3-17 神域だったとは
セレスタン様は私が体調不良で幻覚でも見ているんだと疑っていたようですが、精霊の話をしてどうにか納得してもらいました。と言っても半信半疑って感じでしたけど。
一夜明けて、私たちは精霊の案内で貯水池を目指すこととなりました。まずは近いほうからですね。
イドリース殿下率いる親衛隊と、セレスタン様および聖騎士二名も一緒です。セレスタン様は相変わらず精霊に好かれていてキラキラ眩しい。
翠色の目を細めたイドリース殿下が、「うーん」と唸るような声をあげてこちらをじっとり見据えます。
「マジで貯水池なんて聞いたことねぇぞ。本当にそんなのあるのかよ」
「た、たぶん……?」
精霊が言うには、馬ならタルカラから片道三時間程度の場所なのだとか。
どこへ連れて行かれるかわからないので、馬車ではなく馬で移動することになりました。悪路では馬車は動けませんからね。と言っても私はひとりで乗れないのでセレスタン様の馬に乗せてもらっています。
昨夜もやっぱりヌーラ様の夢を見たけれど、夫であるエドリス様に対する感情はなんとなく整理できるようになってきました。愛しい気持ちはあるものの、それはあくまでヌーラ様のもの。だからセレスタン様に接するのも苦ではないというか、罪悪感を抱く必要がなくなったというか。
大丈夫。私が好きなのはセレスタン様で間違いないと、自信を持って言えるのです。
「聖女を疑わないでいただきたい」
「その聖女本人が自信なさげだから聞いてんだろ。表情も見えないくらい心酔してんのかよ、アルカロマ人ってのは」
やっぱりこのふたり絶対仲悪い! ていうかセレスタン様だって半信半疑だったくせに!
馬を並べて走りながら喧嘩するのやめてほしいんですけど。こういうときは早々に話題を変えるに限ります。
「あの! えっと、昨日は聞きそびれちゃったんですけど、調査の進捗はどうでしたか」
「んー。ビビアナ妃殿下が神の怒りを買ったとかいうワケのわかんねぇ噂を流した奴は見つけた」
「やっぱり政敵さんが関わってましたか?」
「それなぁ……」
なんとも煮え切らない表情。神殿騎士に催眠の魔術をかけた相手の話をしているときにも、同じお顔をしていたような気がします。噂を流させた人と、催眠によって儀仗杖を壊させた人。それが同一人物なのだとしたら、相当な大物なのかも。
そんな話をする間にも精霊たちはコッチダヨと先導し、私はその方向を手で指し示しました。
「もう少し左の方向みたいです」
「ああ……いや本当にこっちかよ? こっちはなんもねぇぞ。土が悪くて畑にもならねぇし、それに――」
そう言ったきり口を閉じたイドリース殿下。私やセレスタン様も特に何も言わず、無言のまま精霊の導きに従って先を急ぎます。
彼の言うとおり、周囲は枯れた草と大きな岩ばかり。大地から生えているかのような岩々は、アルカロマの城内にある聖女の屋敷より高いものもたくさんあります。威圧感がすごいです。小振りのものでさえ私の背丈よりずっと高い。
昔の文化の名残りでしょうか、それらの岩には模様が彫ってあったり、あるいは彩色が施されたりしています。どれも色あせていて風化の途中のようですけど。
不意にイドリース殿下が馬を止め、前方を指差しました。
「待て、なんだあれ?」
尖った岩が連なる中で、見るからに人工の真四角な建物があります。石を積んで作ったのか、色が景色によく馴染んでいるせいで遠目にはわかりづらいです。
「倉庫でしょうか?」
「俺にも倉庫のように見えます。かなり新しいもののようですね」
「いやいやいや、まさか。ここらの岩窟群は見ての通り規模は小せぇが、異教徒の神域であり住居なんだわ。精霊信仰が始まる前のだからずいぶん古いけどな。下手なことすると人心が離れるってんで、手をつけねぇことになってる」
