3-18 あの、喧嘩はやめていただいて
思い出しそうで思い出せないまま頭を抱える私の横で、イドリース殿下とセレスタン様は淡々とお話を続けます。
「敵国の紋章をつけたままにしておくでしょうか?」
「いや、ほとんどは削り取ってあった。だからつけたままのやつは、何か事情があって処理する暇がなかったって考えるのが妥当だろうな」
「なるほど。しかし正妃に手の者を据えて、政治を意のままにしようとする人物が敵国と通じているとなると……その陰謀は確実に阻止する必要がありますね。相手に心当たりは?」
「山ほどいるなぁ。小国をいくつも併合してっから、どいつが寝返ってもおかしくない。血のつながった王族ですら信頼できねぇ奴はわんさといるぜ」
「難しい問題ですね。――さて、そろそろ出発しましょうか。ジゼル様、こちらに」
「ひゃいっ」
セレスタン様に手を引かれ、そのままヒョイと馬に乗せてもらいました。
考え事をしていたのでビックリしてしまったわけですが、結果、喉元まで思い出しかけていた何かはすっかり霧散してしまいました。もう絶対に思い出せないという自信があります。
諦めて会話に加わりましょう。
「王族と言えば、ナウファル殿下はすごい方ですね」
「あ? ナウファルってあのナウファルか、俺の叔父の? 会ったことあんのか?」
目を丸くするイドリース殿下に、セレスタン様は馬を歩かせながら頷きました。
「ええ。昨日お忍びで出掛けたつもりが、ジゼル様が聖女だと民衆に知られてしまったのです。騒ぎになったところを助けていただきました」
「大騒ぎだったのがパッと静かになって驚きました。民からの人気も高いみたいですね」
私たちの言葉にイドリース殿下は苦虫を嚙み潰したようなお顔です。
「まぁ外面はいいし、国民の幸せを願ってるのは本当だろうよ。でも目的のためには手段を選ばねぇ奴だってことも間違いないんだよなぁ」
物腰柔らかなナウファル殿下に、手段を選ばない人という評価はイメージと合致しません。と言っても私はナウファル殿下の一面しか見てませんからね。
それにもしかしたら、イドリース殿下はあんまりナウファル殿下のことが好きじゃないのかも。
徐々に馬のスピードを上げながら、再び精霊に案内を頼んで貯水池を目指すこととなりました。青い空と神秘的な風景、乾いた風も背中を支えてくれるセレスタン様の体温も、全部が心地よくてずっと続けばいいのにと願ってしまいます。
「この先もしばらく岩が続くだけだぜ。方向は合ってんのかよ?」
イドリース殿下の間延びした声にハッとして、精霊の姿を捜しました。
「あっ、ごめんなさい。ちょっとボーっとしてしちゃいました。えっと、もう少しだけこのまま真っ直ぐで……」
先導する精霊は、少し先でふわふわと飛び回って私たちの到着を待っているようです。
もしかしてあのあたりが目的地なのでしょうか? でもそれにしては、周囲に特筆すべき建物などは何も見えないけれど。というか岩が並ぶばかりなのに。
精霊は私たちの到着を待って、中くらいの大きさの岩の中に入ってしまいました。
「あの、この岩の中に」
「まじかよ、異教徒の神殿じゃないことを祈るぜ。恨まれたくねぇからな」
見張りと馬の番のため親衛隊の人を二名と聖騎士をひとり岩の前に残し、私たちは精霊を追って岩の中へと入ります。先ほど覗いたのとは違って中はとても狭いです。ただ、奥に何かあるみたい……?
「階段ですね。下に続いています」
中が狭いため一番前に親衛隊の人、二番手にセレスタン様、次が私――という順で進んでいたのですが、先を進むセレスタン様が振り返ってそう告げました。
背後のイドリース殿下が少し悩む様子を見せつつ、岩肌を叩いてから頷きます。
「行こう。内部はかなり古いはずだし脆くなってるかもしれんが……さっきの倉庫から大きく離れているわけでもねぇからな、聖女サマも連れて行ったほうがいい。まぁそう簡単に崩れるモンでもねぇだろうしな」
イドリース殿下の意見に賛成し、地下へと進むことになりました。
暗く狭い階段ではありましたが、親衛隊の魔術師さんが灯りを点してくれたので不便はありません。ただ、少し降りただけでも空気はひんやりしていました。
「かなり涼しいですね」
「ジゼル様、寒くはないですか。良かったら俺の上着を」
「いえっ、大丈夫です。ありがとう」
地下だというのに風の通り道があるらしく、息苦しさなどは感じられません。
少し降りると部屋のような場所に出ましたが、家具に類するものは何もありません。天井までの高さもあまり高くなく、一番大きなイドリース殿下はすっかり背を丸めています。セレスタン様も――あ、頭ぶつけた。
「イテテ……天井の高さが一定じゃないですね」
「仕切りっつーか、ドアかなんかあったのかもな。ここだけ低くなってる」
「こっちの壁はかまどみたいに見えますね」
「キッチンかよ。てかこんな地下で火を使うのか? 通気口どこだよ……」
軽口を叩きながら室内を探索すると、すぐに別の階段を発見。見ての通りここに水はありませんので、さらに降りて行きます。
「きゃっ」
「ククッ……。絶対やると思った。ジゼル様、掴まっていてください」
足を滑らせた私をセレスタン様が見越したように軽々と支え、さらに手を繋いでくれました。久しぶりの人たらしムーブです。さすがセレスタン様だわ……!
