2-25 貴族の矜持がわかりません
ビビアナ殿下がベアトリスさんの名を呼ぶと、彼女は渋々といった様子で顔を上げます。顔を上げても目は合わないんですけども。でもなんだかすごく痩せたような気がする。
「子爵令嬢であるベアトリス・ラ・テスチュが様々な嫌がらせをしたと――」
「弑逆未遂だ」
低い声でセレスタン様が口を挟みました。
ビビアナ殿下は小さく息を吐いて頷きます。
「そうね、聖女を手にかけようとした。今日この者を連れて来たのは許しを求めてのことではないの。不躾だと重々承知しているけれど、最期に謝罪の機会を与えてほしいというお願いを」
「最期……」
「この者は考え違いをしたけれど、元々はわたしへの忠誠心が故の行動だったとのこと。まずはわたしから心よりお詫びを――」
ビビアナ殿下が三度頭を下げようとして、ベアトリスさんは近衛兵に捕まえられた状態のまま大きく身を捩りました。
「お詫びだなんて、おやめくださいっ! 殿下っ!」
「いいえ。わたしがジゼル様の死を願っているなどと勘違いさせたのはわたしの不徳」
彼女を顧みることなくそう言い放ったビビアナ殿下に、ベアトリスさんはボロボロと涙をこぼして項垂れます。
貴族のルールや矜持というのはまだいまいち理解できないけど、死をもって贖うより罪を認め謝ることが貴族にとってはとても重要なんだってこと、ですかね?
「ごめんなさい、ごめんなさい殿下……」
すすり泣くベアトリスさんの口からこぼれた謝罪はビビアナ殿下に対する謝罪で。彼女の忠誠は確かなのでしょうけど、大事なビビアナ殿下の気持ちはまったく伝わっていないようです。
そこへふわりと光が集まって、老婆の姿が浮かび上がりました。紅茶の事件の際に私に「飲むな」と告げた精霊です。彼女は私の目の前に両膝をつき、祈るように背を丸めました。
『申し訳ありません、聖女様』
「なぜあなたが謝るのですか」
そう問うと、老婆はさらに身体を小さくして嗚咽をあげます。
『不出来でもわたくしには可愛い孫なのでございます……』
「お孫さんでしたか」
あの日、私の手に重ねられたしわくちゃの手が思い出されました。それに不出来でも可愛いという気持ちも理解できます。いえ、ソニアは不出来じゃないですけども!
「ジゼル様、どうかされましたか?」
ビビアナ殿下が訝しがって首を傾げます。
周囲には独り言を言っているようにしか見えないですもんね……。
「実はいま、精霊様がここに。私はこの精霊様のおかげで――」
説明をする途中でハッとしました。私、この精霊様に命を助けられているんですよね。それがベアトリスさんを守るためだったのだとしても。
「そういえばお茶に毒が入ってたという証拠はないですよね? 私が殺されかけたと訴えても証明できないのでは、罪に問うことなどできないのでは?」
「手荷物に毒があったと報告を受けているし、自供もしている」
間髪入れずにセレスタン様がそう言い放ちます。セレスタン様のお怒りが鎮まることはないようです。
「でも私のお茶に入れたとは立証できません。いえもちろん、毎日のように嫌がらせされましたし許すか否かと問われれば許せませんけども」
「庇う必要はないわ。聖女の殺害を計画するだけでも重罪なのに」
今度はビビアナ殿下が。こちらもセレスタン様と同様に、守るべき一線というのをきっちり引いている様子です。この謝罪の場が殿下なりの温情ということでしょうか。
「ベアトリスさんのためではありません。精霊様に救われたのですから、精霊様にご恩を返すだけです。今もなお、ベアトリスさんのために私に謝り続けるご老人のためです」
「老人……?」
「はい。あなたのことを孫だと言ってます。ずっとあなたの愚行を嘆き、あなたに代わって謝罪の言葉をくれてます」
命を狙われたことはショックだけど、喉元過ぎればなんとやらというやつで。
元気に生きていて、貴族の矜持というものを理解できない私にしてみれば、死刑だと言われてもピンとこないのです。むしろやりすぎではないかと怖くなってしまう。
「おばあさまがそこにいるんですか」
「性別までは伝えていないのにわかりましたか。おばあさんと仲が良かったんですね」
「仲良くなんて……。いつも厳しくて口うるさくて、アタシのことどうせ出来の悪い問題児だと嫌ってるものとばかり」
確かに不出来って言ってた、とは言えませんけども。
「可愛い孫だそうですよ。とにかく、殺されかけたことは否定しますので、あとはお任せします」
私がそう言うと、近衛兵さんがベアトリスさんを引っ張って部屋を出て行こうとしました。ベアトリスさんは一度だけ振り返って、ただ深々と頭を下げたのでした。




