2-16 教典のおはなし
王都を南下して三日ほど走ると広大な森に行き当たります。そこから東側へ向かうとレモンで有名なマーズトンへ、西側へ行けば花の都グテーナ……なのですが。
東西の道はそれぞれ森を迂回するためのもので、本当はどちらも森を突っ切れば最短で到着できるのだそうです。しかしこの森は野盗が多く棲みついている上に、奥へ踏み入れば魔獣と出くわす恐ろしい場所なのだとか。
そしていま私たちは手前の宿場町で、その恐ろしい森を抜けるための準備をしています。
夜が明け次第ここを出発する予定なので早く寝ないといけないのですが、緊張と不安も手伝ってなかなか寝付けません。
少し外の空気にあたろうかとセレスタン様を探したところ、宿の一階の酒場で彼をみつけました。他にも聖騎士さんが数名ほど静かにお酒を飲んでいますが、きっと装備品の手入れなどはもう終わったのでしょうね。
「眠れないのか」
「はい、それで風にあたろうかと」
「行こう」
席を立ったセレスタン様と一緒に宿を出ると、満天の星が輝いていました。
季節はすっかり夏で、本来なら社交にいそしむ貴族たちも自領や避暑地へ向かうため王都を出ている頃です。今年は聖女の交代という問題を抱えているためか貴族議会も解散されないままですが。
夏だとは言ったものの、夜の風は寝付けなかった私の肌にひんやり気持ちいい。
いくつもの道が交差するこの宿場町は夜でも活気に溢れ、街灯のほかにも店の明かりが煌々と辺りを照らしています。少し歩く程度ならランタンもいらないほど。
楽しそうな声が聞こえて周囲を見渡すと子どもたちが遊んでいました。空き樽めがけてナイフを投げて点数を競っているようです。この時間にお外にいるということは孤児でしょうか? それにしては身なりが綺麗。
「あれは出稼ぎだよ。多分グテーナの子だね。夏は観光客が減るから年かさの子どもをここで働かせる。年少の子たちは地元で花畑の手伝いだ」
「そうですか……」
セレスタン様の言葉に安堵してホッと息を吐きました。孤児でないならそれでいい。ロドたちのような日々のご飯にも困る子どもがいないのなら本当に良かった。
そこからもう少しだけ並んで歩いていると、セレスタン様がぽつりと「大丈夫か」と問いました。眠れない私を心配してくれているのでしょう。
「過去の聖女が遺した記録、読みました。その功績はどれも凄くて私が本当に聖女なのか心配になるくらい」
「ククッ。海を割って島まで渡ったなんて話もあるが、さすがにそれを信じる奴はいないさ」
「えっ、信じてたのに!」
「アハハ! 信じる奴いたのか!」
目を丸くした私にセレスタン様はお腹を抱えながら笑います。彼がこんな風に笑うところを私は初めて見たかもしれません。トクンと心臓が跳ねるのと同時に胃のあたりがじりじり締め付けられました。
「……セレスタン様はビビアナ殿下をどう思ってますか」
「え?」
口を滑らせてから慌てて誤魔化します。
「や、ごめんなさい。えと、変な意味じゃなくて、その……仲がいいんだろうなって」
大聖樹のそばの東屋でのやり取りも、ベアトリスさんに対して殿下のために怒ったのも特別な感情があるとしか思えません。それに彼は殿下のことを「ビビ」って呼んでいましたし。本当はセレスタン様もビビアナ殿下が聖女だったほうが良かったんじゃないかって。
しどろもどろになる私に頷いて、彼は柔らかい笑みを浮かべながら遠くを見つめます。
「ああ。昔、第二王子殿下の話し相手をしていた頃、ビビアナ殿下もよく混ざってたんだ。幼馴染と言うべきか、妹と言うべきか……って不敬になってしまうな」
「なるほど。殿下はなぜ大聖樹の枝を光らせられたのでしょう? 皆さんが殿下を聖女だと信じてしまうのも仕方ないというか」
「いや、信じる方がおかしい」
「言い方」
セレスタン様はふと足を止めベンチに座るよう促しました。気が付けば町の中心と思われる広場まで来たようです。
「俺はこう見えて今回の件についてかなり怒ってるんだ。教典の『アルカロマの章』は読んだ?」
「あ、はい、もちろんです。王族は聖人様の子孫なんですよね」
教典とは、遠い昔に大精霊が聖人とともに旅をした際の出来事をまとめたもので、アルカロマの章は旅の終わりを記した部分となります。
数十年におよぶ旅を終え、大精霊は聖樹となったのだと。長い旅の中で大精霊の供を務める聖人や聖女も幾度もの交代を挟み、最後の供であった聖人は大聖樹の護り手としてこの地で国を興した、という話でした。
教典によると昔は精霊の声を聞く者として男性の聖人もいたんですよね。今は聖女ばかり生まれているけれど。
「そう。だから聖人の血を継ぐ王族が、聖樹の枝をちょっと光らせたところで不思議はないんだ。それを無知な輩が殿下を聖女だなんだと担ぎ上げて……」
「確か聖人や聖女のマナは魔術師さんのそれとは質が違うんだって、バルバラ様から聞きました。聖人の子孫なら誰でも光らせられるんですか?」
魔術師はマナの量こそ多いけれど精霊を感知できず、聖女はマナを大量に抱えていながら通常の魔法が使えない。質というのはよくわからないけれど、バルバラ様が言うには聖女の持つマナのほうがより純度が高くて精霊に近いんだとか。
セレスタン様は考えを巡らせるように首を傾げてから口を開きます。
「我が国の王家は聖女を王妃に迎えることもあるから特に、だろうな。長い旅の中で聖人たちは各地に子孫を残しているし、探せば他にもいるかもしれないが」
「つまり聖女って聖人の子孫の中のマナが特別多い人?」
「それは違う。我々の言う聖女というのは――」
小さな足音がしてセレスタン様が言葉を止めました。見れば子どもたちが我先にとこちらへ駆けて来るところで。
「姉ちゃんって聖女なんだろ、大人が言ってた!」
「でも聖女はおばーちゃんだって聞いたぞ! ニセモノか!」
「兄ちゃんは騎士? かっけぇー」
あっという間に私とセレスタン様は子どもたちに囲まれてしまいました。セレスタン様は苦笑しつつ彼らをぐるりと見回します。
「いま聖女様と教典のお話をしてたんだ。一緒に聖女様からお話を聞こうか?」
「教典って面白いの?」
「ああ、面白いさ。ずーっと昔、大精霊様は一組の夫婦と一緒に旅に出た」
「あー、俺それ知ってるー。司祭様から聞いたもんね」
すごい。一瞬で子どもたちの心を掴んでしまった……。
「ねぇ、その夫婦って騎士と聖女だったんでしょ。兄ちゃんと姉ちゃんも夫婦?」
「なっ……!」
絶句です、絶句。無邪気な顔をして一体なんてことを言うんでしょうか!




