2-20 一難去っても
迫りくる大群の気配に狼型の魔獣は落ち着きをなくし、右へ左へとうろうろし始めました。セレスタン様は視界を広く保とうと思ってか何歩か後退します。
蛇型の魔獣はシュルリととぐろをほどいたかと思えばあっという間に草木の陰に身を隠し、いち早くこの場を離脱しました。
積極的に整備されているわけではなくても、宿場町まで続くこの道はそこそこ――私たちがそうしたように小さな馬車なら両脇に馬を並走させられるほどの――広さがあります。聞くところによると野盗にお金を払ってでも先を急ぐ商人が少なくないせいだとか。
その道幅いっぱいに並んで走ってくるあの大群は、馬……?
「応援か……っ」
最初に大群の正体に気付いたのはセレスタン様でした。猛スピードで迫る馬の背には確かに人が乗っています。応援だと言うなら一体どこの誰でしょう、聖騎士には見えないけれど。
と、そんな風に馬の一団に気をとられた私の視界の端に、牙を剥く狼の姿が飛び込んで来ました。突然のことに死を覚悟できないまま痛いくらいに心臓が跳ね、と同時に私の身体が衝撃を受けて後方へと飛びます。
「ひぃっ」
「失礼」
なんとセレスタン様が私を左腕に抱えて大きく跳躍したのです。先ほどまで私がいた場所では狼の魔獣が一頭、前傾姿勢でこちらを睨んでいました。セレスタン様に助けていただかなかったら死んでた……!
セレスタン様は私を地面に下ろしたものの腕に抱いたままで右手の剣を魔獣に向けます。が、その口元には笑みが。
「最後の悪足搔きだったらしい」
「え……?」
なんのことかと問う前に小石のようなものが飛んできて、狼は「ギャン」と鳴き声をあげながら横へ吹っ飛びました。それを合図にしたかのように次から次に小石が……大きさは様々ですが、飛んできます。
私たちから少し離れた場所でどさりと音がし、振り返って見れば慌てた様子の蛇が右往左往しながら森の奥へ滑るように去って行くところでした。もしかしたら木に登って様子を見ていたのかもしれません。
先ほどから魔獣に向けて放たれているのはどうやら氷の礫のようです。こんな森の中で氷弾を撃つのなら魔法に間違いなく、つまり一団の中には魔術師がいるということ。
彼らはすぐそばまでやって来て足を止め、高らかに宣言しました。
「アルカロマ王国騎士団、および魔術師団、ビビアナ王女殿下の命によって参った! あとは我々に任せるがいい!」
「うっは。かっこいいところを持っていかれたな……だが助かった」
「ビビアナ殿下が……!」
セレスタン様はククっと笑うと左腕に私を抱えたまま、一団から距離をとりました。
王国からの応援はそれぞれ魔獣に対峙する者、グテーナへ走る者、森の奥へ向かう者と別れ、しっかり統制されている様子です。それでもこの暑さで本来のパフォーマンスを発揮できていないのは明らか。
「あと、雨さえ降れば……」
「もう降ってる」
「……えっ?」
驚く私にセレスタン様は顎で空を指し示しました。誘われるように天を見上げた私の鼻にぽつりと冷たいものが当たります。枝葉の合間から見える重い灰色の雲が確かに雨を降らせ、精霊たちは跳ねるようにくるくると踊っていました。
そうやって精霊たちを眺めている間にも雨は勢いを増していき、木々の下にいてもなおずぶ濡れになるほどです。
森のいたるところから、そしてグテーナの町から歓声が聞こえてきました。
「ああ……私、本当に聖女だったんだ」
「ハハ、何を今さら。しかしこれで頑固親父どもも納得す――」
身体を離して剣を鞘へ戻したセレスタン様は、優しく笑って私の頭へ手を伸ばします。が、その手は私を撫でてはくれませんでした。倒れこむようにその場に膝をついてしまったのです。
「セレスタン様……っ!」
そうだ、さっき左腕を怪我していたのに! そんな大事なことを今の今まで忘れていたのが本当に情けないです。自分に腹を立てながらしゃがみ、覗き込んだ彼のお顔は真っ青で。
上腕には鋭い爪で引っ搔かれたのか深くえぐられた傷が三本走っています。まず上着を脱がせ、シャツは破れたところから引き裂きました。
「なに、これ……」
彼の腕は全体が青紫色に変じていたのです。魔獣の爪が衛生的なわけがないし当然と言えば当然のこと、なのに何か違和感が。
「大丈夫だ。町へ戻ったら医者に見せる、から」
「何が大丈夫だって言うんですか! 腕がまるまる真っ青なのに!」
自分でそう言いながら、はたと気が付きました。上腕の傷から悪いものが入ったとして、変色するのが腕だけってあり得るのかしら、と。
「あ……もしかして!」
彼の手をとって念入りに調べると、やはり手首に蛇による咬み傷がありました。つまり毒。
毒なら吸い出せばいいのよね? 昔、蜂に刺されたのを父が吸っては吐いて治してくれましたし。まずは修道着の裾を破いて腕の付け根にきつく巻き圧迫。抵抗する気力も残っていないセレスタン様の手を取り、父と同じようにします。
「さすがにこれだけじゃ無理があるわ」
吸っては吐くという行為を何度か繰り返してみたものの、上腕のほうまで真っ青になっているような状態では効果がいまいちわかりません。そもそも毒が吸えているのかもわからないし。
セレスタン様は先ほどよりもさらに苦しそうに肩で息をしていて、もうどうしたらいいのか……。
「お願い、セレスタン様を助けて」
泣き言みたいな言葉をこぼしながら彼の手を握ると、キラキラと光の粒が集まって来ました。小さな粒の精霊たちはゆっくりと人の形を作り始め、子どもくらいの大きさになるとその手を私の手に重ねます。
『ふたりとも、よくがんばったね。えらかったね』
「ステ……ラ?」
そう絞り出すのがやっとで、私は少女の声を聞くなり目の前が真っ暗になったのでした。




