3-6 猪突猛進と言われましても
シンとした部屋の中で最初に重い口を開いたのはイドリース殿下でした。
「さっき言ったろ。誰もが正妃の座を狙ってるって」
「人を殺してでも……」
王宮までの道中で聞いた言葉を繰り返したとき、セレスタン様が静かに深く息を吸って小さく一歩踏み出したのです。
「一応進言しますが、護衛としては反対です。みすみすジゼル様を危険に晒すことになる」
「危険? 私がですか?」
「神官を亡き者にして儀式を延期させ、時間を稼いでいるんでしょう。その間にビビアナ殿下を失脚させるつもりで」
「おお……なるほど」
「ならば同様にジゼル様を狙う可能性がある」
私はそんなことには全く思い至りませんでした。セレスタン様ってやっぱりすごく頭がいい!
ビビアナ殿下がそっと扇で口元を隠し、王太子殿下は真剣なお顔で頷いてセレスタン様の言葉を肯定しました。
「警備は万全にします。イドリースの隊が総力を挙げてお守りする」
「俺たち親衛隊はそこらの兵隊とは鍛え方が違う。なんせ王や王太子の盾だからな」
「次の神官候補は選定を始めていますし、断っていただいても構いません。ただ、聖女に対応いただいたほうが早いタイミングで結婚の儀に進むことができるのです。さすれば自ずと、相手方の計画を崩すことにもなりましょう」
私も聖女として外国の偉い人とお会いする機会があり、他国の状況や外交について少しずつお勉強をしているのですが……タルカークは南北を非友好国に挟まれていて輸入品の多くを海上輸送に頼っています。
で、この結婚によってアルカロマが海上の安全を保障するようになると。
もちろんアルカロマにも希少鉱物を多く輸入できるようになるなどの利点がありますけど、この友好関係の恩恵はタルカークのほうがより大きいと聞きました。
普通に考えて、南北と敵対しているのに東側のアルカロマとも関係がこじれたら大変ですし。王太子殿下が必死になるのは理解できます。
「逆に言うと、私がそのお役目を引き受けなかったら敵の思う壺ってことですよね?」
「ジゼル様、いいですか。これはタルカークが解決すべき問題です。ここでもしあなたが関わって命を落とそうものなら、大陸中が大混乱に陥ります!」
「なるほど……」
セレスタン様が珍しく大きな声を出しました。と言っても怒鳴るとかではなくて、感情が昂ったという感じですけど。
そこへビビアナ殿下が扇を畳み、パチンと音を響かせます。なんだかちょっと微笑んでいる気がしたけれど、すぐに真剣な表情になって真っ直ぐこちらを見つめました。
「シラー伯爵のおっしゃる通りですわ。これはタルカークが解決すべきことです。それにジゼル様の御身に何かあれば取り返しのつかない大問題に発展します。……ですが、この結婚の儀はなんとしても成功させねばならないの。タルカークの未来は大陸の未来につながるはず。ですからどうか、お願いします」
セレスタン様の言葉も、ビビアナ殿下の言葉もどちらも正しいような気がします。
どうしたものかと迷いながらセレスタン様を見れば、難しいお顔で首を横に振りました。
「引き受ける必要はない」
「わかりました」
ホッと胸をなでおろすセレスタン様からビビアナ殿下へと視線を移すと、彼女は表情を変えないままこちらを見据えていました。
その澄んだ青い瞳も真っ直ぐに伸びた背筋も、アルカロマで謝罪を受けた日の彼女の姿と重なります。いつだって真剣に国や民のことを考えている人で、だから私はビビアナ殿下の力になりたいと思うのです。
「それでは、謹んでお引き受けいたします」
「……は?」
セレスタン様がこちらを思い切り振り返った気配がしました。圧がすごい。恐ろしくてそっち側がまったく見られません。なんかごめんなさい……。
「だ、誰かの命を奪ってまで思い通りにしようとする人が相手なら、絶対邪魔をしてやるべきだと思います。そんな人が国を動かせば、困るのは民ですから」
「ありがとう。貴女の勇気に心から感謝を。それからシラー伯爵もありがとう。聖騎士の権限を用いれば、ジゼル様を連れてすぐに退出することも可能だったのにそうはしないでくださったのね」
先ほどの安堵の息とはまるで違う、とてつもなく深い溜め息をつくセレスタン様。怖いですってば……。
「無理に止めれば逆効果ですから。この方はこう見えて猪突猛進でして、一度決めたら止まらないんですよ……」
「シラー伯爵のそんな顔が見られるとは思わなかったわ」
脱力したように肩を落とすセレスタン様と、クスクス笑うビビアナ殿下。私の話をしているような気がするけどよくわかりません。
そんなこんなで私たちは、ビビアナ殿下の結婚の儀を成功させるため動くこととなりました。
まずは神官となるための儀式があるそうなのですが、神殿があるのは首都イスメルではなく、タルカークにとっての聖地タルカラだそう。今夜は王宮で一泊し、明日タルカラに向けて出発です。
その夜のこと。私は月の下で見知らぬ男性と話をしていました。
旅の疲れも手伝ってすぐに寝入ってしまった私は、これが夢だと理解していながら目覚めるには至らないまま、誰とも知らない男性の胸に飛び込んだのです。
「やっぱり一緒に行くべきじゃないか? それか、俺もここに残って」
「ダメよ。子供たちを守ってくれなきゃ。家族での旅はあなたの負担が大きいし、タルカラを見捨てることもできないもの。これが最善の選択、でしょう?」
「負担なわけがあるか!」
「お願い、やっと決断したのに迷わせないで」
「……愛してるよ。必ずまた君を見つけるから。必ず」
相手のお顔はまるで逆光であるかのように確認できません。強く抱きしめられて、私もまた力の限り抱き締め返します。
夢の中で私は彼を心底愛していた。彼との永遠の別れを前に身も心も引き裂かれるような思いで、息ができないほど胸が苦しくて。
ハッと気づいたときには、客室のベッドの上でした。頬は涙に濡れています。見知らぬ誰かとの別れが辛くて、胸を抉るような痛みだけが残ってる。
「夢、なのに」
窓の外はまだ薄暗いけれど朝が来たことはなんとなくわかります。
すっかり目が覚めてしまったので、身支度を整えると散歩に出ることにしました。夜の番をしていたのはブノワさんで、お散歩にも付き合ってくれるそう。
「庭だけにしてくださいね。俺、もう副総長にどやされたくないんで!」
王宮の庭に出てすぐ、ブノワさんがそう言いました。
そういえば謁見室からエントランスホールへ戻った際に、聖騎士の皆さんがずらっと並んで跪いているのを見たときは驚きましたが……。
私が警らの人に捕縛された件について、セレスタン様がとっても冷たい声で経緯を報告させるのが本当に恐ろしくて!
「その節は私が声を掛けずに離れたばっかりに……」
「や、それはちゃんと見てなかった俺らが悪いんでいいんスけど! めちゃめちゃしごかれましたからね……死ぬかと思った。副総長、綺麗な顔してマジで悪魔」
「誰が悪魔だって?」
「ギャァッ」
私たちの背後にぬっと現れたのはセレスタン様でした。
ブノワさんの大声に驚いた鳥たちが一斉に飛び立って、セレスタン様のお顔に影を作ったのがなんとなく夢の彼と重なります。
懐かしさと愛おしさが沸き上がって胸を締め付けました。




