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3-12 熱狂はときに嵐のようで


 家の外で聖騎士さんたちが人々を押しとどめている気配がします。

 セレスタン様が難しいお顔で腕を組みました。


「このままでは収拾がつかなくなります。ソニア嬢も一緒に、一度神殿に戻ったほうがいい」

「でもまだ――」


 子どもが嫌々をするようにソニアが首を横に振ります。

 身体もまだ拭き終えていないし、気持ちはわかるけど……セレスタン様の言いたいことだって十分に理解できるというか。


 そこへ、先ほど水を持って来てくれた威勢のいい女性がスルッと入って来ました。


「なんか手伝おうか。外が大変なことになってるからね、子どもたちは隣の家に預かってもらったよ」

「サラマおばさんありがとう、助かるよ!」


 ソニアがパっと顔をほころばせ、手拭いを差し出しました。


「じゃ、じゃあセレスタン様も手伝ってくれませんか。せめて二人の身体を拭いてから戻りましょう。ソニアもそれでいいよね?」

「うん……ありがとう、お姉ちゃん」


 水はぬるいけれど身体を拭くには冷たい。とはいえ温めている時間もないし、ごめんなさいと謝りながらご夫婦の身体を拭いていきます。


「もうみんな限界なんだよねぇ。この水不足が新しいお妃さまのせいだなんて言うバカもいるけどさ、誰かのせいにしたい気持ちはわかるよ」


 水に浸した手拭いをしぼりながら、サラマおばさんと呼ばれた女性がため息交じりにこぼしました。


「なぜビビアナ殿下が悪く言われるのかしら。神の怒りに触れたんだって言ってる人もいたわ」

「さぁねぇ。あたしゃ難しいことはわからないけどね、タルカークが統治してる小国の姫さんをもらったほうがいいって意見が優勢だったらしいよ。でも王子様が反対を押し切ったもんだから、神様も怒ったんだろって話さ」


 政治の話なんかしないに限るよねぇ、と言ったきりサラマさんは口を噤んでしまったので、それ以上のことはわかりません。


 私たちが黙々と作業する間、外では聖女を求める声が次第に増していきました。聖騎士の急かす声も聞こえ、時間があまり残されていないのは明白です。


「少しだけ力を貸して……」


 ソニアやセレスタン様に聞こえないよう口の中でそっと呟き、体内のマナを循環させました。私の言葉に呼応するように、精霊たちがご夫婦の周囲をひらひら舞います。治癒魔法、というやつですね。


 グテーナでセレスタン様の怪我を治した際にはマナの枯渇で二晩寝込んでしまったし、治癒の能力が周囲に知られたら大騒ぎになるとの判断から、王様とバルバラ様から治癒魔法の使用を禁じられており……。


 だから治癒魔法を使うとセレスタン様に怒られるので、今回はちょっとだけです。ご夫婦の病状をほんの少しだけ改善したら、あとは二人の体力に期待しましょう。

 少しだけと言っても、さすがに二人分ともなるとマナの消費が甚大なのですけど。何度か深呼吸を繰り返して呼吸を整えます。


 と、そのとき。なんと地面が揺れ始めたのです。地響きというほうが近いでしょうか。壁に据え付けられた棚もカタカタと小刻みに揺れています。


「きゃぁっ!」

「な、なに?」

「なんだい、今のは?」


 仕舞い方が良くなかったのか棚から鍋がひとつ落ちましたが、セレスタン様が守ってくれたので大丈夫。

 たくさんの人が足踏みでもしているのでしょうか、地面から薄らと感じる振動は止むことなく、聖女を呼ぶ声がひと際大きくなっています。それに玄関扉もギシギシと軋んでいるみたい。


「セレスタン様、ドアが」

「副総長! もう無理です!」


 私の言葉を遮るように外から聖騎士の叫びが。

 外の様子はよくわからないけれど、聖騎士二名では押し返せないくらい人が集まっているのでしょうか?


「チッ、出るのが遅かったか。ジゼル様、ソニア嬢、もう行きましょう。強行突破します」

「え、強行突破って――」

「大衆が生み出す熱狂は人を殺しますから」


 確かに、外から聞こえる人々の声の中には、「聖女を連れて来い」とか「聖女を引きずり出せ」といった乱暴なものも混じっているようです。ソニアが横に来て私の手を握りました。

 扉の向こうの聖騎士へ指示を出すためか、セレスタン様は私やソニアに動かないよう言ってから扉のほうへと向かいます。

 しかし。


「あ……れ?」


 ひときわ大きな歓声が上がったかと思うと、それがピタリと止んだのです。歓声も、怒号も。

 セレスタン様が様子を窺おうと扉に手を伸ばすのと、その扉が大きく開かれるのは同時でした。


 そこには黒いローブを羽織った男性が立っていたのです。長い黒髪と冷たい印象を与える赤い瞳に見覚えが。

 サラマおばさんはその場に膝をついて床に頭をこすりつけます。


「ナウファル殿下……」

「おや、貴女は迷子を救ってくれたアルカロマの旅人ですね。まさかまたお会いすることになるとは」


 セレスタン様が困惑したお顔でこちらを振り返りました。


「お知り合いですか」

「ええと、イスメルで助けてもらいました。王弟ナウファル殿下、です」

「ええ。覚えていてくださって光栄です。近くへ来たら聖女がいらっしゃるとの声が聞こえましたものですから、ぜひお目にかかりたいと思ったのですが……もしかして貴女が? それとも?」


