閑話/聖女の日課
漫画アプリ「パルシィ」にて連載が始まりました!
嬉しさのあまりショートストーリー書きましたのでどうぞ!
私は「聖女の修行」について、山に登ったり聖地を巡礼したりするのかなって思ってました。食べ物を制限したり、あるいは三日三晩寝ないでお祈りしたり、そういうのがなんだか修行って感じがするから。
でも実際は大聖樹への毎朝のお祈りと経典のおさらい、それに当代の聖女であるバルバラ様のお手伝いや仕事の引き継ぎをする日々です。
お祈りをすることで体内のマナが淀みなく循環するようになり、経典の再読には精霊の歴史や聖女の意義の学び直しという意味があるのだとか。聖女には各地の教会を巡って民に精霊の声を届ける、というお仕事もあるそうですが今はバルバラ様のご体調を優先して休止中です。
そしてもうひとつ、体力をつけるために行っていることがあるのですが……。
「ジゼル様、水ここに置いておきますね」
「ありがとうございます! 聖騎士さんに手伝ってもらっちゃって、なんだか申し訳ないです」
「やー、いくらなんでもコレは重すぎるッスからね」
「今の時期はお水たっぷりあげないといけないそうなので、助かります」
護衛の任務についている聖騎士さんが水桶を運んで来てくれました。
実は畑仕事も修行に含まれているのです。「聖女の農地」で栽培される果物や野菜は、美味しいけれど希少で……外交の席や王家主催の社交の場などで使われるのだと聞きました。
「自分はバルバラ様が畑仕事しなくなってから入団したんで、聖女様が畑にいるってまだ慣れないッスねー」
「畑仕事って言っても大したことしてませんけどね」
基本的には農夫が世話をしてくれますので、私がやることと言ったら水を撒いたり雑草をとったりするくらい。そろそろイチゴが食べごろだそうなので収穫が楽しみです。
私が柄杓を手に農地を見回していると、聖騎士さんが「あっ」と大きな声をあげました。
「蜘蛛! ジゼル様、足元に蜘蛛が!」
言われて視線を下げれば確かに小さな蜘蛛がつま先を横切っています。
「ほんとだ。害虫を食べてくれるのでありがたいんですよねぇー」
「え、怖くないんスか。自分の妹とか耳が壊れるくらい叫びまくりますよ」
「都会に蜘蛛が少ないって本当なんでしょうか。故郷だとそこらへんにいるから慣れました!」
聖騎士さんは私よりも蜘蛛を恐れている様子で、二歩ほど後退してうめき声をあげました。やはりこの人も都会人だ!
「むむ」
「手のひらくらい大きなのだったら私も怖いですけどね」
あとイモムシも苦手だし、とかぼんやりお喋りをしながらお水を撒いていると再び聖騎士さんが大きな声を出しました。
「あっ! 副団長だ!」
「えっ、どこどこどこですか」
副団長ってセレスタン様のことです。
いつもは大聖樹へのお祈りが終わる頃に来てくれるのですが、今日は朝一番にお父様と話があるからとかなんとかで少し遅くなっています。
頭に手をやって髪が乱れていないか確認しながら顔を上げるも、周囲にセレスタン様の姿は見当たりません。
「あれ、セレスタン様はどちらに?」
「え、ほら、あっち」
聖騎士さんは遠くを見るような目で私の背後を指さしました。
勢い良く振り返って探してみましたが、やっぱり見つからない。本城からこの農地までの道は直線ではありませんし、建造物や木などいくつもの遮蔽物があります。どこかで姿が見えなくなっているのかしら、としばらく待ってみたりもしましたが……。
「やっぱり見つけられないです」
「ウヒャヒャヒャヒャ!」
「は?」
「ジゼル様めっちゃ可愛いッスね!」
「なにがですか!」
突然笑い出す聖騎士さんに私は大混乱。
セレスタン様がどこにいるのか、はたまたいないのかハッキリして欲しいんですけども。でも念のため服の乱れは直しておきます。ぐぬぬ。
「いやぁ……蜘蛛に驚かないのが悔しくなっちゃって」
「えっ、じゃあ嘘だったんですか!」
瑞々しい緑が広がる農地に、怒った私と笑い転げる聖騎士さんの騒々しい声が響き渡りました。
と、そこへ。
「何が嘘だって?」
ひときわ静かで低くて、だけど朗々と響く声が。
私も聖騎士さんもぴたりと口を閉じてゆっくりと声のしたほうを振り返ります。
「あっ、副団長いいところに――」
「セレスタ――」
「仕事そっちのけでずいぶん楽しそうだな?」
セレスタン様でした。視線はよく研いだナイフみたいに鋭く、青みをおびた銀の髪は風にさらわれてここだけ冬みたい。
だけど聖騎士さんはその恐ろしさに気付いていないのか、それとも慣れ過ぎて感覚が麻痺しているのか、気にした様子もなく受け答えします。
「副団長、ちっと聞いてくださいよ! ジゼル様ってばさっき副団長が――」
「きゃあああああ! やめて、やめてください!」
本人を前に何を言うつもりですか!
