1-3 どうしてこういうことに
「怖がらせたならすまない。近くを歩いてたら君を見つけたから」
今朝、パン屋で朝食をとっていた聖女探しのイケメンさんでした。ホッとして挨拶をすると彼もばつが悪そうな顔でこちらに近づいて来ます。
「家は近く?」
「いえいえ、逆方向です」
「それなら送って行こう。土地勘のない俺でもこの辺りは女性がひとりで歩ける場所じゃないとわかる」
「えっと、じゃあ教会まで」
「くくっ。用心深いのはいいことだ」
この時間に外を歩くことは少ないのですが、周囲の家の窓から漏れる明かりや各家の軒先に吊るされるランタンの明かり、それに星明かりのおかげで難なく進むことができました。でもスラム街であればそうはいかないでしょうし、ロドの助言は正しかったと思います。
我が家は裕福でも貧しいわけでもないごく普通の住宅街にあります。もちろんこの街の中では、ですけど。土地と建物を遺してくれたおかげで、両親と死別してからもどうにか妹とふたりで生きてこられました。あの家がなければ今頃はどうなっていたことか。
私の歩幅に合わせてゆっくり横を歩いてくれる男性が……って名前も聞いてませんでしたね。その彼が思い出したように口を開きます。
「聖女は確かに教会にいたし、君の言うとおり誰もがあのソニアって子を聖女だと言っていた」
「でしょう。彼女を王都へ?」
「一度王都へ連れて行ってから聖女か否かの確認をすることになるな」
「どうやったら聖女と判断できるのですか? 予言とか?」
「いやいや、大聖樹への祈りというのが聖女にとっての修行みたいなものらしくてな。何もしていないのに予言などなかなかできるものではない……らしい」
前方に教会の明かりが見えてきました。話が尽きない私たちは一度足を止めます。
「では、どうやって?」
「しばらく修行してもらってから、ランタンの火を大きくしたり小さくしたり? 詳しくは知らない」
「ふふ。まぐれだってあり得るでしょうに、それじゃ聖女探しが難しいのも納得です」
そうなんだよと苦笑するイケメンさんに会釈をして、家に帰ろうとしたのですけれど。なぜか彼がついて来るのです。
「あの……?」
「ああ、今夜は聖女の家にお招きいただいてるんだ」
彼は右手に持った紙袋を自身の顔の前へと掲げました。紙袋の口から瓶の先が飛び出ています。つまり、お酒。
「は? え、なんておっしゃいました?」
「ん? いや、聖女が夕食に招いてくれたんだ、と。家が近いなら途中まで一緒に行こう」
「なんですって……」
ソニアって子は! どうしてそんなの勝手に決めるのかしら!
大体、食事の用意だって自分ではほとんどやらないじゃない。ていうか間違いなく平民ではないであろう人にお出しする食事なんてないし。今夜もいつも通り廃棄パンしかないのに!
「な、なにか気に障ることを言っただろうか」
「いえ、あなたさまはなにも」
再び歩き出した私たちは、怒りのあまり私が早足になったせいもあってすぐに自宅へと到着しました。送ってくれた、いえ、送るつもりだったイケメンさんは戸惑いを隠さずに家屋と私とを何度も見比べています。
「こ、ここは聖女の家だと聞いている」
「そうですね。聖女ソニアの自宅であり、私の家でもあります。ソニアは私の妹なので」
イケメンさんは何か言いかけましたが、その言葉が発されることはありませんでした。勢いよく開いた扉からソニアが顔を出したのです。
「ようこそ――あら、お姉ちゃんもおかえりなさい。まさかふたりで帰って来るなんて」
「あ、ああ。まさか彼女があなたの姉上とは知らなかった」
ふたりの会話よりなにより、私が気になるのはこの香り。ドアを開けると同時に漂ってきた空腹を刺激するいい香りに、慌てて家の中へと入ります。
キッチン兼ダイニングの小さなテーブルに所狭しと並べられていたのはいくつもの料理。一方でキッチンには使用された形跡などなく。
「いったいこの食事はどうやって……。あっ、もしかして!」
狭く急な階段を上がって自室へ飛び込むと、ベッド下から箱を引きずり出して開けました。ここには次の給料日までの生活費が――。
「ない! やっぱり!」
ソニアが盗めないよう鍵を準備しようとずっと思っていたのだけど、その鍵を買うお金が捻出できないままずるずると過ごすうちにコレです。初めてのことではないけれど、前回だって散々注意したし、生活費にはもう手を出さないと信じてたのに!
怒る気力もないまま座り込んで放心していると、ギシ、と床を軋ませながらソニアがやって来ました。
「お姉ちゃん……? ご飯食べよ?」
「アンタねぇ、これ生活費だって知ってるくせに!」
「だ、だってアタシが王都行くためのヒツヨーケーヒ、でしょ?」
床にくっついたお尻が冷たい。なのに首とほっぺはとっても熱い。震えてるのは寒いからじゃなくて、お腹の中でぐるぐる回っている感情を発散できずにいるから。
よく見ればソニアの服は真新しく、この生活費の散財先が食事だけじゃないのは明らかです。私のブーツはボロボロなまま、新調どころか修理代金さえたった今無くなったところなのに。
大きく深呼吸すると、なんだか体の芯が一気に冷えていくような気がしました。
「そうね。さ、食事にしましょうか」
立ち上がり、ソニアとともに階下へ降ります。