 彼の視線が私とソニアの間を往復します。


「お、お姉ちゃんが聖女です!」


 ソニアがそう言って私を指し、セレスタン様が私のそばへといらっしゃいました。なんだか警戒している様子です。


 ナウファル殿下は左腕をあげ、纏ったローブの袖で顔を隠すようにしながら深く頭を下げました。これはこの国における男性の礼のようです。


「聖女ジゼル様。そのお名前ははるか遠くこのタルカークにも届いております。雨を呼び国を守ったと」

「や、あの、その、お顔をあげてください!」


 優雅な動きで身体を起こしたナウファル殿下は、そのまま流れるように腕で扉の外を指し示しました。

 見れば先ほどまでの熱狂が嘘みたいに、家の前に集まっていたはずの人々はお行儀よくしています。ニコニコと笑顔でナウファル殿下を見つめるだけ。


 聖騎士は戸惑った表情で顔を見合わせていて、ナウファル殿下の護衛と思しき兵士が集まった観衆を順番に帰らせているようでした。

 一瞬前の状況を思えばまるで魔法を使ったかのような静けさだわ。


「大衆の扇動には細心の注意を払ったほうがよろしいかと」

「扇動だなんて……!」

「救いを求める者は、見て見ぬふりをする者より手を差し伸べた者へこそ憎悪を向けます。中途半端にかかわるくらいなら、何もせぬほうが御身を守ることとなりましょう」


 それは私自身、覚えがあります。

 聖女と認められる前にも、そして今も、大聖堂で炊き出しの手伝いをしたり、あるいは孤児院や病院を視察したりするのですが……。彼らは救いを求めながらも、他者に情けをかけられることに酷く怒りを感じるようなのです。


 一飯では足りないと暴れたり、逆にこんなものいらんと施しを捨てたりすることもしばしば。

 バルバラ様はそれを、「自分の境遇への不安や不満をぶつけているのでしょうね」と言ってたっけ。


 家の前にいた人々はすっかり整理され、皆それぞれの生活へと戻っていくようです。セレスタン様が周囲にさっと視線を走らせ、私の手を引いて外へ連れ出してくれました。ソニアも後ろに続きます。


「ナウファル殿下、申し遅れましたが私は聖女の護衛を務めますセレスタン・ド・タンヴィエ。民の熱狂を鎮めてくださったものと推察いたします。心より感謝を」

「おや、タンヴィエと言えばアルカロマの大公爵家の名ですね。ご丁寧な挨拶、痛み入ります。あれだけの熱狂はいらぬ事故を起こしかねません。民を守るためでもありますから、礼は結構ですよ」

「……殿下もこちらには視察か何かで?」

「ええ。タルカラには結婚の儀へ出席するために。久しぶりの訪問ということもあり、街の様子を見ようとしてそばを通りかかったというわけです」


 そこで私も一歩前へ出て、右足を後ろへ引いて腰を落とし、淑女の礼(カーテシー)をとりました。不安や混乱が落ち着いて、ちゃんとお礼を言ってないことを思い出したので。


「殿下のおかげで助かりました。私からもお礼を言わせてください」

「恐れ多いことです」


 それだけ言うと、ナウファル殿下は挨拶がわりに頷いて馬へ乗り、護衛の兵士とともに立ち去りました。

 私たちも病の夫婦を一旦サラマさんにお願いして、神殿へ戻ることにします。

 道中、家の外で民衆を抑えてくれていた聖騎士さんたちが、先ほどの様子を報告してくれました。


「あの人来たとき凄かったですよ。一瞬『わー!』って大騒ぎになったのに、あの人が『静かに』って言っただけでシーンとしちゃって」

「これがカリスマってやつかーって驚いたよな」


 どうやら実際にその場を見ていた彼らにとっても、何が起きたのかはよくわからないみたいですね。

 でもよく考えたら、ナウファル殿下に初めてお会いしたとき……つまり迷子を助けたときがまさにそのような状況だったと思います。


「私もイスメルでそれ見ました。全く同じです」

「ジゼル様も? あれ凄いですよね」

「アタシあの人あんまり好きじゃないなー。目があんまり笑ってないんだもん。あとこっち全然見ないし」

「親切な方だと思うけど?」


 プスっと頬を膨らませるソニアをなだめながら、神殿へと戻ったのでした。




お読みいただきありがとうございます!

今回はいつもより長くなってしまいました…えへへ

次の更新は10/14火曜日の予定です☆

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