慌てて手を振ってなんでもないと誤魔化したのですが、聖騎士さんはさらにずいっとセレスタン様の前へと大きく一歩踏み出しました。
「いやこれは副団長に耳寄りなお知らせなんスけど」
「だから言わないでって!」
聖騎士さんの制服の裾を引っ張ってどうにかセレスタン様から引き剝がそうと試みたものの、鍛えている男性の体幹ってなんでこんな強いの……。
「よし。お前、腕立て伏せ五百な」
「うえぇ、まじスか」
「ごひゃくって五百回ってことです……?」
項垂れてしまった聖騎士さんが僅かに頷きます。五百回で合ってた。
「ごめんなさい。私のためにお水を運んでくれただけで決してサボってたわけではないし、五百回はさすがに」
「ジゼル様、庇ってくれるの嬉しいんスけどそれ逆効果……」
「腹筋三百追加な。戻っていいぞ」
「ほらー! もうこれどうしようもないやつじゃんー! 副団長のヤキモチ焼きっ! もう!」
聖騎士さんはウワーと叫びながらどこかへ行ってしまいました。
全く、あの人は何を言っているんでしょうか。モテを制した男であるセレスタン様がヤキモチってそんなはずが、ねぇ?
チラっと見上げたセレスタン様はキュっと眉を寄せて難しいお顔をしています。
「ブノワと仲いいのか」
「ぶのわ……?」
首を傾げた私にセレスタン様が思いっきり吹き出しました。
「護衛に任命したとき自己紹介させたろ」
「あー、もしかしてさっきの」
「ぜんっぜん興味持ってないな!」
「べ、べつに護衛してくれる方を軽んじているわけでは決してなくて。大丈夫です、ちゃんと覚えました」
さっきまでの冷え冷えした雰囲気はどこへやら。セレスタン様はアハハハと目尻に涙をにじませながら笑っています。怒っていないならいいんだけど。
「いや忘れたままでいいさ」
「やだなぁ。さすがにもう忘れないですよ、よっぽどのことがない限り」
いくら私が人の名前を覚えるのが苦手でも、ぶのわさんはもう大丈夫。覚えたはず。
大笑いしていたセレスタン様は呼吸を整えるように長い息を吐きました。
「よっぽどのこと、ねぇ」
セレスタン様はこちらに手を伸ばしたかと思うと、柄杓を持つ私の手に自らのそれを重ねました。
「え、と」
いえ、違います。これは手を重ねたのではなく、私の手を取って指を絡めているのです。冷たくなっていた私の手と彼のぬくもりがじんわり混ざって溶けていきます。
「な、何を」
絡まり合った彼の長く力強い指が繊細に私の手を撫で、からん、と音を立てて柄杓が地面に落ちました。
「ねえ」
「ひゃいっ!」
「忘れた?」
突然のことに混乱する私の耳元でセレスタン様が囁きました。
何が? なんの話?
涙目になるのはこちらの番で。呼吸も忘れて助けを求めるように見上げた私に、彼は意地悪な笑みを浮かべます。が、それ以上のことは何もなく、セレスタン様はパっと手を放して落ちた柄杓を拾い上げたのでした。
なんですか、何が起きたんですか、このモテ男はなんなんですかっ!
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