なるほど、神域ですか。
言われて周囲をよく見れば、そびえ立つ岩々には窓のような小さな穴や、人が出入りできそうなほど大きな穴が開いていました。住居ってことはもしかして中は空洞なのかしら。
それはさておき。四角い倉庫のような建物が何であるのか、イドリース殿下は確認する必要があるそうです。親衛隊の職域じゃねぇけど、なんてぼやきながら、彼は部下をふたり連れて静かに建物へと近づいていきました。
お留守番の私たちは馬を降りて岩の陰で休みつつ、彼らの帰りを待つことに。
セレスタン様から革の水袋を受け取り、喉を潤しました。なんだか生き返った気分。
「あの建物は一体なんなんでしょう。倉庫にしたってこの辺は何もなさそうなのに」
「人の寄り付かない場所にひっそり建てるんですから、ろくなことに使ってないのは明らかですよ」
「確かに……。盗品とか武器とか? なんにせよ、よくないものを隠しているのかも」
親衛隊の帰りを待つ時間は少々手持ち無沙汰で、ついキョロキョロしてしまいます。
岩の彩色にも、もしかして宗教的な意味合いがあるのでしょうか。近くに人の気配はまるで感じられないし、イドリース殿下の言う「異教徒」は、きっともうここにはいないのでしょう。
ほんのちょっと前にはリトンから出ることなく一生を終えると思っていたのに、まさか異国の古い神域を歩き回ることになるだなんて。
風が吹けば砂が舞い、岩に開いた穴からはヒョーと音がします。
あの岩の中はどうなっているのでしょうか。もう二度と来られないかもしれないし、ちょっとだけ覗いてみよう……。
チラッと中を見たらすぐに戻るつもりで、近くの岩へ。入り口と思しき大きな穴から覗いてみれば、中は思った以上に広々としていました。高いところにある小さな穴のおかげで奥まで光が届いています。小さいと言っても両手を広げたくらいの大きさはあるし、窓代わりでしょうか?
「すごい。礼拝堂か何かだったのかしら。壁画があって、広くて」
「本当だ。奥に階段のようなものもありますね。それにあの彫刻……」
独り言のつもりが、セレスタン様も背後から覗き込んでそう言いました。彼の視線を追いかけると、階段の手前には動物をかたどった彫像のようなものが落ちています。
「割れてるけど、あの顔はなんだか猫みたいですね」
「猫ですね。でも体の造形は二足歩行に見える」
「礼拝堂かと思ったけど、猫屋さんだったのかも」
「なんですか、猫屋って」
昔の人も猫を可愛がっていたのでしょうか? 私たちは顔を見合わせて首を傾げます。やっぱり時代も違うし、異教の文化を理解するのは難しいみたいですね。
そこへ馬の足音が聞こえてきて、親衛隊が戻ったことがわかりました。
「悪ぃ、待たせたな」
「おかえりなさい。倉庫には何が?」
岩から離れてイドリース殿下を迎えます。
「例の薬があった。催眠の魔術に使う薬が、ルゥデアの紋章が入った箱に。ぎっしりだ」
「ルゥデア……」
「敵はルゥデアと通じているということですね」
タルカークの南方にある、現在最も警戒すべき国。簡単に言えば敵国というやつです。
ルゥデアという響きに何かが引っ掛かるのですが、思い出せません。もう頭の後ろらへんまで思い出しかけてるのに!
「とりあえず部下を置いて見張らせる。荷物を取りに来る奴がいれば捕まえて、雇い主を吐かせないといけねぇからな。ただまぁ、トカゲのしっぽ切りになるだけだろうけどよ」
「それでも、地道に追い詰めるしかありませんね」
セレスタン様とイドリース殿下の会話が頭に入って来ない。
なんだったかしら、と空を仰いだ私の真上を大きな鷲が気持ちよさそうに飛んでいきます。羽を広げた姿は最近どこかで見たような――。




