2-12 雄鶏の尾羽
結局、思った通り街歩きに適した服がなかったため王都散策は中止になりました。代わりに、とセレスタン様が公爵家のタウンハウスへ連れて行ってくださることに。
以前お出掛けの際にここへ立ち寄ったときにもその大きさにびっくりしたものですが、未だに慣れません。
「タ、タウンハウスって王都用の別邸、なんですよね?」
「そうだね。本邸は南部のタンヴィエ領に」
「王都の中にこんな大きな……」
セレスタン様はキョロキョロ見回す私を応接室へ案内しながら困ったように笑いました。
「ハハ。確かにタウンハウスにしては大きいかもな。だが本邸はこの比じゃないし、いずれ招待すると言ったマーズトンの屋敷も……あ。そういえば、マーズトンのレモンを使ったケーキがあるはずだから、食べようか」
「ケーキ! しかもマーズトン産!」
国の南側に広がるタンヴィエ領には質、量ともに王国一だと謳われるレモンの産地、マーズトンがあるのです。しゅごい。
そういえば、私が働いていたパン屋でもマーズトンのレモンを使ったデニッシュパンは人気だった覚えが。
応接室のソファーに向かい合って座り、しばらくするとメイドがお茶を用意してくれました。そこで出されたのがキメの細かい生地の四角いケーキだったのです。てっぺんにかかったアイシングの白がほのかに光ってとっても美味しそう!
「当家の料理長特製、レモンのバターケーキだ。マーズトンに連れて行くまではコレで我慢してくれ」
「我慢だなんてとんでもない! でもグテーナの花祭りとマーズトンのレモン祭りは有名ですよね。私でも聞いたことがあります、すごい賑わいだって」
ひと口サイズに切り分けて口に入れると、しっとり滑らかな舌触りの中でシャリッとしたアイシングがアクセントになっています。そして広がるレモンの爽やかな香りと、さらにバターのふくよかな香りが追いかけて来て、あまりの美味しさに頬っぺたを落としかけました。
「んんんんん」
「気に入ってもらえたようでよかった」
左手で頬っぺたを押さえながら何度も頷き返し、紅茶で口の中をさっぱりさせてからもうひと口。そんな私を眺めながら、セレスタン様は声のトーンを落として話し始めます。空気が変わった気がして私も顔を上げました。
「王子殿下の話なんだが」
「あ、はい。先ほどのですよね」
王女様とのお茶会の前にセレスタン様は第二王子に連れて行かれたのでした。
彼は私に頷いてから小さく嘆息します。
「そう。どうにもバルバラ様の体調が思わしくないらしい。早々に引退させるべきだという話になっているとか」
「そうですか……確かに咳も酷くて苦しそうですもんね」
「で、次の聖女をどうやって決めるかって話で相談を受けていてね」
それは難しい問題です。大聖樹の枝を光らせただけではダメで、精霊の姿が見えるとか声が聞こえるとか言っても相手方はそれを信じようとしないんですから。
精霊の権能を行使するのがいいのだろうと思いますが、信じる気のない相手を信じさせるにはどんなことをしたらいいのかしら。
「困りましたね」
「端から信じるつもりがないからなぁ」
「ステラのような精霊様がいれば……」
「プライベートなことを言い当てても、調べたと言われればそれまでだ」
彼のまとう空気には苛立ちが感じられました。私も自分のことなのにその存在を証明できないことが悔しくて言葉がありません。
「……もし最後まで彼らが認めないようなら、一緒に国を出ようか」
「いいですねー……って、え? 国を出る?」
「王侯貴族がそろいもそろって聖女を認めないなら、尽くしてやる必要はないさ」
それもいいですね、なんて冗談にして流したけれどセレスタン様の目に本気が混じってる気がして不安になってしまいました。いえ、さすがに公爵令息がそんなことするはずないですけど。それくらい国に失望しているということかもしれません。
どうにかできればと思いつつも名案は浮かばず、家に帰ってからも落ち着かない時間を過ごしたのでした。
翌朝、お祈りのために大聖樹の下まで行くとそこには、新品の修道着をまとったビビアナ殿下がいらっしゃいました。修道着ってことはつまり、そういうこと?
彼女はバルバラ様がまだお出でじゃないとわかると、腕を組んで私を睨みつけます。
「民のために命を張るのが王侯の務め。それが歴代の聖女様が貴族であった意味よ」
「違います、歴代の聖女は別に――」
「あなたの妹は詐欺を働いていたそうね?」
こちらの声を聞くつもりのない殿下は私の言葉に被せるように話を続けました。
「あ、いえ、それは」
「まだ審理中だったわね。けれど無実ではない、そうでしょう」
否定できません。ソニアのことは「たいした罪にはならないだろう」と聞かされただけですし、私自身あの子が無罪になるとは思っていませんし。
返事に窮した私にビビアナ殿下は満足そうに頷きます。
「あなたは聖女として民の手本となり命を投げ出す覚悟はあって? 自分の妹さえ正しく導けなかったのに、無理でしょう?」
その言葉に全身の血が燃えるように熱くなりました。
親のない私たちが大きな病気ひとつなくここまで育っただけでも奇跡的なのに、清く正しく生きるよう私が導いていなければいけなかったの?
孤児のロドたちが古いパンと引き換えに懸命に働いたのだって領主の、貴族の、ひいては王族の怠慢なのではないの?
「ふ……ざけないで……」
「なに?」
喉から絞り出した声はかすれていて目の前のお姫様には届かなかったようです。拳を握ってすーっと深く息を吸った私の背に、慈愛に満ちた女性の声がかかりました。
「おふたりともおはようございます、いい天気ね」
「ええ。澄んだ空ですわ」
ビビアナ殿下は目を見張るほど綺麗な所作で淑女の礼をとり、私も慌ててバルバラ様に向き直ってぴょこんと頭を下げます。まだ咄嗟には淑女らしい振る舞いができなくて。
すぐそばまでやって来たバルバラ様は私の肩を優しく撫でました。そして小さな声で囁きます。
「聖女であっても、雄鶏の尾羽を毟ることはできないの。少しだけ辛抱してね」
雄鶏は王家の紋章です。大聖樹の頂点に雄鶏がとまって世界を見つめるというのが教典の一節にあり……バルバラ様は王家の言葉には逆らえないと言いたいのでしょう。
そして、聖女としての日常にビビアナ殿下が加わったのでした。




