2-15 状況は一転するのです
命を狙われようがお構いなしに時間は流れ、いつもと同じように朝を迎えるのです。けれど今朝は少しだけ早く目が覚めて、何の気なしに窓の外を見ましたら。
「精霊様……?」
大聖樹が目にうるさいくらい輝いています。
まるで世界中の精霊が集まったのではないかと思うくらいにキラッキラで、なのにそれが吉兆でないことは感覚でわかるというか。
胸騒ぎがして私は急いで着替え、警備してくれる聖騎士さんの制止も聞かずに家を飛び出しました。
「ちょ、ジゼル様!」
「セレスタン様に、大聖樹にいるとお伝えください!」
夜も明けきらぬ早朝のこと。うっすら紺から紫色に変わっていく空の下で大聖樹は眩いまでに輝いています。
精霊様は何をそんなに慌てているのかしらと不安な気持ちを抱き締めて大聖樹の下へ向かうと、ちょうどバルバラ様もいらしたところでした。
「バルバラ様、これは一体……!」
「預言よ。しかも嬉しくない方のね。でも、こんなときにどうしたらいいか伝えられるのは不幸中の幸いと言えるかしら」
力なく微笑みながらバルバラ様は大聖樹の根元に両の膝をつきます。私もその横で同じように膝をつきました。
「いつもなら国家の安寧をお願いするところだけれど、今日は精霊様の声に耳を傾けるの。自分自身の心を開いて、マナをいつもよりとびきりたくさん放出するつもりで」
祈りとは原初の呪いであり、魔法でもあります。これは預言を聞く対価としてマナを差し出すということになるのでしょうか?
言われたとおりにすると、最初はたくさんの鳥が好き勝手に鳴いているかのような、声というより雑音にも近かったものが、次第に理解できる音を形づくるようになりました。
『モエル、モリモエル、グテーナノモリモエル』
グテーナノモリモエル……?
「グテーナの森……燃える?」
私がそう呟くのと、セレスタン様が到着するのはほぼ同時でした。騎士団の宿舎にお泊りだったのか、宿舎のある方角から馬を走らせて来たようです。
「一体なにが」
「グテーナの森が燃えると、精霊様が」
セレスタン様は私の言葉を聞くなり、そばに控えていた別の騎士さんを「陛下に報告!」と走らせました。
「詳細はわかる?」
「あ、いえ。私は……バルバラ様はどうでしょうか」
森が燃えると聞いた時点で、私は驚いてそれ以上を聞くのをやめてしまいました。大先輩であるバルバラ様ならどうだろうかと声を掛けると、彼女は真っ青な顔で立ち上がります。
「強い日差しが降り注いで森を燃やすのだとおっしゃっているわ。いつとまではわからないけれど、あまり時間はなさそうね。すぐに――」
「あら、皆さまずいぶん早くからお揃いだわ。わたしったら何か予定を忘れていたかしら」
バルバラ様の言葉を遮ったのはビビアナ殿下でした。
彼女は聖女の仕事にご自身の時間の全てを捧げられない代わりに、朝は早めにいらっしゃるのが常なのです。そうすることで私との差を埋められると考えているかのように。
でも彼女はやはり聖女ではなかった。
「どうかなさって? 皆さま何をそんなに深刻な……」
「精霊様から預言がありました」
私がそう告げると、ビビアナ殿下は目を丸くして私たちと大聖樹とを何度も見比べたのです。それでも彼女の目には精霊たちの焦りが見えていない。
バルバラ様は咽るように咳をしながらも、私の手を強く握りました。
「わたくしはすぐにグテーナへ向かいますから、あなたはここで大聖樹に――グッ……」
「きゃあ! バルバラ様っ、バルバラ様っ!」
私の手を握ったまま、バルバラ様はお倒れになりました。引きずられるようにして地に膝をついた私はそのまま彼女の身体を抱えます。助け起こそうとしたって私の力ではびくともしなくて、人間の身体ってこんなに重いのかと自分の無力を思い知らされて。
「誰か、バルバラ様を屋敷へ! 誰か、お願い!」
私では何もできないの。
なぜ倒れたのかもわからない。お願いだから早く誰か助けて。
「もう手配した、大丈夫だ。君もゆっくり息を吸って」
セレスタン様の声に従って胸いっぱいに息を吸い込むと、少しだけ視界が明るくなって落ち着いたような気がしました。私の代わりにセレスタン様がバルバラ様を抱えあげ、慌ててやって来た騎士たちに彼女を託します。
担架に載せて運ばれるバルバラ様を見送りながら、私はセレスタン様の袖口を握りました。まだとても心細いけど、あとは祈るしかないから。
「私、グテーナに行きます。こういった時に歴代の聖女がどうしていたのかわかる資料があればください。道中に目を通します」
「わかった。旅支度もあわせてこちらで全て手配しよう。ジゼル嬢は朝食をとって身体を休め――」
「待って! わたしが行くわ。わたしが行ったほうが民も安心するでしょう、名も知らぬ平民ではなく」
私とセレスタン様が話しているその間に、ビビアナ殿下がズイっと入り込んでそう言いました。
名前も知らない平民が来るよりも、王女が来るほうが民が安心する。それは間違いないでしょう。だから王族による兵士への慰労が成立するんです。王族はただそこにいるだけで勇気をくれる。私もただの平民だったらそう思ったでしょう。
だけど。
「聖女でもない人が出掛けて行って民のために何ができるって言うんですか!」
「なんですって?」
思わず口をついて出た叫びは私の本心です。
「確かに民は安心するでしょう、お姫様が来たならきっとどうにかしてくれるって思うかもしれない。だけど、本物の聖女を押しのけてまですることですかっ? あなたや貴族の尊厳を守ることは彼らの安全よりも大事なことなんですかっ?」
「あ……あなたこそ本物の聖女だなんて偽って!」
「いい加減にしろ、ビビ!」
セレスタン様の叱責が響き渡り、一瞬にしてその場が静まり返りました。精霊様たちでさえ、ぶわっと私たちからちょっと距離をとったような気がします。びっくりしちゃったのかな。
「ジゼル嬢は聖女だ。ビビだってもうわかってるんだろう? バルバラ様と彼女の会話が理解できないことに。彼女たちの視界が自分とは違うことに」
「だっ、だけどお兄さま」
言葉を探そうと視線を彷徨わせるビビアナ殿下に、セレスタン様は城を指し示します。
「王族にしか、貴女にしかできないことをなさいませ、ビビアナ王女殿下。それもまた、民を想うひとつの聖女のかたちでございましょう」
ビビアナ殿下は声を詰まらせてほんの少し俯きました。セレスタン様は私の肩を抱き、「さぁ行きましょう」と促したのです。




