3-10 見知った顔はホッとします
なぜここにいるのかという問いに、ベアトリスさんは薄らと微笑んで「ビビアナ妃殿下のご指示で」と答えました。セレスタン様はそれで納得したようです。
「日ごろはイスメルでビビアナ妃殿下の身の回りのお世話を。一昨日タルカラへ到着し、ジゼル様のお迎えの準備をしておりました」
そう話す彼女の案内で客室へ向かい、安全を確認するとセレスタン様は部屋を出て行きました。
広い窓からは草原が一望でき、成人男性が優に三人は転がれそうなほど大きなベッドに、重厚な書き物机。ローテーブルには猫足のカウチソファーが並び、床にはふかふかのカーペットだけでなくクッションもたくさん置かれています。
床にクッションというのは、地べたに腰を降ろして過ごすタルカークの文化に由来するのでしょう。
「先ほどはお邪魔してしまいましたか?」
「邪魔なんて! むしろ助かったというか」
「やっぱり。何か困ってらっしゃると思ってお声を」
ソファーを指し示して私を座らせ、そのまま彼女はお茶を用意し始めました。
仕草や視線の動かし方ひとつとっても敬意みたいなものが感じられます。アルカロマの「聖女の農地」で過ごしていた頃とは様子がまるで違って、別人を見ているみたい。何か下心があるのでしょうか、それとも敬愛するビビアナ殿下の命令だからそれに従っている?
そもそも、追放されてから今日まで一体どのように過ごしてきたのかしら。
「ビビアナ妃殿下に拾っていただきました」
私の心を読んだみたいにベアトリスさんが呟き、私の返答も待たず続けます。
「というより国外追放との裁定がくだされるとすぐ、身を寄せる場所を手配くださって……。平民でありながら、妃殿下の従者として使っていただいています」
「そうでしたか」
「妃殿下が正妃となられた暁にはアタシの家族も呼んでくださると」
ビビアナ殿下の侍女になることを夢見ていた彼女にとっては、良い結果と言えるでしょうか。
しばらくして目の前に置かれたカップには銀製のスプーンが添えられていました。特に意図はないのでしょうけど、どうしても毒殺未遂事件を思い出してしまいます。
「これ……私、疑ってないですよ? ビビアナ殿下は信頼してベアトリスさんを付けてくれたんだと思うので」
「その節は大変申し訳ございませんでした。命をもって償うべきところを――」
ベアトリスさんが突然その場に跪きました。今にも頭を床にこすりつけようとするのを慌てて止め、身体を起こしてもらいます。
元々細い人だったけど、腕や肩に触れてみればさらに華奢になったようです。苦労されたのでしょう。
「や、や、命とかそういうのほんと、やめてください。謝罪は受け入れますから!」
「ありがとうございます……。ですが、ジゼル様はまず疑うべきです。特に今のジゼル様は常にお命を狙われてると考えたほうがいいので」
「確かに」
さっきのセレスタン様やイドリース殿下、それにハラーク公爵の様子を見れば、私が油断するのはよくないというか、一生懸命守ろうとしてくれる彼らに対して不誠実な気がします。
ベアトリスさんの言葉に納得して、一度だけカップの中でスプーンをくるりと回しました。
「でもさっきのシラー伯爵には驚きました。あんなに余裕のないお顔をするなんて」
「余裕?」
「お友達から聞いた話によると彼、あらゆる縁談を断ってらっしゃるとか。それでジゼル様に嫌われてしまったら困ってしまうでしょうね」
「んん? セレスタン様に縁談が?」
確かにセレスタン様とそんな話はしたことないけれど。
でもそう言えば以前にもベアトリスさんはセレスタン様のこと、次期公爵で副総長で強くてかっこいいから誰も放っておかないって言ってたっけ。そりゃ、縁談くらいきますよね。
「あっ、ご存じなかったですか? 恋人としては気が気じゃないでしょうけど――って話聞いてないですねコレ」
「ななななななぜ断ってらっしゃるのかしら」
「だからジゼル様が――。え、もしかして恋人じゃないんですか? ずっと一緒にいるのに関係変わらず? あの優男はチキン野郎でしたか?」
「なんの話ですか」
「……いえ、なんでも。きっとシラー伯には心に決めた方がいらっしゃるのでしょう。でもアルカロマの社交界では未だに、古い考えのご老人たちが公爵夫人には相応の家の娘をって譲らないみたいですから」
相応の家の娘、という言葉に私はなにも返事ができません。
聖女だともてはやされて、自分が平民の出であることを忘れかけていました。以前はちゃんと、身分が違うんだからわきまえないといけないって思っていたはずなのに。
ウーンと唸る私を置いて、ベアトリスさんは「チキン野郎かポンコツ娘か、それとも両方か……」と暗号みたいな言葉を呟きながら部屋を出て行きました。
今のところ害意は感じませんし、お茶は相変わらず美味しいし。以前よりずっと侍女っぽくなってますね。
運ばれた夕食をいただいて就寝の準備をして、広々とした寝台に横になって。
二日続けて例の男性を夢に見ているから、寝るのが少しだけ怖いです。と同時に、今夜も夢の中で彼に会えるかしらと心が弾んでしまうのもまた事実。
――エヴレン……っ!
――これは結婚の儀で使うやつだろ。
――明確な脅迫です。
――公爵夫人には相応の家の娘を。
目を閉じるなり次から次へと今日の出来事が思い出されました。驚くほど色々なことがあって、考えないといけないことばかりです。
にもかかわらず、欠伸をひとつしたところで私は気を失うように眠りについたのでした。
それからまた早朝。とっても楽しい夢を見た私は、ひとりで身だしなみを整えると、すぐに部屋を出ます。
昨夜の護衛はブノワさんではなかったみたいですが、彼もまた「散歩に行くのなら」とついて来てくれました。
本殿の裏の出入り口を出て、東側に真っ直ぐ進むとそこには……。
「ああ、大きくなって」
「へ? 大きく? あ、はい。立派な聖樹ですね。というか、よくこの場所がわかりましたね」
キラキラ輝く聖樹がありました。
アルカロマの大聖樹とは比べものにならないくらい小さいけれど、それでも一般的な木よりは大きい。それにやはり精霊が集まって虹のように輝いています。
昨夜は愛する人とともに、ここに「ドングリ」を埋める夢を見ました。旅の記念ね、なんて言いながら。すごく幸せな夢だった……。
「そっか、あれは最初の聖人様が見せる夢なんだ」
大精霊から預かったドングリをここに埋めたのは最初の聖人です。夫婦で旅をしていた方。もしかしたら、彼女の強い思いがこの地に残っているのかもしれません。
そう思ったらほんの少しだけ気が楽になります。私が抱えている誰かへの愛情は、聖人様が見せた夢のせいなんですから。つまりご主人への愛にほかならないし、私は夢を通してそれを追体験しているだけ。
ホッとしつつ、いつものように聖樹へと祈りを捧げました。日課をこなすとすっきりしますね!
「ジゼル様、今朝も早いですね」
セレスタン様の声に振り向いてみると。
なんと彼の周りにはそれはもうたくさんの精霊様がまとわりついていました。精霊ホイホイだわ……?
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