2-17 一歩間に合わなかったみたいです
夜が明けるのと同時に私たちは町を出て森へと入りました。
野盗が待ち構えているとか魔獣がたくさんいるとか聞いていたわりに、森の中は静かです。想像していたより道もしっかりしているし。
「思ったより静かというか順調というか」
「さすがにこの馬車を襲う野盗はいないさ。これだけの数の聖騎士が守ってちゃリスクが高すぎる」
本日のセレスタン様は聖騎士たちの指揮も部下に任せ、私をそばで守ることに尽力するのだとか。だから馬車の外で守りを固めるのではなく私の目の前に座っています。
――ただの騎士は聖女様と結婚できない。
昨夜セレスタン様が子どもたちに淡々とそう告げたのがまだ耳に残っています。一瞬でもドキドキしてしまったのが恥ずかしいし、それにこれってつまり失恋というやつなのでは。
いいの、最初からセレスタン様みたいな貴族でモテ度百パーセントみたいな人とどうにかなりたいと思ってなんかいないし。大体、私みたいな平民の聖女は受け入れてもらえないんだって今までの周囲の対応で十分理解してるし。
「仮にどうにかして聖女を誘拐できたとして身代金の受け渡しもまたハイリスクで……聞いてるか?」
「あっ、はい、聖女と結婚したがる人なんていないですよねわかります!」
「なんの話だ」
目が合ったまま気まずい沈黙。何か間違えたようです。確かに結婚の話なんて誰もしてなかった気がする。
じっとりした目で見つめられるの怖いです、ごめんなさい。溜め息つかないでぇ……!
――タスケテ!
思わずセレスタン様から自分の手へと視線を移動させたとき、どこからか精霊の声が聞こえました。精霊もまた混乱している様子で、言葉はすぐに雑音のようになって意味を捉えることはできなくなったけれど。
「そもそも聖女の結婚には国王陛下の許しが必要で――ん、どうかしたか?」
何か嫌な予感がしてカーテンを開け、窓から外を見てみたけれどただ木々が流れていくばかりです。すでに日は高く、陽光が木々の隙間から眩しいほど差し込んでいて。
いえ、よく見れば混乱した精霊たちは鳥の羽が蝶のそれになっていたり、はたまた手のひらくらいの大きさの人型が翼をはためかせて空を飛んでいたり。形が崩れて光の粒になったかと思えばまた歪な生き物の姿になったりと、元の形を保つことができていないみたい。
「精霊の様子がおかしくて」
そう言っているそばから、馬に乗って並走する騎士が窓の方へと近寄って来ました。コツコツと叩かれて小さく窓を開けます。
「副団長、動物の動きが妙です。なんか慌ててるというか」
訝しげにそう言った彼の足元をウサギが数羽、反対方向へ駆け抜けて行きました。
気になって窓を大きく開けつつ前方を確認すると、細い煙が立ち上っているのが見えます。それに気付いてみれば確かに焦げついた臭いがうっすら感じられるような。
「煙だわ! もう火が!」
「くそ、間に合わなかったか。グテーナまであとどれくらいだ? スピードをあげられるだろうか」
森の中で火が起こるのなら恐らく野盗の仕業だろう、というのがセレスタン様の見解でした。だから事前に対処できるのではないかと。
この国、中でも南部は特に春を過ぎると雨など一切降りません。ピカピカの太陽と乾いた空気は気温のわりに過ごしやすいのだと、淑女教育の先生から聞きました。確かに私の故郷のリトンも皆無とまでは言わないけれど夏場に雨が降るイメージはあまりありません。
その分、火のまわりも早くなるはずです。
「グテーナはもう目と鼻の先です。煙の位置から察するに火元はこの道から少しずれたところですね」
「風向きは?」
「北北西、グテーナに向かって吹いています」
「火が大きくなる前に急ぎグテーナへ。領民の混乱を抑えつつ班を分けて――」
セレスタン様と聖騎士さんとがあっという間に今後の動きを決め、馬車が先ほどよりも加速しました。
私の頭にはこの数日で読み漁ったかつての聖女たちの偉業や功績が浮かんでは消えていきます。誰もが祈り、精霊の権能を利用して危機を脱した。でも、そのやり方までは書いていないから困ってしまうのです!
そりゃ、記録を残したのが聖女本人じゃないのだからやり方なんてわからないのだろうけど。次の聖女のことも少しは考えてほしいってものです。
「息してるか?」
「へぁっ?」
向かいから腕が伸びて来て、大きなセレスタン様の手が私のそれに重ねられました。息してたけどおかげで止まるところでした。モテ度百パーセントなので。
「だ、大丈夫です」
「顔が真っ白だし、手に爪が食い込んでる」
「あ……」
緊張というかプレッシャーで手を握り締めていたみたいです。偉そうにグテーナに行くって自分で言っておきながら、今は不安で不安で仕方ない。
私に本当に解決することができるのかしら、私は本当に聖女なのかしらって余計なことまで考えてしまって。
「ジゼル、もし君が精霊の権能をうまく使えなかったとしても俺たちがどうにかする。領地のことは領主が、国のことは王家がまず責任を持つものなんだ。君ひとりですべてを抱え込まなくていい」
「セレスタン様……。ありがとうございます、ちょっと心が軽くなりました」
彼の言葉に吐きそうだった胃痛が少し和らいで、深く息を吸います。
と、そのとき。外を走る聖騎士さんたちが俄かに騒がしくなりました。再び窓を叩く音。
「別の方向からも火の手があがったようです。挟まれる前に走り抜けます!」
セレスタン様も私も折り重なるようにして窓から外を確認しました。確かに右手前方から煙があがっているのが見えます。
同時にいくつも火がつくって、どういうことなの?




