2-9 日々の点検は慣れたものですけど
王都へ来てからすでにひと月以上が経ちました。
私の一日は大抵、大聖樹へのお祈りや聖女バルバラ様からの引継ぎ、それに王城で行われる淑女教育などなどで埋まっています。そういったスケジュールを終えて「聖女の農地」にある自宅へ戻るとまず、家中の扉という扉、引き出しという引き出し、蓋という蓋のすべてを開けるのが日課になりつつあり。
「ベッドよし、机よし、鏡の私……よしじゃないけど」
この日課は悲しいかな慣れたものです。っていうか王都に来てまでこの指差し確認をしないといけないなんて、一体なんの冗談でしょうか。んもー。
というのも、侍女であるベアトリスさんがせっせと悪戯をしているのです。たとえばベッドが濡れていたり、観葉植物の鉢が倒れて土がこぼれていたりという些細なことばかりなのですけど。
放っておけば自分で掃除するかと思えば当然のことながらしないので、私が片付けない限り土はそこにこぼれっぱなしなのです。蜂蜜をこぼされているのに気付かなかったときには、蟻がたくさん入って来て大変なことになりましたし。
「あとはクローゼットね。でも今日は何も問題なさそ……ん? 精霊様が……」
虹色に光る蝶のようなものが窓の外でせわしなく動いています。
普段は光の粒でしかないこのマナが集まって、蝶や鳥、ヒトの形になると精霊と呼ぶようになるのだそうです。まだしっかりと理解できてはいないのだけど。
普段は大聖樹の周囲を漂うだけのマナがこうして形を伴って現れる時、何か伝えたいことがあるらしいのですが……。
窓を開けると虹色の蝶は一度だけ大きく旋回してから、下方へと急降下しました。ここは二階ですので落ちないよう気を付けつつ、少しだけ身を乗り出して精霊様の姿を目で追いかけると、なんと。
「あれ、私の服……っ!」
家の裏手にある小さなお庭の花壇に、見たことのある布地がいくつも重なって落ちていました。可愛らしい小花柄や爽やかなストライプ、どれもソニアから譲り受けたものですから私にはあまり似合わないけど、でもお気に入りのワンピースばかりです。
急いで窓辺を離れ、階段を降りて家を出ました。
「えっ、ジゼル様どこへっ?」
交代で我が家の警備にあたってくれる聖騎士さんが慌てたように私の後に続き、ふたりで庭へとまわります。私の部屋の真下に位置する花壇へ近づくと、衣類が何枚も散乱していました。
「もー……」
「うへぇ。こりゃひでぇな」
聖騎士にしては砕けた口調の騎士さん、ブ、ブノ……ブノなんとかさんが眼前に広がる惨状に目を丸くします。
一枚を拾い上げてみると、ずっしり重い。ご丁寧に濡れた状態で放り出してくれたようです。
「洗濯ってメイドがやってんスよね?」
給仕や私室の掃除はともかく、その他の掃除や洗濯は侍女の仕事ではないので二日に一度はメイドさんが来てくれるのです。
私は曖昧に頷きながらも彼の言わんとすることを否定しました。
「はい、でも」
「今日はメイドが来る日じゃない、と。んじゃ、あの侍女さんの仕業ッスか。やっぱりそろそろ替えたほうがいいと思いますケド」
ベアトリスさんのイタズラ――いえ嫌がらせは、聖騎士さんたちの間でも噂になっているようです。ただ家の中はもちろんのこと、庭も普段は塀の向こう側を見回っているため現場を押さえるのは難しいのだとか。
「多分、替えてもらっても同じことの繰り返しだと思うんですよね」
聞いたところによるとベアトリスさんは元々、王女様の侍女を希望していたそう。何度か注意してるのに嫌がらせを続けるのは、彼女の一存ではないような気がします。他の誰かの指示があると考えるほうが自然というか。
別の一枚を無造作に掴み上げた騎士さんが、「あれ」と呟いて他の服も一枚一枚広げていきました。
「どれも泥まみれッスね」
「そんな気はしてましたけど……洗い直しかぁー」
本日最大の溜め息が出ました。恐らくクローゼットにあった衣類はすべてここにあり、急いで洗っても明日までに乾くかどうか……。こんなことで精霊様の力をお借りするわけにもいかないですし。
考え込むように腕を組んでいた騎士さんが突然「よし」と言って、ご自身が濡れるのも厭わず汚れた衣類を全て抱え上げました。
「俺が城のランドリーに持って行きます」
「あ、でもメイドさんが言うにはお城のランドリーで私の衣類を洗うのを断られたとか。だからいつもこのお庭でせっせと洗ってくださってるんです」
それも今思えば目上の誰かの意思が働いていたのでしょう。メイドさんには申し訳ないことをしてしまったわ。と言っても私にはどうすることもできないのだけど。
「大丈夫ッスよ。バルバラ様の籠に突っ込んで運べば誰も断らないし」
「や、私は自分で洗えますから」
「はいそうですかって洗わせたら俺が副団長に怒られますからね。かと言ってメイドにやらせるのも、この量はちょっとかわいそうっしょ」
「それはそうですけど」
副団長というとセレスタン様のことですね。
一理あると思ったときにはもう、彼は私の衣類を抱えて庭を出て行ってしまいました。足が速いのは聖騎士全員に共通する特徴なのかもしれません。
他の聖騎士といくつか言葉を交わしてから我が家を離れる騎士さんの背中を見つつ、私は家の中へ。明日はお休みなので街へ出たかったのですが、どうしようかしら。
まったくもーとぶつくさ文句を言いながら自室へ戻ろうとして、ダイニングテーブルに無造作に置かれた封筒に気付きました。パリッとした質感の真っ白な封筒です。よく見れば銀色の装飾があって見るからに上等な紙。封蠟は王家の紋章とよく似た印影で。
嫌な予感に胃が痛くなるのを感じつつ封を開けます。
「これ……招待状?」
慌てて差出人を確認してみれば、それは王女様のお名前で……。




