猫ジャナイ!」
猫じゃないそうです。……ではなくて。
「え、喋った?」
念のためセレスタン様やイドリース殿下のほうを窺ってみましたが、彼らも目を丸くして猫を見ていました。口も開いてる。
驚きのあまり、ふたりとも毒気が抜かれてしまったみたいです。武器を持つ手をおろし、猫を観察し始めました。
「尻尾の先が平べったいな」
「手足に水かきがついていますね……」
「つまり猫じゃない……?」
「猫じゃない言った!」
後ろ足を軸に立ち上がった猫が、両手を腰にあててのけぞります。偉そう。
「二足歩行できるんだ」
「猫じゃないので!」
それから改めて私に向き直り、片手を上げました。
「お前、聖人! 久しぶりだナー」
「久しぶり?」
「ニャ! 聖人ここ来る久しぶり!」
さすがに攻撃の意図はないと理解でき、誰もが武器を腰におさめます。私もセレスタン様の陰から出ることにしました。猫を触ってみたかったし。
「思ったより大きいですね、私の腰くらいまである」
突いてみると小さく身体をくねらせて、一歩分だけ離れてしまいました。嫌だったみたい。
この謎生物は自らを「ミズネコ」と名乗りました。昔に仲良くした聖人がそう名付けたのだと言います。水棲の猫型魔獣でミズネコ。単純すぎるとは思いましたが、口に出さない配慮はできます。
「ミズネコ、聖人、友達。ここ住んでいい言った」
「この水はあなたのためのものなの?」
「違う。ミズネコ、水綺麗にできる。ここで安全に住む代わりに水綺麗にする約束」
そう言ってミズネコは昔話を始めたのでした。




