2-24 お姫様の謝罪
応接室に入るとビビアナ殿下がソファーから立ち上がって私を迎え入れました。王族が立ったまま待ってるって状況、とても胃が痛いです。
「お、お待たせしました……っ」
「わたしが勝手に待っていたのよ」
殿下は私の背後に立つセレスタン様に一瞬だけ視線を走らせたようですが、表情は特に変わりません。
座ってくださいと言おうとして、ハタと大事なことを思い出しました。私は殿下の目の前で深々とお辞儀をします。
「あのっ、ありがとうございました! 騎士団や魔術師団を送ってくださったおかげで助かりました。領民にも聖騎士にも死者が出なかったのはビビアナ殿下が応援を送ってくれたおかげです!」
「礼には及びません。顔を上げて」
王族らしい威圧感のある静かな声に従って頭を上げると、ビビアナ殿下の澄んだ青の瞳と視線がぶつかりました。けれどその瞳は伏せられ、次の瞬間、彼女は私がそうしたみたいに頭を下げたのです。
近衛兵さんをはじめ、室内の全員に動揺が走りました、が、私が一番驚いてます。平民に頭を下げる王族がどこにいるんですか!
「え、ちょ、殿下」
「わたしのほうこそ礼を言います。民を助けてくれてありがとう」
「や、はい、あの、頭を起こしてください」
ゆっくりと上体を起こしたビビアナ殿下にはとりあえずソファーに座ってもらって、私も対面にそっと座りました。ここまでマナーとか大丈夫だったかな……。
背筋も視線も真っ直ぐなまま、ビビアナ殿下が口を開きます。
「これは言い訳なのだけど」
「言い訳」
「わたしたち王族は貴族たちの不満を解消せねばならない。王家や聖女に対して不信感を抱いたままにすれば国家が揺らぎかねないから」
そうなんだろうなとは思いますが、ちゃんと理解できているかと言われると張り切って肯定できないので曖昧に頷きました。ただ、貴族の不満をビビアナ殿下が一身に引き受けて、どうにかしようとしていたんだってことはわかります。
「バルバラ様の世は平和だったの。だから誰もが聖女の力というものを誤って認識していた。大聖樹の下で適当なことを言っているだけ、誰にでもできると言う人さえいたほどよ」
「そんな」
「だからね、平民が聖女を騙っているのだと言う人はとても多かったの。聖女の力を信じる人もいるけれど、信じるからこそ高貴な青い血にしか生まれないと主張したりね」
「それで殿下が聖女だと? 貴族たちの均衡を守るために?」
ビビアナ殿下は力なく頷きました。
「もちろん、わたし自身もあなたが聖女だとは信じていなかった。王族であるわたしが睨めばすぐに出て行くだろうと、浅はかな考えを持っていたのよ。それに、自分が聖女だったらどんなにか……。とにかく、真の聖女が誰であるかはもう疑問を挟む余地もないわ。今までの非礼を謝罪します」
「う……。はい、謝罪を受け入れま、す」
再び頭を下げたビビアナ殿下に、私はこれ以上何も言えません。
聖女候補として一緒に修行をした日々は半月ほどですが、彼女の真面目さは十分すぎるくらい知っています。だからきっと王族としてすべきことを模索した結果がこれだったんだろうなって。
「あとね、聖女候補として教会の所有する古い文献にも目を通したのだけれど」
「すごい……古いものは難しくてちゃんと読めません」
「ええ。文法も何もかも、今とは違うものね。それはこれから学んでいけばいいと思うわ。それでわたしは忘れ去られた大事なことを知ったの」
「だいじなこと」
ただでさえ真っ直ぐな背筋をさらにピンと伸ばして、ビビアナ殿下が深呼吸をひとつ。震える唇から紡ぎ出された言葉は、私にも驚きのものでした。
「王家と聖女の間に上下はない。聖人の子孫である王家と、聖人・聖女の生まれ変わりである聖女は共に手を取り合ってこの地を守る仲間であると」
「生まれ変わり……? 仲間……?」
「旅の始まりから終わりまで大精霊に付き従った、聖人・聖女総勢二十名の魂が聖女となって代わる代わる生まれ変わっていると言われている」
よくわからなくて左右に首を傾げた私に、セレスタン様が背後から教えてくれました。さすがセレスタン様、よくご存知ですね。
ビビアナ殿下もそれに頷いて話を続けます。
「かつては互いに尊重し合っていたのに、平和な世と貴族出身の聖女が続いたことで、聖女を臣下のように扱う風潮ができてしまった。これは正さなくちゃいけない大きな間違いだわ」
「そう、ですかね?」
「そうよ。と言ってもすぐに是正するのは難しいのだけれど。でも、わたしがいる間にできることはやっておくし、二の兄様なら理解があるはずだから――」
「いる間?」
さっきからずっと私の頭の中はパツパツです。断片的な情報ばっかり! もうっ!
「そう。私は隣国タルカークへ嫁ぐことが決まっているの。婚約発表も近々行うわ」
「えぇっ? ご結婚……」
「聖女にでもなれたら、婚約をなかったことにもできたでしょうにね」
薄く笑いながら目を伏せてそう言ったビビアナ殿下に、私はかける言葉を持ちません。これってつまり政略結婚ってことですよね。平民で、しかも親のいない私には無縁すぎて想像つかないけれど、好きでもない人と結婚するって一体どんな思いで……。
ちらっとセレスタン様を振り返りましたが、彼は彼で真っ直ぐ前を見つめていて表情が読めません。
「それとね……」
私の動揺をよそにビビアナ殿下はパッと顔を上げ、付き従う近衛兵に目配せしました。すると彼は一度部屋を出てから、女性をひとり連れて戻って来たのです。
焦げ茶色の髪と瞳のその女性は私もよく知っている人で。
「ベアトリスさん」
私の呼び掛けに対し、ベアトリスさんはパッと顔を下に向けてしまったのでした。




