2-3 諦めていただくしか…
通された応接室は薔薇の香りがしたけれど、入って来た聖女様は百合の花のように清澄な空気をまとった人でした。もし祖父母が生きていたら同じくらいの年齢でしょうか。でも背筋がピンと伸びて若々しく見えます。
「ようこそ、よくいらっしゃったわ。疲れたでしょう?」
「いえ……」
許可を得て座ったソファーは適度な弾力があって、腰と足がじわっとほぐれていく気がしました。
目の前に並べられたお茶やお菓子が気になって仕方ないのですが、マナーがわかりません。モジモジしていたら聖女様は鈴を転がすようにフフフと笑います。
「好きに召し上がって。ここには難しいことを言う人間はいませんからね」
「あ……ありがとうございます!」
まずはお水で喉を潤して、丸いピンク色のお菓子に手を伸ばします。クッキーと言うには分厚いし、パンでもないしチョコでもなさそうだし、何かしらと口に入れてみたら。
最初のひと噛みこそサクっとしたのに、口の中でモチョモチョする……ジャムが挟んであったみたいで鼻から抜ける香りはイチゴなんですけど、コレ、何? 初めての食感にびっくり。でもクセになるというか、美味しい!
「マカロンよ」
「私の知ってるマカロンと違う……!」
「そう言えば東部で売られるマカロンは表面がひび割れていて、サクサクした歯ごたえと聞いたことがあるわ。そんな風に場所によって作り方が違うみたいだけれど、王都でマカロンと言ったらコレね」
たくさん召し上がれと言って聖女様はご自分のお皿も私のほうへと置いてくれました。遠慮するべきかしらと背後に控えているセレスタン様を振り仰げば、苦笑しつつ頷いています。食べていいみたい!
お互いに自己紹介を済ませると、バルバラと名乗った聖女様は細く息を吐きました。
「そちらのシラー伯爵から大体のことは聞いています。雨を予言したとか、精霊が見えるとか」
「せ、精霊かどうか知りません。私はずっと幽霊だと思ってて」
「ジゼルさんは魂が実在するとしたら、何でできていると思う?」
「はい?」
突然難しいこと言われても。
首を傾げるばかりの私にバルバラ様は微笑みを浮かべたまま「覚える必要はないけれど」と前置きをして話を続けました。
「魔力とか呪力とか、あるいは神聖で不思議な力という概念を『マナ』と呼ぶのは知ってるかしら」
「あ、はい」
「大聖樹の周囲に揺蕩う光が純粋なマナで、魂はマナでできていると考えられているの」
「えっ、じゃああの虹色にキラキラしているのがマナで魂で精霊?」
「魂の多くは天界に還り、次の生の準備をします。それでもいくらかのマナがこの世界に遺される。わたくしたちはそれを魂の残滓と呼ぶのだけれど」
そこで言葉を切り、バルバラ様はセレスタン様を見上げました。
「たまに強い気持ちを持った魂が自我まで残して行ってしまうようなの。ステラのようにね」
背後でセレスタン様が息を吞む気配がします。ステラは彼のお姉さんで、十歳になる前に亡くなったという話でした。そして、私に雨が降ることを教えてくれた幽霊でもあります。
「大丈夫、ステラもちゃんと天界へ還っていますよ。あなたのそばにいるのは、あなたのために残したほんのちょっとの気持ちだけ」
「……はい」
セレスタン様の声はくぐもっていたけれど、私も同じ気持ちです。いつも私のそばにいる両親の幽霊は何か心残りがあって天界へ還れないのかと不安だったから。
バルバラ様の慈しむような声が、私やセレスタン様の不安を優しく包み込んでくれたのです。
「要するに不思議な力が集まって精霊になっていると考えてくれたらいいわ。そして聖女は普通の人の何倍も何十倍もマナが多いの。だからきっと精霊と意思疎通ができてしまうのね」
祈るという行為はもっとも原始的な呪術なのだと言います。聖女が祈ることで精霊を活性化し、未来を教えてもらったり天候を操作したりといった権能を行使することができるのだと。
「それで両親や死んだ人の姿が見えたんだ……」
「ええ。誰にも理解してもらえないし、辛いことも多かったでしょう。今日までよく頑張りましたね」
その柔らかな声のせいか穏やかな話し方のせいか、バルバラ様についつい亡き母の面影を重ねてしまいそうになります。そうでなくても泣きそうなのに!
返事もできずにズズッと鼻をすすっていると、バルバラ様は「ところで」と呟いてセレスタン様に私の横へ座るよう促しました。少し横へずれたのですが、彼が座ると同時に身体が左側に傾きます。まだ近かった……。ちょうどいい位置を探してお尻をモゾモゾさせていると、隣に腰掛けたセレスタン様がくくっと笑いました。はい、すみません。
「陛下へ謁見したのでしょう? どう感じましたか?」
「……ジゼル嬢は『候補のひとりに過ぎない』と。考え難いことですが、聖女について詳細をご存じないとしか」
「あの『聖女の農地』にジゼルさんの寝所を用意したと聞いて驚いていたところですが、やはりそうでしたか」
「えっと、あの?」
どうも私だけ話についていけていないようです。セレスタン様もバルバラ様も難しいお顔でため息をついていらっしゃるのですが。
「わたくしも、ひとつ前の聖女も元貴族なの。それにこうして長く生きていると、昔を知る人もいなくなるでしょう?」
「はぁ……」
「平民から聖女が生まれるとは思ってなかった、ということだろう」
つまり、お貴族様たちは聖女がその青く尊い血からしか選ばれないと思ってらっしゃるわけですね? 彼らは他にも候補がいるはずだとお考えだけど、セレスタン様もバルバラ様も聖女に候補はふたりといないことを知っている、と。
「でも生まれてしまったものは仕方ないというか、諦めていただくしかないのでは……」
「ククッ。その通りなんだがな」
「そう簡単には認めないでしょう。もしかしたら、少し嫌な思いをすることもあるかもしれないわ」
わたくしが盾になれることならいいのだけど、とこぼしたバルバラ様の言葉はコホコホと乾いた咳によって続きませんでした。




