3-11 街の様子は、あまり……
セレスタン様の周囲に集まる精霊様はどれもヒトの形はしていない、単なる発光体です。彼は警備を兼ねて神殿を一周して来たって言ってるし、本当に精霊ホイホイしただけかもしれない……。
私がちょっぴり眩しく感じること以外に害はないので、そのままにしておきます。
精霊様たちもなんだか嬉しそうだし。彼のそばが居心地いいのもわかるし。
「今日のご予定がなくなってしまいましたので、タルカラの街を散策してはどうかと思ったのですが。もちろん警護は万全な状態で」
本来なら今日は早速、私が神官になるための一歩を踏み出すはずだったのですが、祭具が壊れてしまったため延期です。
そう、聖女であってもこの国の神官として認められるには、儀式を執り行う必要があるんですね。
どうやって過ごそうかなと思っていたので、大変ありがたい提案。セレスタン様のほかに聖騎士さんがふたり同行するため、デートというわけにはいきませんけど。今はそのほうが気楽なので一層ありがたいです。
「ぜひお出掛けしたいです!」
両手を握りこんで勢いよく返事をすればセレスタン様もククッと笑って頷き、そういうことになりました。
タルカラの街は首都イスメルと同じかそれ以上に活気に溢れています。
カラフルなカーペットが並んでいたり、見たことのない野菜があったり。青や水色のタイルが美しいカフェの軒先には、三毛猫がビヨンと伸びて寝ています。
ただ少し気になるのは、苛立った人が多いということでしょうか。
「予想以上に物価が高いですね」
「そうなんですか?」
「たとえばあのイチジクは、去年アルカロマで見かけたものの倍近い値段だ。この国で栽培しているにもかかわらず、です」
セレスタン様はレモンやオレンジを栽培する土地をお持ちだからか、フルーツの価格には敏感みたいですね。私はテーブルにフルーツが載ることさえ滅多にない人生でしたから、王都の街を歩いていても気にしたことがありませんでした。
そうやって気にしてみると、確かにそこかしこで客と店主が値段交渉をしているみたい。
「昨日は神殿のガチョウが死んだってよ」
「それもビビアナなんて女狐を正妃にしようなんてするから神の怒りに触れたんだ」
「水は足りねぇ、物価は高ぇ、神官もガチョウも死んだ」
「早くアルカロマに突っ返せばいいのによ」
どこかから聞こえてきた会話も酷いものです。
どれもビビアナ殿下のせいなわけないのに。異物を認められないのは、アルカロマの社交界もタルカークも同じみたいですね。
溜め息をついた私に、セレスタン様は小さく首を横に振りました。あまり気にするなということでしょうか。
その場を離れようと足早に進んでいくと、前方に人だかりを見つけました。それに、微かに赤ん坊の泣き声も聞こえます。
なんとなく嫌な予感がして、私とセレスタン様は人だかりのほうへと歩を進めました。
「ママぁー! ママ、ママ、死んじゃやだぁ……!」
赤ん坊の泣き声の合間に子どもの悲痛な叫び声も混じります。
「失礼、通してくれ」
セレスタン様が人だかりをかき分け、中心へ。私は彼に手を引かれながらその後をついて行きました。
最初に目に入ったのは地べたに座り込んだ五歳くらいの女の子で、彼女の腕の中には首も座っていなさそうな赤ん坊がいます。
小さな家の前で、玄関扉は開け放たれていました。
「あら。あなた、イスメルで見かけた迷子の……」
私が彼女の脇に膝をついてそう声をかけると、彼女は涙をいっぱいに溜めた瞳で一瞬だけ私を見、そして再び泣き始めます。
「ママが! ママが!」
「ママがどうしたの、中にいるの?」
少女はウワーと泣きながらもパっと赤ん坊から片手を離して目の前の家を指しました。赤ちゃんが彼女の腕の中から落ちかけて慌てて支えました。間一髪!
「ここは父親が元々病気だったんだ。嫁さんがイスメルまで医者を捜しに行ったけど断られたって言ってたな」
「そんで嫁さんまで倒れちまったそうだよ」
人々が口々に説明してくれたので状況は大体わかりました。ただ、子どもたちが外にいるのが気になります。家の中は一体どうなってるの……?
恐る恐る建物の中を覗き込もうとしたとき、威勢のいい女性が人混みをかき分けてやって来ました。
「ほらどいたどいた! 水持って来たよ、あと乳が出る子もね!」
ふくよかな女性の片手には洗面器ほどの大きさの盥があり、彼女の後ろには別の若い女性が。
さらに建物の中から金髪の女性も顔を出します。
「待ってたよ、ありがとー! 赤ちゃんにご飯あげてほしい、あとお水はこっちにちょうだい!」
「ソニアっ?」
「え、あ! お姉ちゃん! ちょうどよかった、手伝って。もう大変なの、水はないし部屋は汚いし、ふたりともかなり衰弱してて――」
ソニアが私の腕を強くひいて建物の中へと引き入れます。セレスタン様もそれに続きました。
最初に意識が向いたのはその臭いです。清潔を保てないまま長い時間がたっているのでしょうか、饐えた臭いが家中に広がっていました。
部屋の奥には男女が横になっていますが、ソニアの言うとおり状態はかなり悪そうで。
「スープ分けてもらって無理にでも食べさせてさ、身体を拭いてあげようと思ったんだけど水がなくて。部屋の掃除する間、子どもたちには外に出てもらってたんだけど、ずっと泣きっぱなしだし」
一息でそうまくし立てたソニアは、女性から受け取った水に手拭いを浸して母親と思われる女性の身体を拭き始めます。
いつも綺麗な彼女の手が、酷使したのか今日は真っ赤になっていて。けれど女性に触れる手はどこまでも優しく慈愛に満ちて見えました。
「水がないって」
「アタシもさっきまで知らなかったんだけど、今タルカークは歴史的な水不足なんだって。雨季にほとんど雨が降らなかったみたい」
手を止めてソニアがこちらをゆっくり振り返ります。
その目には涙が溢れていました。
「ソニア……」
「このままじゃあの子たち、パパもママもいなくなっちゃう。ねぇ、なんとかしてよお姉ちゃん! 聖女なんでしょ! お願いだよ……っ!」
ソニアは泣き虫だけど、困難にぶつかったときには自分でなんとかしようと立ち向かえる子です。もちろん率先して彼女に手を差し伸べる人がたくさんいる、というのもあるでしょうけれど。
そんな勝気な妹が、涙ながらに私に……いえ、聖女に助けを求めるだなんて。
一方、建物の入り口から様子を窺っていた人々が、聖女という言葉でざわつき始めたようでした。
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