3-5 お元気そうでよかったけれど
馬車の中ではイドリース殿下がタルカークの直面する問題について簡単に説明してくれました。
「タルカークってのはいくつもの小国を束ねる、まぁ帝国なんだよな。わざわざそう自称はしてねぇけど。で、いろんな文化を取り込んで独自に発達してるわけだ」
「こちらの国では『神殿』があるとか」
「そ。アルカロマ人は精霊と神を同一視してるだろ。こっちは多神教国家も併合してっから、精霊は神の使いってことになった。そのほうがお互いに受け入れやすかったんだろうな」
一から十までそんな調子なんだ、と肩をすくめるイドリース殿下。
確かに先ほどもいろんな言語が飛び交ってましたからね。
「で、それは王族の結婚制度も例外じゃない。アンタたちには馴染みがないだろうが、タルカークの王族はハーレムを持つのが伝統だ。正妃がひとり、側妃が三人。他にも妾は数知れずってな」
「ビビアナ殿下は――」
「正妃になる。つーか、そもそも兄上はハーレム制度をぶち壊すつもりだし、後宮にいらっしゃるのはビビアナ妃殿下だけ。……が、反対する連中は多いんだよ。それこそ、人を殺してでもな」
彼の声や表情には、ハーレム制度に対して否定的な色が滲んでいました。そう言えばイドリース殿下って側妃の子でしたっけ。何か思うところでもあるのかしら、とそっと彼の表情を窺ってみます。
髪は黒くお肌も褐色で、ぱっと見は典型的なタルカーク人ですが、瞳は翠色。私の目もそうですが、翠は少し珍しくて北方の民族の特徴だと聞いたことがあります。瞳の色が同じだからでしょうか、なんだか親近感を感じたり。
帽子は被らず、シャツも胸部をはだけている様子から、規律を守ろうという意思はあまりなさそう。そんなところはセレスタン様と真逆ですね。
褐色肌で筋肉がぷりぷりした胸元は少し刺激が強いようなそんなことないような。
「なんだよ聖女サマ。随分と情熱的な視線くれるじゃないの、アーッハッハ。いいぜ、俺の後宮にはまだ誰もいねぇし大歓迎だ」
「や、違っ」
「礼を尽くしてくれと言ったばかりですが」
私が何か言うより先にセレスタン様が注意してくれました。ありがとうございます。でもなんだか空気が凍えるように冷たいです。タルカーク、暑いはずなのに寒い。
そんなこんなで王宮へ到着して馬車を降りると、私とセレスタン様はイドリース殿下の案内で謁見室へと向かうことに。ブノワさんたちはお留守番です。
途中、すれ違った貴族らしき年配の男性が私たちを忌々しそうに睨みつけました。
「本当に人を呼んだのか、あの女は」
聞こえて来た言葉はナイフのように鋭く胸に刺さります。あの女って……。ビビアナ殿下はこんなに居心地の悪い場所にいらっしゃるのかと思ったら、なんだか悔しくて。
「なんなんですか、あれ」
「あれは叔父上の腰巾着だ。父上が病に倒れてから、あんなのが幅を利かせてばっかりでな。いちいち相手にしてらんねぇんだわ」
イドリース殿下にとっての叔父上って、先ほどのナウファル殿下のことでしょうか。いえ、王様には他にもご兄弟がいるはずだし、そうとは限りませんね。
「むぅ。はげろーって祈っておきますね」
「うはは。頼むわ」
ケラケラ笑うイドリース殿下に、セレスタン様が声をひそめて尋ねました。
「陛下のご体調はあまり芳しくないようですね」
「ああ、あれはもう長くねぇな。で、俺らを殺してまで玉座を狙う馬鹿は多くないが、自分の息のかかった女を王太子の正妃に据えたいヤツはごまんといる」
「正妃の子が継承権第一位になるからですか」
「そ。王太后の発言力もかなりでかい。五年後、十年後を考えれば今が正念場ってのは間違いねぇんだよな」
話を聞けば聞くほど、ビビアナ殿下の心労がどれほどかと心配になってしまいます。あの方はとても真面目だから……。
謁見室は人払いがされていて、王太子オルハン殿下とビビアナ殿下の他には側近と思われる人たちしかいませんでした。
ビビアナ殿下は少し疲れた様子ではあるけれど、思ったよりは元気そう。
一方、オルハン殿下は本当にイドリース殿下とご兄弟なのかと疑ってしまうほど、スラっと細身で理知的な印象の方です。
国王陛下が病に倒れた今、このオルハン殿下がタルカークの実質的な指導者となっています。確かに線は細いけれど、そうと頷けるような威厳というかカリスマ性が感じられました。
「ジゼル様、それにシラー伯爵も、お元気そうで安心しました。なにやら親衛隊が失礼を働いたとか。心より謝罪しますわ」
挨拶を済ませるなり、ビビアナ殿下は困ったように眉を下げます。オルハン殿下も苦笑を浮かべて頷きました。
「イドリースは聖女殿に叱られたそうじゃないか」
「それはもう、ド正論でな」
「いえっ。ちょっと場所が悪かっただけで、全員が職務に忠実だっただけですから。謝罪なんてとんでもないです!」
空気が和やかになったところで、ビビアナ殿下とオルハン殿下が居ずまいを正します。ここから本題ということでしょう。私とセレスタン様も軽く背筋を伸ばしました。
まず口を開いたのはビビアナ殿下で、よく通る涼やかな声が謁見室に響きます。
「あなた方をお呼びしたのは、わたしたちの結婚の儀に関してお願いしたいことがあったからよ」
「結婚の儀は近々執り行われると聞いていましたが、何か問題が?」
ここまで静かに控えていたセレスタン様が不意に声をあげました。ふたりは幼馴染みだそうですから、きっと心配なのでしょう。
ビビアナ殿下はどこから話すべきか迷うような様子を見せ、手を顎に当てて首を傾げます。王太子殿下が安心させるように頷いて後を引き取りました。
「結婚の儀は正妃となる者にのみ行われる儀式で、神殿で沐浴を行うなどその作法は細かく定められています。そして、それらの行程を介助し祝福を与えるのは女性の神官でなければならない」
「女性の神官、ですか」
「はい。しかしエヴレン……女性の神官が最近亡くなってしまい、他にいないのです」
「そこでジゼル様にお願いしたいと。アルカロマの聖女がタルカークの神官を務めること自体は教えに反しないし、前例もあるわ」
代わる代わる説明してくれる王太子殿下とビビアナ殿下に、なるほどと頷いて見せます。事情は理解できましたし、ぜひ力になりたいと思うのです。が。何かが引っ掛かるような……。
「あっ! エヴレン……って確か、殺害されたとか……? さっきそう聞いたのですが」
警らの人は確かにそう言っていたはずです。
思わず大きな声を出してしまった私に、王太子殿下は目を伏せ、ビビアナ殿下は悲しそうに小さく首を振りました。
これ絶対何か裏があるやつ!




