2-6 侮辱するのが淑女なんですか
「届いた荷物をどこにやった?」
怖い顔してたのは私じゃなくてセレスタン様でした。声を聞くだけでもすごく怖いので。
ベアトリスさんは一瞬だけ目を泳がせてから、祈るように両手を握って首を横に振りました。
「いいえ……いいえ! アタシは預かっていません。閣下が何をおっしゃっておいでかわかりかねます」
ちゃんとした言葉遣いもできるんだ、と妙なところに感心してしまいました。セレスタン様は何か言いかけましたが唇を引き結び、私のほうへと向き直ります。
「君はここにいて。俺が必ず見つけるから」
「えっ、ちょっ」
パッと踵を返して、あっという間に家を出て行ってしまいました。騎士も魔術師も足が速くて困りますね。外では馬車を呼ぶとか呼ばないとかいう問答が聞こえてきましたが、どうもご自分の足で走って行ったみたいです。体力オバケだわ。
そして残された私とベアトリスさんのこの気まずいことと言ったら! 不貞腐れてしまったベアトリスさんは何をするでもなくプンとそっぽを向いてるし、私も別にお喋りなほうではないし。白ローブさんの爪の垢でも煎じて飲むべきかしら。
仕方ないので空いた時間をお勉強に充てようと歴史の本を読んでいましたら。どれくらい時間が経ったかわかりませんが、不意にベアトリスさんが「あーぁ」とため息をつきました。
「シラー伯爵って『聖樹の守護者たるルサーリィ聖騎士会』では副総長だし、強くてかっこよくて、なにより次期公爵で。女なら誰だって憧れてたものだけど」
ベアトリスさんはそこで言葉を切るとテーブルの上の水差しからグラスへ水をつぎ、一気に飲み干しました。私のための水じゃなかった。
聖樹の守護者たる云々というのはその名の通り、大聖樹の護り手としての騎士団の名称です。王国騎士とは所属も目的も仕事も違い、より名誉ある団体だそう。私にはよくわからないけど。
ぼんやり話の続きを待つ私に、彼女は呆れたような笑みを浮かべて見せます。
「なのに平民の女にゾッコンだなんて本当にガッカリだわ」
「はい?」
「王女殿下は自分こそがシラー伯爵から騎士の誓いを受けるものだと信じてらしたから、二晩ほど寝込んだとか。それはそうよね、まさか平民なんかに誑し込まれるとは思わないじゃない」
ちょっと何を言われているのかわかりませんでしたので、時間をかけて言葉を咀嚼します。が、咀嚼しないほうがよかった。誑し込むって……。
いったん落ち着こうと思って、私もグラスに水を注ぎました。その間にもセレスタン様の姿が脳裏に浮かんでは消えていきます。最初に街へやって来たときも、ソニアと一緒に街を出たときも、暴漢から助けてくれたときも、いつだって彼は目の前のことに真面目に取り組んでいました。だからステラだって、「お仕事頑張って偉いね」って言ったんです。
それをこの人は……っ!
「きゃぁっ! 何するのよ!」
あ。お水、思わずぶっかけてしまいました。つい。手が滑って。
「憧れていた相手が自分の思う通りに動かなかったからって、侮辱するのが淑女なんですか」
「なんですって?」
「彼の崇高な騎士の誓いを、そんな下品な言葉で貶める意味はなんですかって聞いてんの!」
彼は私が聖女だと信じたから盾となり剣になると言ってくれたんです。それが聖騎士の使命だから。
声を荒げた私を彼女はキッと睨みつけました。私は少し大きな声を出したことでちょっとだけ冷静に。深く息を吸って頭にのぼった熱が引くのを待ちます。
「平民のくせに。なんてことしてくれるのよ」
「平民の下で働くのが嫌だっていう気持ちはどうでもいいですけど。越えちゃいけない一線と攻撃すべきでない方向はわきまえてください。……あなた自身のために」
「脅すつもり? おまえに何ができるって言うの」
「私宛の荷物、預かってないって言ってましたけど心当たりはあるんでしょ? 本当に知らなかったら最初は『なんのことですか』と確認していたはずです。だってあまりにも漠然とした質問だったし」
彼女はハッと口を手で覆いました。今さら失言に気付いたようです。
「貴族のご令嬢は侍女に宝飾品やドレスを下げ渡すことがあるそうですね。平民である私にそんなものはありませんし、お仕事をサボってるのを見ない振りするくらいしかしてあげられません。私だけなら馬鹿にしてもらっても構わない。だけどもし私の大切なものを傷つけるようなら、私の担当から外れてもらいます」
もしソニアからの手紙や父の日記が見つからなかったら、私は彼女を許せないでしょう。
ベアトリスさんは何も言い返しては来ませんでした。担当を外される、解雇されることがいかに不名誉なことであるかは理解しているようです。しかも平民なんかにクビにされたとあっては、よほど仕事ができないのだと思われて行き場を失うかもしれません。
「……風邪をひいてしまうので、着替えてきてください」
私がそう言うと、ベアトリスさんは弾かれたように家を飛び出して行きました。
吐いた息が震えてる。こんなに怒ったのはすごく久しぶりで、ちょっと疲れてしまいました。
息を整える私の背後で足音がして振り返ると、そこにはセレスタン様が。走っていらしたのか顔が少し赤くて、私は慌てて彼のそばへ走り寄りました。
「荷物を持って来た。……宛名のところがひどく汚れていて読めないから、宛先不明として保管されていたらしい。引き取り手が見つからなければ来週廃棄される予定でね」
「もう見つかったなんて! ありがとうございます、すごくシゴトが早い」
「や、アイツがさっさと見つけてコッチに持って来てくれていたから、途中で預かって引き返して来たんだ。礼なら彼に」
たぶんアイツって白ローブさんのことだと思います。手紙を検閲したと言っていたし、荷物を見てそれが私宛のものだとすぐにわかったのでしょう。
受け取った本は麻の紐で縛ってあって、封筒が一通挟んでありました。確かに宛名の部分だけが炭のようなもので汚れています。
あくまで憶測ですが、私を困らせてやろうとベアトリスさんが宛名を汚したのではないでしょうか。きっと廃棄される直前に「平民のソニアという人物は誰に手紙を出そうとしたのか」などと話題を振って私を焦らせるつもりだったんだわ。
「はい。でもセレスタン様も、ありがとうございます」
「ああ、どういたしまして。それと、俺からもありがとう」
「はい? ……わっ、ちょっ」
なんのことかしらと見上げた私の身体を抱き寄せて、セレスタン様は私の側頭部に頬を寄せました。えっと、大丈夫ですか私の頭は臭くないですか。
「俺のために怒ってくれた」
「え。聞いてたんですか、どこから」
「『平民なんかに誑し込まれるとは』のあたり」
「割と最初」
「どんな顔して出て行けばいいのかと躊躇っていたら君が怒りだして、出るに出られなくなってね」
くくくっと笑う彼の息が耳にかかってくすぐったい! っていうか、この状況はなんですかーもー!