私を支えてくれた力強い腕も、しっかり握ってくれる大きな手も、この薄暗くて現実離れした場所ではいつも以上に特別な感じがします。なんだか懐かしささえ感じられて。
階段を降りた先もやはり、家具の無い部屋が広がっているだけでした。ただ上階よりもっと広いようです。
「さてさて、また階段があるような気がするんだが、どこにあるやら……」
「隊長、こちら見てください!」
周囲の探索をしていた親衛隊のひとりが声をあげました。
階段を見つけたのかと全員でそちらに向かうと、そこには石で四角く囲われた大きな穴があったのです。
「これ、井戸だな。使えるかわかんねぇが……」
「滑車も桶もありませんね。滑車が設置されていたらしい痕跡はありますが」
「まさか地下に井戸があるなんて」
これが井戸であると認識を一致させると同時に、その場にいた全員が顔を見合わせました。
親衛隊のおひとりは目を潤ませてこちらを凝視するし、別の親衛隊さんは「聖女だ……」って呟きながら、オバケでも見たみたいな顔で後ずさりするし。私は怖くないですよ。
さらにイドリース殿下も、頭を抱えてその場にうずくまります。
「昔の異教徒がここで生活してたんなら、有り得ないことではねぇよ。それは理解できる。でもよぉ……、他国の! しかもこの神域に来たこともない奴が! 水場を言い当てるとかねぇだろ! いやマジでなんなんだよ、これでどれだけの命が救われるか――」
「これがアルカロマの聖女です」
アルカロマの、という部分を強調しながら、なぜかドヤっと得意げなセレスタン様に、同じく得意顔のブノワさん。あ、ブノワさんいたんですね。
ふらふら立ち上がったイドリース殿下がセレスタン様を軽く睨みます。
「聖女は精霊を信仰する全ての民にとっての聖女であって、アルカロマの専売特許じゃねぇぞ」
「だがアルカロマが常に聖女をお守りしてきましたので」
「よし、じゃあこれからはタルカークが引き継ごうじゃねぇか」
なんでいきなり喧嘩が始まったんですか、このふたりは。
「落ち着いてください! んもー。まだ本当に水があるのかもわからないじゃないですか」
「それもそうだな。確かめてみねぇと。えーっと……」
イドリース殿下はキョロキョロと周囲を見回して小石を拾うと、ポイっと井戸の中へと放り込みました。
それから約2秒ほどでしょうか。コツンと硬い音が聞こえ、「ああ、水なんてなかったのか……」と誰もが顔を俯けかけた、そのとき。
「ギニャーッ」
生き物の鳴き声です。ほぼ同時にバチャバチャと盛大な水音も聞こえてきました。
その場にいた全員が困惑した表情で顔を見合わせます。
「……あったな、水」
「ありましたね、水」
「水以外にも何かあったみたいですけど」
使用可能な水なのか、どれくらいの量があるのか、そういったことはまるでわかりませんが、そこに水があることだけは確かです。
「シャーッ」
井戸からは何かが威嚇するような声。
水を発見できたことに興奮しつつも、謎生物をどうするべきか、イドリース殿下は頭を抱えています。一方セレスタン様は、一度タルカラへ戻ることを提案しました。
「装備や人数を整えてから戻って来るべきです」
「そりゃそうなんだけど、何がいるのかわかってたほうが効率よく準備できるだろ」
どっちの意見も理解できる気がします。
とはいえ私は戦略とか戦術とかはわかりませんので、ここは黙っておきましょう。……と思ったのに。精霊は私の気も知らず、私たちを別の場所へ連れて行こうとしているようでした。
『チョスイチ、シタ』
『シタ、イコウ』
「下に? 行くの?」
『アイツ、コワクナイ』
『ダイジョウブ』
「怖くないの? 本当に?」
どうしたらいいのかしら、とセレスタン様とイドリース殿下を見上げたところ、セレスタン様は怖いお顔で首を横に振り、イドリース殿下は苦笑を浮かべて頭をポリポリかきました。
「聖女サマの言う通りにすっか! な、セレスタン君!」
「言い出したら聞かないのが二人になるとは思いませんでした」
「シャーッ!」
セレスタン様の深い溜め息は、謎生物の鳴き声がかき消してしまったのでした。




