2-27 期待してもいいのでしょうか
ギャッギャッギャとカモメが鳴く中、私たちは少しの間だけ無言でした。
いつも何を考えているかわからないセレスタン様だけど、今はその瞳がどことなく熱っぽく感じられて息ができない。聖女という存在に対する期待かしら、と思ったら急に不安になってしまって。
「いっ……いえ、実は私まだ聖女として自信が持てずにいるんです」
「あれだけのことを成し遂げて?」
「聖女だと理解はしてます。でも覚悟が追い付いていないというか。昔も今も自分のことで精いっぱいで他人のことまで考えられないんです」
グテーナの火事だってすごく怖くて安全なところにいたかったし。私しかいないからやってるだけで、なんで私なんだろうと思ってしまうんですよね。
たとえばソニアだったらもっとたくさんの人を笑顔にしていたかもしれないし、ビビアナ殿下だったら国民すべてが安堵しただろうと思う。私は三ヶ月前までただパン屋で下働きしているだけだったのに。
そんなことを思い浮かぶままにこぼすと、セレスタン様はククッと笑いました。
「でもあなたはリトンの孤児から目を背けなかったでしょう。それに火事からも魔獣からも逃げず森に入った。あなたは三ヶ月前も今もちゃんと聖女の顔をしていますよ」
「そう、でしょうか」
「一国の王女に『聖女でもない人が出掛けて行って民のために何ができる』って啖呵を切ったのをお忘れですか」
「あああああ……忘れてくださいぃぃ」
頭を抱えた私の目の前でセレスタン様がさっと跪き、左の手を差し出します。
「あなたが命を懸けて治してくれた腕です。おかげで俺はあなたを守り続けられる」
「ふふ、さっきも聞きました」
差し出された左手に右手を重ねると、彼は私の手をとって指先に小さなキスをしました。
彼の唇が触れた場所が火傷したみたいに熱をもったような気がします。
「あなたは人のことばかり考えているお人好しの立派な聖女様ですよ、自信を持って」
「ありがとうございます」
立ち上がったセレスタン様に連れられるようにして浜辺を歩いてみたのですが、さらさらの砂が私の足をとってどうにも上手く歩けません。特に華奢でかかとの高い靴は砂との相性が悪いみたい。
ヨタヨタする私を見かねてセレスタン様が私を抱き上げてしまいました。
「きゃっ」
「その靴では歩きづらかったですね、失礼いたしました」
「歩けます! 靴を脱げば歩けますから!」
「ククッ、砂で火傷しますよ」
セレスタン様はアハハと笑って取り合ってくれません。私たちのやり取りが奇妙に映ったのか、それとも楽しそうに見えたのか、精霊たちが集まって私たちの周りを飛び回っています。
「じゃあちゃんと慎重に歩きますから!」
「おっと! ほら、おとなしくしてくれないと危ないですよ」
「降ろしてくれればおとなしくしますうーっ!」
「わーっ、ほら危ない」
時間のせいか浜辺に人の姿はありません。おどけてクルクル回ってみせるセレスタン様と周囲をふわふわ飛び回る精霊と、そしてキラキラの海と。
聖女のあるべき姿とか、セレスタン様の気持ちとか、そういう難しいことはパッと頭から消え去ってしまいました。ただセレスタン様に横抱きにされたまま波打ち際を歩いたり、くるっと回ったりするのが楽しくて、幸せで。
「あ、やべ」
「へ? きゃっ、きゃーっ!」
セレスタン様が口の中で小さく発した刹那の後悔が私の耳に届いたときには、私の身体は宙に投げ出されていました。視界の隅に大きく体勢を崩したセレスタン様が映ります。
落ちる! そう思って目をぎゅっと閉じて身構えていると、ぼちゃっという音とともに水に浸かってしまいました。けれど、痛くはない。水に浸かっているのに、温かなものに包まれていると言うか。
「すまない……、波に足元を掬われた」
すぐそばでセレスタン様のしょげた声が。
目を開けると私はセレスタン様にしっかり抱きかかえられていました。もちろん海の中で、ですけれど。彼が寸でのところで下敷きになってくれたおかげで痛い思いをせずに済んだようです。
「あ、りがとう?」
「ありがとうではないな」
「確かに」
目が合った彼は本当にしょぼくれていて、いたずらを叱られた犬みたいになっていました。それが可笑しくて堪らず笑うと、彼もクククと笑い出します。笑いが笑いを呼んで、お腹が痛くなるほど転げまわりました。波がお尻の下の砂を持って行ってしまうのも、それに引きずられるように体勢を崩すのも、何もかもが面白くて。
「ジゼル。君が聖女でなかったら、俺は騎士として君のそばにいられなかった。だから君が聖女でよかったと思ったんだ」
水の中で座る私と、私が流されないよう背後から抱き締めてくれるセレスタン様とがひとしきり笑い終えたとき、彼がぽつりとそう呟きました。彼の口から私の名前が転がり落ちた瞬間、なんだか時間が止まってしまったような気がして。
「セレスタン様……」
彼の腕の中、顔だけで振り返ると先ほども浮かんでいた熱っぽい眼差しが私を見つめています。ドキドキと心臓が早鐘を打ち、どちらともなく顔が近づきました。
目を閉じた私の唇にセレスタン様の体温が感じられるほどの距離になった……、そのとき。
「副団長ーっ! 聖女様ぁーっ!」
遠くから私たちを呼ぶ声が。
がばっと立ち上がったセレスタン様が再び私を抱き上げます。
「衣服が濡れては重いでしょうからこのまま屋敷までお連れいたします、ジゼル様」
「え……っ、えっと、はい、え、いや」
今度こそしっかりした足取りで海を出て、ずんずんと浜辺を縦断していくセレスタン様。口調も顔つきも騎士としてのそれに戻っています。
あ……っぶな! 待って、今、キスしてないですよね、してないです。セフセフ。これが噂に聞く「流される」というやつですか、そうですか。私はひとつ大人になりました。っていうかセレスタン様は一体どういうつもりで――。
混乱のまま見上げれば彼のお顔も耳も真っ赤で。
セレスタン様、私、期待してもいいのでしょうか。そう思いながら、彼の肩に顔を埋めたのでした。
いったん完結です!
途中、長い休憩をいただきましたが王都編を無事に終わらせられて安心しました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
本作はコミカライズされており、
漫画アプリパルシィやpixivコミック、月マガ基地、コミックdaysで
お読みいただけます。
そしてなんと!
今月29日(金)に第1巻が発売となります!!キャー!
ジゼルの聖女としての活躍は今後も続いていくわけですが、
続きを更新できるか否かは1巻にかかっており、いったん完結とさせていただきました。
第3章でまた皆さまにお会いできることを心より祈っております!
閑話のSSを投稿したり、あるいは3章を始めたりするかもしれませんので
ブックマークはそのままでお待ちいただけますと幸いです。
ではでは、またお会いできますようにー!




